文化祭三日前「銀河鉄道の夜」④
図書館へ向かう間、リンゴさんは一言も言葉を発さなかった。そうすることで、シロの行為を全て肯定しているかのようでもあった。
便箋は私の胸ポケットの中にしまわれていた。それだけで、書いた人の気持ちを共有しているような気分になっていたかもしれない。
四階の執行部の部室から一階まで降りる。廊下まで作業をしている生徒で溢れかえっていて、その間をすり抜けて私たちは図書室の前まで来た。
「リンゴさん、いいんですね」
ドアを開ける前に、シロが念を押す。
「う、うーん」
困惑した様子の彼女を半ば無視し、中に入る。
図書室は図書局の展示物で普段の簡素な作りとは違っていた。文化祭用に棚に装飾が施されている。
「こういうのをやるんですね」
感心する私にリンゴさんが少し得意げに返す。
「そうよぅ、図書局員がそれぞれオススメの本コーナーを作るの、ちなみに私はねー」
「あ、いいです。たぶんあれなので」
図書室の一番目立つ位置に陣取るキラキラしたコーナーを指さす。
「杏ちゃんのいけず……解説くらいさせてくれたって」
「いや、いいです」
一冊一冊に丁寧にカード型のポップが書かれていて、入念に準備されたであろうそのこのコーナーはもはや強烈な念さえ感じられる。その全ての本が見るからにして恋愛ものだけで構成されていた。
「結構出来は良い良いと思ったんだけどにゃあ」
そんな、行きは良い良い、みたいに言わなくても。
うん、図書局の予算は来年度はもう少し減らしても良いみたいだ。
「ほら、木曜日の、ああ、いや、これはだめだだめだいまのはノーカンで」
「何言っているんですか」
そんな二人の会話をよそに、シロが図書室の窓際に座っていた男の子に声をかける。彼の近くのコーナーには天文学に関する本が並べられていた。
「はじめまして、はちょっと変かな」
「そうでもない」
メガネの位置を直しながら、彼が微笑んだように私は見えた。意識的に声のトーンを落としているような話し方で、どことなくシロに似たような空気を漂わせていた。
「俺は、少なくとも君と会話をしたことはないから」
彼自身、メガネが不釣り合いだと思っているのか、右手でメガネを押さえていた。メガネの奥の表情が良く読み取れない。上履きが同じ青色だから同学年、一年生だろう。
「僕は城山口、執行部」
「あ、私は藤元、私も執行部」
「俺は図書局の一年、水(みず)樹(き)。それで、執行部が何の用? リンゴ先輩まで一緒に」
「君が出した手紙を返しに来た」
「どういうこと?」
「彼が差出人だ」
一切の何の解説もなくシロが断言する。シロが私に手を差し出したので、胸ポケットから手紙を取り出して渡そうとしたけど、シロがまるで触れたくないものみたいに差し出した手を握り受け取りを拒絶した。この一瞬で彼の中で心変わりがあったようで、空を切った手紙は私の手に残されてしまい、私はまた胸ポケットにしまう。
「天文部かと思ったけど」
「実物の星を見るのは趣味じゃない」
彼は頭を振った。
「そこは同感だね」
シロの耳元で彼に聞こえないように私が聞く。
「どうして彼がここにいるってわかったの? どうして彼だってわかったの?」
「僕に曜日は関係ないんだ」
シロは前者の質問にだけ簡潔に答えた。
彼の図書室へ行く頻度はほぼ毎日だから曜日は関係ないし、細かいところに気が回る性格からして『常連組』の顔と曜日くらいは覚えていても不思議ではない。そもそも彼、水樹君は図書局なのだから、文化祭のため図書室にいる確率はより高いと踏んだのだろう。
「もっとも、リンゴさんが何も言わなかったのが決定的だけど」
そうだ。
彼が差出人なら、そしてリンゴさんが図書室から執行部に来たというのであれば、この部屋に彼が図書室にいるかどうか、少なくともリンゴさんは知っていたことになる。
私たちが会話をしている間に、彼が立ち上がっていた。
「俺は『よだか』だ」
「え?」
「それじゃ」
一瞬の沈黙のあと、その場を離れてしまった。
何かを問いかけるべきだ、と私の中の誰かが言ったけれど、それは言葉にならなかった。シロも、当然リンゴさんも何も言わない。胸ポケットの中の手紙だけが彼の言葉に反応して声を出そうとしている気がした。
「杏さん教室に戻ろう、用件は終わった」
「シロ君……」
「僕はこの件にはもう関わらない。関わりたくない」
リンゴさんのすがるような声にきっぱりとシロは言い放つ。
「でも、手伝うって」
リンゴさんと約束をしてしまっているのだ。
「それはもう終わった。それでいいですね、リンゴさん」
「……うん」
「え、いいんですか? じゃあこの手紙はどうするんですか?」
「シロ君がそこまで怒ると思っていなかったから……」
「誤解しないでください。あなたの立場は多少はわかっているつもりです。怒ってはいません」
明らかに語気を強めて、否定する。
「それじゃあ、私が……」
言いかけた私を制止する。
「杏さん。僕は何度も言っているよね、余計なことに首を突っ込むのは杏さんの悪い癖だ、それでいつかもっと大きな怪我をする羽目になる。そうなったら……」
諭すような目で私を見つめる。
「僕はかばいきれない」
それだけを言って、彼は背を向ける。
シロを追って無言で教室へ戻った。
なんだか便箋のときから彼は苛立っているようにも見えた。
それがいつものポーズなのか、本心からなのかの判断は私にはつかなかった。
便箋は、私の手に残されたままだった。
文化祭まであと三日。
問1.リンゴさんは、シロの発言を信じるならそれを知っているはずなのに、私たちに依頼したのは何故か?
問2.シロは何故彼だと断定して、何故シロは怒っているのか?
問3.水樹君は、誰宛に何の意図を持って手紙のやりとりをしているのか?
この大きな三つの疑問が私の肩にのしかかっていた。
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