文化祭三日前「銀河鉄道の夜」

文化祭三日前「銀河鉄道の夜」①

『よだかは、実にみにくい鳥です。

 顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。

 足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。

 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合でした。』

(よだかの星/宮沢賢治)


 九月上旬。

 北海道の夏休みは、東京のように八月末までではなく、八月の中旬頃に終わる。その分、冬休みが長く取られているのだ。雪国ならではの仕組みだろう。

 夏休みも終わって、学校全体が一つの空気に包まれていた。それは一体感、と表してもいいかもしない。準備の早いところはすでに夏休み前から予定を立てて、先にあるものに控えていた。

 文化祭。

 三日間のスケジュールで行われるこの行事は、学校生活の思い出の中でもとても大きなものになるだろう、と信じている生徒は少なからずいるはずである。私はどちらとも思ってはいない。少なくとも、中学校の文化祭に良い思い出がない、というか積極的に参加をしていなかったので、どうも薄らぼんやりとした印象しかないのだ。

 その私が今こうして積極的に文化祭に関わるのは、中学生の頃に比べれば劇的な変化だろうか。人間の細胞は三カ月で入れ換わる、というのは今横に座っているクラスメイトの受け売りだけど、そうだとすれば私は中学校の終わりから何度も総入れ替えをしているに違いない。

 その文化祭まで残り三日となった。

 私が所属している生徒会執行部は学校の委員会を束ねる役割も兼ねている。それは文化祭実行委員会も同様であり、実質的には生徒総会に次ぐ執行部のイベントでもある。私はクラスの準備とは別に執行部として文化祭全体の準備もしなくてはいけない。

 開会式、閉会式の準備であったり、体育館とグラウンドに設けられたイベント会場のスケジュール管理であったり、様々である。ポスターを近くのお店に貼らせてもらうようお願いしに行ったり、消防署や警察署に連絡をしたりもしていた。

 初日は午前中にクラス対抗のダンス大会が行われる。クラスごとに曲を選択編集し、衣装を作り、山車を作り、規定時間のダンスをする。それを実行委員会と生徒自身が自分のクラス以外に投票をしてポイントを競うというものだ。これはグラウンドで行われるものの一般公開されていない。午後に同じ衣装を着たまま、近くの公道をパレードするらしい。その際にも、一定の場所で午前中と同じダンスを行う。これがダンスの一般公開と言っても良いらしい。周辺住民や家族用だ。しかしこれは採点対象にならないので、気楽にできるらしい。らしい、らしいを繰り返すのは私が一年生で、しかも去年までこの土地にいなかったから、実際のところはよくわからないからだ。

 残りの土日の二日間校内は一般公開となる。

 良く聞く文化祭ではクラスごとに自由に企画をするものだろうけど、ここは学年ごとに役割が分けられている。

 一年生は自分の教室で喫茶店をし、二年生は教室である程度自由に出し物を、三年生は体育館のステージを利用しての出し物をすることにあらかじめ決まっている。一年生の喫茶店はいわゆる漫画やアニメで思い浮かべる模擬店とは異なり、室内で行われるため火気を使用できず自作の焼きそばやたこ焼きなどを売ることができない。しかも売れるものは一年生どのクラスも共通で、食事をしたいものは直接金銭のやり取りを教室で行うのではなく、食券を学校の玄関先で購入し、それを引き換え券として各クラスでその食品を受け取る。純粋に教室を改造した休憩室、というわけだ。

 部活動は各自、部室を利用して展示を行ったり、ちょっとしたイベントなどをしたりする。吹奏楽局などは体育館のステージで演奏する時間が設けられている。弓道部では、部員が付き添って実際に弓が引ける体験会を行うと私の友人が言っていた。私も時間が余ればぜひとも寄ってみたいと思っている。

 最後の夕方にはグラウンドに集まってダンスで使われた山車を中央で燃やすらしい。

 総じて文化祭としてはかなり質素な方なのかもしれない。

 しかし、他校と比較して質素であるからといって意味がないなんて思う生徒はいない。

 クラスは一致団結しようとし、それぞれの部活動は活動を内外にアピールできる機会を活かそうとしている。

 昔とは違うんだ。

 やるべきをやり、できることに挑戦をしよう。

 自分に言い聞かせ、文化祭に対する小さな想いを巡らせているところで、横にいた男子が溜息をつく。

「なんか、めまいがしてきた……。というか、手がぷるぷるしてきた」

 彼が油性マジックを持った右手を揺らして、疲れを外に飛ばそうとしている。

 彼、私のクラスメイトであり執行部員同士でもあるシロは、五百円玉より少し大きいくらいのバッジにひたすらマジックで連番を書いている。彼は黒で、私も同じ作業を赤のマジックでしている。

 彼がぐるぐると頭を回している。

「大丈夫?」

「何でもないよ。それにしてもこれ、印刷の方が早かったんじゃないかな……」

「私も同感」

 彼の名前は城山口優斗と言い、苗字が読みにくいという理由でクラスメイトは昔からのあだ名である『シロ』で呼ばれている。

 いつも眠たげな目で、本気か冗談かわからない言葉でひょうひょうと生き、嫌なことからのらりくらりと逸らして過ごしている。

 その一方で、気になることは相手がどういう立場であれとりあえず確認してみる、という不思議な積極性もあり、毎日のように読んでいる本が変わるという読書家でもある。

 男女の区別なく接する性格のためか、性別に関係なく知り合いは多いようだ。詳しく聞くことはできなかったが、家庭の事情ということで一軒家で一人暮らしをしている。東京で働いている兄が一人いるらしい。

 それが彼に対する客観的な情報と評価だ。

 そして、主観的な評価については、今のところ私はいろいろと決めかねている。保留を決め込んでいるのだ。それをなるべく深く考えないようにして、一歩引いた状態で私は努めて冷静であろうとしている。

 高校に入学する前と、ゴールデンウィークの直前、私は彼に危ないところを助けてもらっている。夏休み前の出来事でも、私の想像を超えてその知識を使い手助けをしてくれた。

 同じクラスで、同じ部活で、私の気になる男子。その程度にとどめておくのが精一杯だった。

「全く、御堂先輩の思いつきもこう急に出されるとね」

 シロの愚痴が聞こえたのか、私たちの背後で立ちながら別な作業をしていた女子が彼に声をかける。

「手伝いましょうか?」

 中学生でも十分に通る低い身長に、長く伸ばされた髪が揺れた。

「申し出はうれしいんだけど、そっちはそっちで忙しそうだから遠慮しておくよ。でも気持ちはありがとう、柏木さん」

「あ、いいえこちらこそ」

彼女は同学年の柏木くるみさんで、私たちよりも少しだけ先に執行部に入部した部活動仲間である。一年生はこの三人しかいないので、雑用は私たちで分担をしていた。今は彼女だけ別の作業を任されている。クラスが違うので部室以外で合うことは少ないけれど、シロに負けず劣らずの読書家でそれもミステリー作品が中心らしい。生徒会執行部にほんの少しだけ漫画のような機能や展開を期待していたようだけれど、今はそんなところは見せず、淡々と事務処理を行っている。

 私は二人が貸してくれるものを多少読むくらいで小説を積極的には読まないので、部室内では私よりも彼と話をしている時間が多い。それもまた私にとって、複雑な状況である。

 彼女にそういった気はたぶんなく、また彼もおそらく同好の士で話が弾むからだと私は自分に言い聞かせている。

 彼らに本を借りるというのも、何となく話に混じりたいから、と思われるようで、またも気分は複雑になるし、実際にその感想を三人で話すこともあるのだから、そうだと言われても仕方ない。

 私の取るあらゆる行動が微妙な細さの平均台の上をゆらゆら歩かせている。

 特に夏休みに久しぶりに東京に戻り、私のお兄ちゃんの結婚式に参加してから、平均台はさらに細くなっていったように感じている。

 お兄ちゃん、とは実際の血縁関係はない。彼に親族が誰もいないということで、お兄ちゃんの家と古くから付き合いがあるという私の家が、主に父が後見人となって面倒を見ている。面倒を見ているといっても、資金面で援助していることはなく、書類上の保証人などになっているだけだ。お兄ちゃんは大学卒業後に父が経営している小さな事務所に就職し、ここ北海道にいる父に代わって事務所を切り盛りしている。

 いつも優しく、私のことを気にかけてくる大切な存在で、私はお兄ちゃんのことが大好きだった。いや、好きかどうかで言えば、今でも変わらず好きなままだ。ただ、その『好き』という言葉の意味が変わってしまったと言っていいのかもしれない。それすらも勘違いだったのかもしれないけれど、少なくとも私はそれを恋愛だと思っていた。生徒会に入った理由もお兄ちゃんが昔入っていた、というのがほとんどを占めていた。

 それが夏に突然、結婚するという報告を受け、お兄ちゃんにとって私は『家族』の一人だと認識されているということをはっきりと思い知らされてしまった。終わってみればそんなことはわかりきっていたのに、なんだか気が抜けてしまっていたのだった。

「まあ、手書きの方が味があるといえばいいか。杏さんはどこまでいった?」

「私は二百ちょっと前くらい」

「じゃあ半分くらいか、僕と同じくらいだ。今日中には終わらせないとね」

 今、私とシロが取り組んでいる作業は、執行部で二年生の御堂先輩がこの直前になって、文化祭の余興になれば、と言い出したものだった。ほかの二、三年生も同調したので、文化祭の勝手を知らない一年生に発言権はなく、急遽追加されたイベントである。

なんてことはない。開会式を執行部長が行ったあと、私たちが男女別にバッチを配る。同じ番号を持った相手を見つけて引換所に来てくれれば、先着順にプレゼントをあげようというものだ。一クラス四十人で各学年七クラスあるから、生徒は八百四十人いるので、半分の四百二十人分を私は赤字で女子分として作ればいい。

「間に合うかなあこれ」

 シロが言うのも無理はない。番号を振るだけでなく、一応連番になっているかをチェックして、配布用の準備と引換所のセッティングもしなくてはいけない。

「どうかな、わかんない」

「柏木さんの手を借りるわけにもいかないし」

 シロが振り返って柏木さんを見る。彼女は彼女で小さい体で慌ただしく動いている。まるで小動物みたいで可愛らしかった。

「そうだ、助っ人を呼ぼう」

「助っ人っていったって」

 部活動はそれぞれの展示などがあるし、三日前で各クラスも準備に大忙しのはずだ。実際私たちだって、この作業が片付けばクラスに戻ってダンスの練習などをしなければいけない。

「大丈夫、たぶんあの人は暇そうにしている」

 彼はケータイを開き、どこかへメールを打っている。

「それってもしかして」

 一人の人物の顔を思い浮かべる。

「まあ、そうだね」

 きっと彼女はやってくるだろう。

 たぶん、なんとかにゃーん、とか言いながら。

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