文化祭前日「グスコーブドリの伝記」⑤

 教室に戻り、隅に場所を取る。すっかり教室は文化祭仕様になっていて、不必要な机やイスは外へ出されている。あとは明日のダンスの最終確認をする人、小道具の数を数えている人、思い思いに文化祭への期待を小さく胸に抱いているようだった。私にもそれは伝わってきた。中学の時も、周りはこんなだったのかな、と考えるとまた胸が締め付けられそうになる。

 シロの姿が見えたが、男子チームと準備に勤しんでいるようでこちらには気にも留めていないようだった。

 リンゴさんから借りた本は、宮沢賢治の全集の一部だった。その中に収められている『よだかの星』のページを私は読んでいる。短い文章だけど、よだかの心境、行動のひとつひとつが胸に刺さる。見た目と名前でいわれなき差別を受けた被害者でありながら、自分もまた他の命を奪って生きている加害者でもあることに気付かされる。それは、本当は、誰しもが受け止めなければいけないことのような気がした。

 私は、昔、周囲から言われなき攻撃を受けていた。客観的にみても、それは事実として覆そうとする人はいないだろう。だからといって、私が完全な被害者であったかどうかは疑わしい。あの頃の私は誰も傷つけていなかっただろうか、それを確かめるすべはもうどこにもない。

 これからも、きっと、誰かに傷つけられて、誰かを傷つけてしまうのだろう。

「アンちゃん」

 声をかけられる。

「あ、桂花」

「ん? どうしたの?」

 いつもと変わりない笑顔で、昨日のことはなかったみたいに桂花がいた。

「昨日はごめんね、取り乱しちゃって」

「ううん、いいよ」

 私が気にしているのはそこではないから、複雑な気分だった。

「紫桐さんにも謝らないと。あれ、アンちゃん何読んでいるの?」

 しまった、と思いながら、顔に出さず背表紙を見せる。

 桂花が顔をほころばせる。

「あ、宮沢賢治だね」

「え、うん」

 桂花が首を伸ばして覗き込んでくる。

「よだかの星、だね。お兄ちゃんが一番好きなやつだ。私も好き」

 それは、いったいいつの頃の話だろう。

 今の話ではない。

 彼はもう二年前にはいないのだから。

「あとは、やっぱり『銀河鉄道の夜』とか、宮沢賢治って、星に関係する物語が多いんだよね。これもお兄ちゃんの受け売りだけど」

「その、お兄さんとは連絡は良く取り合っているの?」

「え、うん、それがね、メールが嫌だからって、いっつも手紙ばかりなの」

 それは、お兄さんではない。

 桂花だってわかっているはずだ。

 だけど私にそれを言う勇気があるか。

 当然、ない。

「メールの方が断然早いから便利だよって言っているんだけど、でもいまどき手紙っていうのもちょっと良いよね」

 桂花は屈託なく笑う。

「そ、そうだね」

 私は曖昧に同意するしかない。

 この笑顔を壊さないために。

 ああ、だから、水樹君は桂花のお兄さんに成り代わり、手紙を出し続けていたのか。

 自分自身を犠牲にしてまでも。

 偽物であると自覚しながら。


 問3.水樹君は、誰宛に何の意図を持って手紙のやりとりをしているのか?

 答 解決、解決と呼んでしまっていいのか。

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