第15話 熱い麦茶

 麦茶のいい香りが漂ってきて、わたしは薬缶の火を止めた。

 しばらくコンロの前で香りを楽しむ。それから、薬缶からマグカップに香ばしい色の麦茶を注ぐ。カップを持つと、麦茶の温もりが伝わってきてそれだけで気持ちがあたたかくなる。


 食卓テーブルに布のコースターを敷いて、その上にマグカップを置く。

 食に関することを丁寧にすることが、こころのささくれを癒してくれるような気がして、わたしは気分が落ち込むといつも、丁寧にお茶を淹れることにしていた。今日は冬だけど、熱い麦茶。ゆっくりと飲む。熱さが喉を通り落ちてゆく。

 熱い気持ちも、長くいっしょにいると凍てついてしまうんだという切なさが、融ければいいとふと思う。しかし熱い麦茶は少なくとも身体をあたため、休日の今日、何をしようかということに思いを馳せる気持ちにしてくれた。 


 麦茶をカップの半分まで飲んだところで陽斗が起きてきて「いい香りだね、麦茶?」と言った。

「うん。飲む?」

「もらおうかな」

 陽斗のマグカップに麦茶を入れ、コースターとともにテーブルに置く。わたしは自分のマグカップに麦茶を足し、彼の向かいに座った。

「熱い麦茶もいいでしょう」

「うん、おいしいね。身体があたたまる」


 二人でふうふうしながら、ただ麦茶を飲む。

 湯気の向こうに陽斗の姿が見えて、同じ、熱くて香りのよいものを飲んでいるのが分かり、先ほど一人で飲んでいるのとは、また少し違う気持ちになった。

「ねえ、昨日は洗濯物を畳んでくれて、ありがとう」

「どういたしまして。祐美子も、いつもごはん作ってくれてありがとう」

「……うん。どういたしまして」

「熱い麦茶も。おいしいね」

「うん、おいしい」

 同じものをおいしいと思えるのって、なんかいいな、と思った。熱い麦茶が凍てついた気持ちを融かすこともあるのかもしれない。

「今日のお休み、何か予定ある?」

「映画に行きたいな」

「どの映画?」

 わたしたちは映画をいっしょに観に行くことにした。


 毎日の中で、小さなささくれが出来てゆく。それは少しずつ溜まり、気づけばこころが冷たく冷えてしまう。その一つ一つを暴き立てる必要はない。だけど、あたためてみてもいいのかもしれない。

「お代わり、飲む?」

「飲む。ありがとう」

 やさしい声が出て、よかった、と思った。




  「熱い麦茶」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

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