文化祭前日「グスコーブドリの伝記」⑩

「さて、と。じゃあ私は最後の準備でもしてこようかな。三十分くらいで図書室閉めちゃうからね」

 二人が去っていってしまったあと、リンゴさんがわざとがちゃがちゃと音をさせて周囲のものをかき集め、両手にポスターやら文房具やらを抱えて奥へ向かおうとする。

「杏ちゃん」

「はい」

 彼女は振り向かず背を向けたまま、

「今回は、ごめんね」

 と言った。爽やかなようでもあるし、憂いを帯びているようでもあった。私はそれをたくさんの意味で捉えて、

「いえ、私は、ありがとうございます。はっきりしました」

 と返した。

 彼女はやはり全てを知っていて、彼らの痛みが最小限になってほしくて、シロと私に託してくれたのだ。

「そう、それならよかったけど。応援はするよぅ、応援しかできないけどね。ここは私の庭だから」

 彼女は大げさに揺れながら、にゃーにゃーと謎の歌を歌って奥へと消えて行く。

 シロはわけもわからず、私と彼女を見比べていた。

「どういうこと?」

「わからなくていいの」

「ああ、そう」

 彼が本気でどうでも良さそうに肩をすくめる。

「ねえ、これからどうする?」

「もうこんな時間か。踊りの最終確認をするって言っていたから、教室に戻らないと。たぶん、月村さんもいるよ」

「ねえ、ユート」

「い、いつも不意打ちだな」

 さっきまでと打って変わって驚きと焦りを混ぜた表情で目を丸くして私を見る。それも、彼の計算のうちなのかもしれない。

「別に名前で呼ぶのは芹菜ちゃんだけってわけじゃないんでしょ?」

「そっちの呼び方まで変わるのか。まあ『ポチ』の頃よりはずっとマシだよ」

 むう、と唸りながら彼が返す。そういえば、そう呼んでいた時期もあったな、あれはあれで悪くない時期だったと私は思うのだけど、彼にとっては思うところがあるらしい。

 リンゴさんの観察が正しいとすれば、たぶん、この表情も本心ではないかもしれない。

 だからといって、いきなり隠し事はなしにしてね、なんて今の私に言えるわけもない。

 それでも私は良いと思った。

「だったらいいじゃない。少なくとも、二人きりのときはそう呼ぶことにするわ」

「それは、誰かに聞かれたら誤解を招く言い方だ」

 眉間にしわを寄せて、訝しげに私を見ている。

「誤解を招いちゃいけない?」

 私の追い打ちに、彼は慎重そうに言葉を選んでいる。

「誤解を招く人による」

「たとえば?」

「それはノーコメント」

「そっか、そういうところは意地悪なんだね」

「ごめん」

 ばつが悪そうに彼が言った。

「いいよ、教室戻ろう」

「わかったよ、アンズ」

「えっ」

「杏がそう呼ぶなら、僕も呼んでいいんだろ?」

「そ、それはそうだけど」

 名前だけで呼ばれるのは春以来で、突然の出来事で胸の中がきゅうとする。胸の中が、ほのかに熱くなっていくのを、どうやって隠そうかと考えてしまった。

「じゃあこれからはそういうことで」

「わかった」

 それを悟られないように、私は努めて冷静にうなずく。

「そうだ」

「え?」

「よだかは、最期にどうなったんだっけ?」

 彼が問いかける。

 今度は真剣な顔で私をしっかりと見つめている。

 よだかの最期。

 よだかは、最期に星になった。

 それもカシオペア座のすぐそばで。

(今でもまだ燃えている)

 彼にはわかりきったことなので、私はそれを言葉にはしなかった。

 だから、最大限作れる笑顔で私は彼に応える。

 きっと、それですべてが伝わるはず。

 時間はまだある。



『もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。

 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。

 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。

 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。

 今でもまだ燃えています。』

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