文化祭前日「グスコーブドリの伝記」⑦
私はしばらくの間、なるべく感情を込めずに事実だけを語ろうと試みた。
声は震えていたかもしれない。
水樹君はそれを黙って聞いていた。
シロとリンゴさんも、一言も発しなかった。
私だけ時間が進んでいて、他の誰もが静止しているみたいだった。
「どうですか? 間違っていますか?」
水樹君は首を振る。
「間違っているところはどこにもない。全て君が言う通り、僕が月村先輩の偽物になって彼女と手紙のやりとりをしていた」
「……いつから、ですか」
心のどこかで、それに触れてはいけない、という忠告が聞こえた気がした。心の声の主はシロで、きっと彼は本当にそう思っているだろう。
「月村先輩が死んでから、桂花は本当に酷い状態だったんだ。何も食べず、何もしようとせず、ただずっとぼうっとしているだけだった」
今の桂花とは違う姿を彼は語る。
今だって、体の線は相当細い。それがさらに細く、紙のようになっていくのを想像して私はぞっとした。
「このままじゃ衰弱して、っていうところまできて、もうダメだって思った。そのとき、俺は、月村先輩と手紙をやりとりをしていたのを思い出して、それを家中ひっくり返して、他にやりとりをしていた人のところを当たって手紙を借りて来て、彼のように手紙を書いてみたんだ」
水樹君は簡単なことのように言ってのけるが、それほど単純なことではないはずだ。特に好んで手紙を出しているような人だ、文字だけでなく言葉の使い方に癖が出る。妹をだませるほど精巧に書くのは努力が必要だっただろう。
「嘘でも、それがきっかけになればって思っていたんだ。それが、今は、良かったかどうかはわからない。だけど、桂花はその手紙に返事を書いてくれた。それから、桂花は少しずつ元気を取り戻していっているみたいだった。俺は遠くに行ってしまった先輩の『仲介役』として手紙を桂花との間で取り持つことにした」
彼の告白は続く。
「俺だって、こんなの冗談で、すぐに終わるものだって思っていたんだ。だけど、桂花は手紙のやりとりを終えようとするどころか、ますますのめり込むようになっていった。でも、それだけじゃなかった。桂花は元に戻ったわけじゃなかった」
戻らなかった、と彼は言う。
「桂花は、実の兄のコピーを始めた。それまで得意じゃなかった勉強に、必要以上に取り組むようになった。性格だって今みたいに明るくなかった。俺が手紙を捏造するたびに、あいつも自分の兄のように振る舞い出したんだ」
「そんな……」
だとしたら、ずっと半年間私が接してきた月村桂花という女の子は、昔の彼女自身ではなく、兄の能力や性格をコピーしようとした結果生じたものでしかない、ということなのだろうか。私の知っている彼女は、作られた偽物だったのだろうか。
そんなことは思いたくもない。
「桂花は、俺と同じように、いないはずの人間の劣化コピーになることを選んだ。そうして、俺は、俺たちはもう後に引けなくなってしまった」
「……あなたは、その、先輩が」
その続きが言葉にならない。
それを汲んでくれたのか、水樹君はため息をついた。
「俺は、そう、先輩が自殺した場所にいた」
水樹君が眉をしかめる。
「どうして俺を呼んだのか、それはわからない。でも思うところはある。彼は、賭けをしていたんだ」
賭け。
生きるか、死ぬかの。
「本当は、本当は止めようと思えばできたはずなんだ。その時間が用意されていて、先輩は、止めるかどうか、賭けをしていた。だけど俺は何もしなかった。できなかったんじゃない、あえてしなかったんだ。俺は、きっと、あのとき、どこかで彼が死ぬことを望んでいたんだ。そうしないと、いつまで経っても桂花がこっちを見てくれないと思ったから。俺は、桂花を好きだったから」
彼の絞り出すような独白。
「彼の賭けが、成功だったのか、失敗だったのか、わからない。でも彼は、桂花のことをよろしく、とだけ言って逝ってしまった」
「そんなわけ……」
彼が私の言葉を遮る。
「ないって言えるのか? 一体僕たちの何を知っているっていうんだ」
言葉に詰まった私は、シロを見る。シロは腕を組んだまま、微動だにしていない。助け船には乗ってくれそうになかった。
シロは知っていた。
桂花のお兄さんが亡くなっていることも。
水樹君がその場にいたことも。
シロは手紙を読んだ時点でわかっていた。
水樹君が偽物として、続きを演じていることも。
彼の言葉で言えば、可能性の一つとして、場合分けの一パターンとして、確定的ではないにしても、それをわかっていたのだ。
もしかしたら、桂花ですら偽物を演じていることも。
彼にとっては、きっと全てが茶番だったのだ。
だから、彼は私に『関わるな』と言った。
それは、間違いなく、『私』に何らかの影響を及ぼすと思って。
「シロ……」
私の助けを求める視線を受けて、ゆっくりとシロが口を開く。
「彼に責任はない。彼にどんな罪もない。それは事実だ。保証もできる。一ノ瀬先輩もきっと同じことを言うはずだ。だけど、彼がどう思うかは自由だ。僕がどうこういう資格はないし、義理もない」
「君は、あのときいただろう?」
水樹君がシロを見る。
「あの場にいたのは僕だけではない。また見たとしても意見は変わらない」
そう言い放つ彼を、私は完全に信用はできなかった。
彼ならあえて肩をすくめたり、おどけたりするポーズを取るはずだ。そういった仕草や表情は一切なく、ただただ彼は無表情で言うのは、彼に思うところがあるからだ。
助けられなかった後悔、ではないのだろうか。
シロが立ち上がり、一歩だけ水樹君に近づく。
「君は罪滅ぼしをしたかったのか? 彼女を助けたかったのか? 後者だとしたら、それは成功しただろう。繰り返すけど、前者についての意見はない」
本当にそうだろうか。
だとしたら、彼の家にあったスクラップブックはなんだろう。今でも忘れていないからではないだろうか。
「だけど! だけど!」
水樹君の声が響く。
対照的にシロの声は静かだ。
「それ以上は僕にはわからない。君の気持ちも、月村さんの気持ちも、ましてやろくに会話もしていない人ならなおさらだ」
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