第23話 まろうどさまと鏡池
まろうどさまがいらっしゃる。
そんな噂が館に広がり、ざわざわと落ち着かない雰囲気が館中に広まった。
八重はまだ若い女官で、今年館に仕えたばかりだった。
「まろうどさま、とは、どのようなお方なのでしょう?」
「世界を越えていらっしゃるのよ。特別なお力を持っていらっしゃるの」
「どのようなお姿なのでしょう?」
「それはまろうどさまによって異なるらしいのよ。男性だったり女性だったり。年齢も、子どもから老人まで、さまざまだと言うわ」
年嵩の女官すゑはゆったりと言い、「まろうどさまはまれびとだから、わたしでも一度しかお見かけしたこと、ないのよ」と付け加えた。
八重も仕事をしなくては、と思う。何しろ、まろうどさまがいらっしゃるのだから、館を隅々まで美しくしなくてはならない。八重は雑巾を水で濡らし、床を拭き始めた。
「八重」
名を呼ばれて振り返ると、領主の
「領主さま」
八重は掃除の手を止め、首を垂れた。
「よい、顔を上げよ」
「はい」
「八重はまろうどさまを知らぬであろう」
「はい」
「実は、私もよく知らないのだよ」
「え?」
八重が驚くと、氷彌はにっこりと笑って、「話だけはもちろん聞いておる。しかし、話だけではの」と言った。
「まろうどさまは祝福をもたらす、と教えられました。……どのような祝福なのでしょう?」
八重が問うと、氷彌は複雑な表情をして言った。
「そのとき、世界が欲しているものをもたらすのだそうだよ。……八重、こっちにおいで」
氷彌に導かれ、八重は奥まったところに行く。ここはふつうの女官では入れないところだった。
「ほら、そこを見てごらん」
氷彌が差す方を見ると、そこにはまるで手鏡のような池があった。
「美しいですね」
「だろう? 今度の満月の夜、あの鏡池に満月がまるく映し出されたとき、あそこからまろうどさまがいらっしゃるのだそうだよ」
八重は顔を輝かせて鏡池を見た。
「楽しみですね!」
「……ほんとうに祝福をもたらす方であるとよいのだが」
氷彌は八重には聞こえない大きさで小さく呟いた。
「領主さま?」
「――なんでもない。次の満月まで、もうそんなに時間はない。皆といっしょに準備をよろしく頼む」
「はい!」
八重は氷彌に一礼をすると、足早に仕事に戻って行った。
氷彌は八重を見送ると、朱色の柱に手をやり、そして思慮深い眼差しを鏡池に向けた。
「まろうど、さま、か。果たしてどのような方なのか」
鏡池は昼間の太陽の光を受け、氷彌の物思いなど知らぬようにきらきらと輝いていた。
「まろうどさまと鏡池」 了
*ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。
1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。
毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!
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