文化祭前日「グスコーブドリの伝記」⑧

「俺は、彼女が幸せになればそれで良かったんだ。そのはずなのに、無い物ねだりをしてしまった。彼女をねじ曲げてしまった。俺は、彼女のそばにいるべき人間じゃない」

 力強く、彼は言う。

 そう、だろうか。

 彼は言う、ねじ曲がってしまった桂花と私は友達になった。それは間違いない。彼女がどう思おうと、私は彼女を友達だと言える。

 それをエゴイズムだと言われても構わないし、本来の彼女は全くの別物であっても友達であり続けると宣言だってできる。彼にとっては偽物だとしても、私にとっては本物なのだ。

「……そんなことない。桂花は私の友達で、私は桂花と友達になれて良かったって思ってるし、桂花の笑顔に何度も助けられたし、勉強だって見てもらっているし、だから、だからあなたのしたことだって……」

「君に何が!」

 彼が言いかけ、少し躊躇いがちに右手を上げた。

「わかるんだ!」

 僅かな覚悟はしていたものの、彼の手が振り下ろされる寸前で反射的に目をつぶってしまう。

 リンゴさんの大きな声と、ガッ、と鈍い音がした。

「杏ちゃん!」

 痛みはない。

 ゆっくりと目を開く。

 水樹君の手は私の体のどこにも到達していなかった。

「杏さん、大丈夫?」

 耳のそばで呑気な声がする。間に割って入っていたシロが、水樹君の右手首をしっかりと右手で掴んでいた。

「わ、私は大丈夫……」

「それはよかった」

 まるでこの場所に私しかいないような目で、シロが私だけを見ている。

「僕は君を守る。約束通りに」

 そんな私たちを見て、水樹君が苦々しい顔をする。

「……どうして」

 水樹君がシロを睨む。

「君だって似たようなものじゃないか!」

 シロは応えない。

「君だって! 偽物のくせに!」

 シロはやはり応えない。

 ただその掴む手を強く握りしめているだけだった。

 水樹君のうめく声が小さく聞こえた。

「もしも杏さんに危害を加えるなら……」

 今まで一度も聞いたことがない低い音で、シロはのどを振動させていた。私を見る表情は全く変わっていない。

「シロ、大丈夫、私はもう大丈夫だから、離してあげて」

「わかった」

 シロが手を離すと同時に、水樹君が後ろでのけぞる。

「杏さん」

 いつも通りのぼんやりとした表情で、シロは私を見ている。

 シロのその優しい目が、私には少し怖く見えた。

 これが一ノ瀬先輩が言う、『正義の味方』そのものなのかと思った。

 紫桐さんが言った、変わってしまった彼なのかと思った。

 リンゴさんが言う、シロの怖さなのかと思った。

 でも、悪い気はしていない。

 私もどこか壊れてしまっているのだろう。

 私は、彼の行為が嬉しかった。

 私に嘘を吐いている彼が、嬉しかった。

「杏さんの言ったことが間違いだとは思わない。だけど、それを言っていいかどうかは別問題だ。その点では、杏さんは間違っている。これは、杏さんも、僕も、立ち入るべきポイントではない。僕らには無関係だ」

「無関係って……。桂花は友達だから、関係ないわけないじゃない」

「そう、友達ならなおさら踏み込むべき場所じゃない」

「そんなの、そんなのおかしいよ」

 そのとき、リンゴさんの後ろ、カウンター裏の書庫から人影が出てきた。

「……ありがと、アンちゃん」

 水樹君が声を漏らす。

「桂花……」

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