二章

 王宮において、貴族や王族は一枚岩ではない。

 現在のノーザンクロス王国の国王は、平和路線をかかげていた。国民たちの声を広く聞き入れ、自らが有するじゆつの知識や技術を、積極的に他国へ伝える。

 だが、その態度をよわごしと非難し、ノーザンクロス王国とその図書館が有している強大な魔術によって、他国へのしんりやくもくむ貴族たちもいた。


 アイヴァンが父王への朝のあいさつを終え、食堂へ向かおうとすると、びへつらうような笑みを浮かべてすり寄って来る男の姿があった。

「ごきげんうるわしゅう、アイヴァン殿下! わたくしめも今から国王陛下に、朝のご挨拶にうかがうところでした。その前にお会いできて良かった」

「ああ、デザストル公。おはようございます」

 アイヴァンはいつもの社交的な笑みを浮かべる。だがその心中では、小太りのデザストルこうしやくけいかいしていた。

 デザストル公爵は、魔導書に多く用いられるせんりようや宝石の産地を所有しており、金持ちであると同時に野心家であった。

 より多くの富とめいを求めるデザストル公爵。

 質素なで立ちを好み、派手さをきらう国王に挨拶をしに行こうというのに、十本の太い指すべてにきよだいな宝石をはめているところが、この公爵のはんこう的な態度を物語っていた。

「殿下はちかごろひんぱんに図書館へ足を運ばれているとか。どうでしょう、何か使えそうな魔術は見つかりましたか」

「いや、私は魔術については門外漢なものですから。今はただ、図書館の規模と歴史にあつとうされるばかりですよ」

「何しろ建国当初、千年も前からきつりつするだいな建築物──いえ、魔術機構ですからなあ。そこに収められた魔術の知識や技術は、金にえられるものではございません」

 ですから、とデザストル公爵はねっとりとした口調で言う。

「国王陛下が、知識や技術を簡単に国外に提供してしまわれるのは、少々おやさしすぎると思うのですよ。殿下が国王になられたあかつきには、もっと図書館の規制を強化してもらわなければなりませんね」

「規制、ですか」

「ええ、これ以上知識を流出させないよう、われらの手で食い止めねばなりません。取り急ぎあの大きな顔をした図書館長をはいし、より厳格で国のことを考えている人間をトップにえるべきでしょうな。そうしなければ、我が国の知識をたんたんねらう国々から、我が国を守ることはできない」

 これが本音なのだ、とアイヴァンは心中でため息をつく。

「私たちは、他国と剣を交えることをおそれてはなりません。私たちの祖先が築き上げたこの国を守るためならば、図書館の知識や技術をより有効活用するべきです」

「公のお考えも分かりますが、戦争となればばくだいな金がかかるものです」

「戦争、とまでは申しておりませんが、必要とあればきようこうな態度に出るべきでしょうな」

 白々しい物言いにアイヴァンはあきれる。

 戦争となれば魔導書が多く生産される。そうすれば、魔導書に使われる材料の産地であるデザストル家はとくじゆに栄え、発言力も大きくなるだろう。

 この小太りの男は、それを狙っているのだった。

 アイヴァンは父王がどれほど心をくだいて今の平和をしているか、よく知っていた。様々な苦難にえ、根気強く他国とのこうしようを重ね、ようやく戦火のない二十年を過ごすことができたのだ。

 それを、貴族の私利私欲のために台無しにされることだけは、けたかった。

「デザストル公。父は戦争を好みません」

「存じ上げております。だが国王陛下も、必要とあれば剣を取られるでしょう」

「その必要が生じないように、私たち王族は日々いそがしく動き回っているのですよ」

 あくまでおだやかな口調をくずさずに言い残すと、アイヴァンはさっさとろうを歩きだした。

「ああ、殿下! 今度のとう会には、我がむすめも参加させて頂くことになりました。その際はどうぞ、ダンスのお相手をして頂きたく……!」

 全てを言い終わるより早く、アイヴァンは角を曲がって姿を消した。

 足早に食堂へ向かうその道中、かべかざられた鏡に映った自分の顔を見てしようする。いらちをあらわにした顔は、王族が人前ですべきものではない。

 穏やかで、けれどあなどられないようけんを持ったいつもの表情を作り直し、アイヴァンはつぶやいた。

「早く〝彼女〟ののこしたヒントを見つけなければ」

 そのためにも図書館通いは欠かせない。

 図書館でアイヴァンを待っているであろう『魔術師』のことを思い出すと、アイヴァンの口元は自然と緩んだ。

 しよせますきを器用にって歩くがらな体に、ふわふわの愛らしい赤毛。人見知りゆえか、いブルーのひとみと視線が合うことはめつにないが、本のことについて語る時には、その目がきらきらとかがやくのをアイヴァンは知っている。

 ひとぎらいでがんな性格なのかと思いきや、アイヴァンが足しげく図書館に通い、エクシアが読みたくても読めなかった本を王族特権で見せてやると、あっさりなつかれた。

 エクシアの目的はあくまで本。アイヴァンが第一王子であることや、それにまつわる権力のあれこれには、全く興味がないらしい。

 それがアイヴァンを安心させてくれる。少なくともエクシアの前では、王族らしいいはしなくていいし、利害関係を気にしなくて済む。

「それがどれだけ安らぐことか、あの小さなはりねずみは知らないだろうがな」

 そう独りちると、アイヴァンは再び王宮の廊下を進み始めた。


    ● ● ●


 その日も、アイヴァンとエクシアは図書館で会う約束をしていた。

 アイヴァンの予定は分刻みだが、時折ぽっかり空くこともあるのだという。そのような時はエクシアにせいれい便を飛ばして、予定の調整を進める。

 よほど急ぎの仕事が無い限り、エクシアはアイヴァンと会う方を優先していた。アイヴァンの方がぼうだということもあるし、自分では見られない本を見たいという下心のためでもある。

 約束の時間が近づき、エクシアは仕事部屋を出て三階に向かった。

 三階のえつらんスペースでは、アイヴァンが一人でこしかけていた。図書館内を歩む人々の姿を、見るともなしにながめているようだ。

(ああやって人の動きを眺めるのって、結構楽しいのよね。回遊する魚を眺める時に似てる。思考がぼうっとりんかくを失って、あちらこちらに引きばされてゆくのが分かる感じ)

 アイヴァンも同じ感覚を味わっているのだろうか。

 そんな想像をめぐらせながらそろそろ声をかけようか、と思った時、アイヴァンの目の前を何体かのオートマタが通りすぎて行った。いずれも重たそうな石板を背中に背負っている。

「器用なものだな。あんな重い物を運んでも落とさないのか」

 アイヴァンがそう呟くと、一体のオートマタが、アイヴァンの前で立ち止まった。小首をかしげてアイヴァンの顔を見上げている。

『び、び』

(あの声は、ビビね。アイヴァンの顔を覚えているから止まったのかしら)

 アイヴァンはいぶかしむように首を傾げたが、ビビの識別番号を見て分かったらしい。

「88B……ああ、エクシアと親しくしている個体か」

『びっ』

 オートマタはルビーの目をめいめつさせると、しげしげとアイヴァンを見つめた。

「今エクシアと待ち合わせしているところなんだ。私が一人でいてはまずいか?」

『びーび』

「ふむ、何を言っているかさっぱり分からん。しかし君はほかの個体に比べるとずいぶんきしむんだな。ちゃんと関節に油を差しているか?」

 ビビとに会話するアイヴァンはおもしろくて、もっと見ていたかったが、そろそろ声をかけても良いだろう。そう思ってエクシアは口を開く。

「その子はなぜか油を差しても軋んじゃうのよ」

 アイヴァンが立ち上がる。王族を待たせてしまったことについて、まずは謝るべきだろう。

「こんにちは、アイヴァン。待たせてしまってごめんなさい」

「油を差しても軋んでしまうとは、体を変えた方が良いのではないか? 図書館内で軋む音がするとうるさいだろう」

「音を立ててくれた方がありがたいって人もいるのよ。みんな本に夢中で前を見てないから、オートマタがあまりにも静かすぎると、ちがえてばしちゃうこともあるの」

 そう言うとエクシアはオートマタの前にしゃがみ込み、指先に赤いりよくともしてあたえた。

「ビビ、お仕事がんってね」

『びっ!』

 ビビは、びしっと足を上げると、仲間たちの後を追って走り出した。それでも背中の石板がびくともしないのは、さすが図書館の技術である。

「魔力をやるとは、随分あの個体を可愛かわいがっているんだな」

「なぜか懐かれてる気がするのよね。それに、あの子どこかけてる感じがして、可愛いじゃない?」

 アイヴァンはにやりと笑った。

「はりねずみとが仲良くなる童話が昔あったよな」

「あったけど……。また人のことはりねずみって言う」

めてるんだよ。はりねずみは、木の間をちょこちょこ歩き回る、小さくてかしこくて可愛らしい生き物だろう」

「その代わり、とげがあるから近づいてくる人もいないけどね」

「賢くて可愛いことは認めるわけだ」

「『魔術師』を名乗る以上、最低限の賢さはあるつもり。可愛さは……まあ、あなたにとっては小さいものは全部可愛く見えるんでしょ」

 言い返したエクシアは、自分が第一王子とこれほど気安く口をいていることが、いまだに信じられなかった。

 エクシアがこうしてアイヴァンに図書館を案内するのは、もう十回をえている。

 丁寧な言葉遣いを心がけていたエクシアだったが、アイヴァンが何度も敬語を取るように言うので、根負けしてその通りにした。

 最初の方こそ、王族相手に敬語を使わないことへのためらいはあったが、敬語を使うとアイヴァンがつまらなそうな顔をすることに気づいてからは、気にしないでいることにした。

 もちろん、図書館の外に出て、護衛のこの兵たちがいる前では、身分をわきまえ、れいただしく振る舞っている。だが図書館というエクシアのテリトリー内では、二人は飾らない会話を好んだ。

(第一王子相手にこんな話し方ができるなんて、自分でもびっくりだけど……。でもきっと相手がアイヴァンだからでしょうね。王様になる人は、やっぱり人心しようあく? っていうのが上手うまいんだわ)

「さて、今日はどこを案内してくれる?」

「この間は地下七階に行ったのよね。だから今日はもう一つもぐって、地下八階にある感情のたなの辺りはどうかしら」

「そこには君の見たい禁書がうなるほどあるのかな?」

 エクシアの下心などとっくにバレている。だからエクシアも、悪びれることなく、見たい禁書を指折り数える。

「私が見たいのは『カロスの石板』と『いろの巻物』かしらね。どちらもすごく興味深い素材で作られてるっていうし、魔術的な価値も高い。──でも、相変わらずあなたが何を探しているかは教えてくれないのね」

「俺はただ図書館のことを知りたいだけだよ」

「ふうん? なら、そういうことにしておきましょうか」

「それが良い。知らない方が良いこともあるんだ。王宮は最近ぶつそうだからな」

 二人はエクシアの先導でゆっくりと歩き出す。

「デザストルこうしやくを知っているか?」

「デザストル領主でしょう。魔導書に必要不可欠なせんりようや素材が多く採取できる場所で、特にラピスラズリやピジョンブラッドのような宝石類は、ほとんどデザストル領でさいくつされるって聞いてる」

「魔導書関連の収入で、ちかごろは大分りが良いらしい。だが彼は、自分のさいをもっと太らせたいらしくてな」

「……どういうこと」

「戦争を始めたがっている。具体的に言うと、せんとう魔術に関する魔導書に使う素材を高く売ることで、ふところうるおしたがっている」

 エクシアはため息をついた。

「次の展開は読めてる。だから図書館に、他国のしんりやくに使えそうな魔導書を差し出せ、とかいうんでしょ。効率的に税金を取る方法とか、相手のぼうぎよくぐってこうげきを届かせる方法とか、時間を巻きもどして失敗に終わった作戦をなかったことにする方法とか、そういうのが知りたいわけよね」

「さすがは『魔術師』。先の展開を読むのは得意分野か」

り返されてきた議論なだけよ」

 図書館と王宮は、ここ五十年ほどは対立関係にある。図書館は独立を保ちたいが、王宮は図書館の知識や技術を自由に使いたい。両者のおもわくがぶつかりあっている。

「ねえ、ミルカ・ハッキネンというひとを知っている?」

「当然だ。彼女は百年前のおうだろう。家系図で言えば俺の祖先だ」

「そう、王妃でありながら、図書館長も務めたひと。今では図書館と王宮は対立気味だけれど、両者が手を取り合っていた頃もあったのよね」

 ミルカ・ハッキネンは、他国との戦争を止めるために戦い、命を落とした。彼女は国民だけではなく、ノーザンクロス王国内にある図書館をも戦火から守ったので、図書館においては守護聖人のようにあつかわれている人物だ。

「彼女の名前は王宮でもよく知られている。王宮に様々な調度品や美術品を持ち込み、流行を作った才女として名高い」

「センスが良かったのよね。ミルカがのこした写本がいくつかあるけれど、どれもらしい出来だった。平和と本を愛した彼女の名にけて、私たち図書館の人間は、ここの魔術を戦争なんかに使わせない」

 いつになく強い口調で宣言するエクシアに、アイヴァンはあんしたような表情になった。だがそれもつかの間、すぐにくちびるを引き結び、第一王子としての使命感を帯びた顔になる。

「当然だ。……だから、どうにかしてデザストル公爵のくわだてをしなければ」

 エクシアはちらりとアイヴァンの横顔を見た。

(きっとアイヴァンが探しているものは、デザストル公爵の戦争をして私腹を肥やしたいってたくらみを打ちくだくためのものなんじゃないかしら? だけど、そんなものが図書館にあるなんて聞いたことがない。複雑なじようきようを一気に解決してしまうような、夢みたいな魔導書があるとかかしら……?)

 それはどんな材質でできた書物なのだろうか。あるいは石板、もしくは木簡に書かれたものかもしれない。図書館に収められる形であるなら、エクシアは何だって興味がある。

「ああ、そう言えば君のことを王宮で聞いたよ」

「王宮で? どうして? な、何か悪いうわさでも……!?」

ちがう。君の写本が見事だという話だ。王宮の植物園に、病気になったりんの木があったんだが、それを君が写本したどうしよで見事にりようできたのだと聞いた」

「確かに、前に植物の病気を治すための魔導書を写本したけど」

「あの林檎の木は同盟国からおくられた特別な品で、らすわけにはいかなかったんだ。とても助かったときゆうてい魔術師が言っていたよ」

 宮廷魔術師とは、王宮専属の魔術師のことだ。魔術を用いて王族を助けることを生業なりわいとしており、図書館の『魔術師』のような資格職ではない。

 その魔導書の原本は、見た目はとても簡素で、最低限の素材しか使われていなかった。しかしかんじんの中身が物凄くのうみつで、エクシアがめずらしく熱を出してしまうほど、難解な魔導書だった。

 しかも原本はこの図書館に長く置いておけず、持ち主のもとへ早く返す必要があったため、なおさら大変だったのだ。

「原本の魔導書が良かっただけでしょう。私のがらじゃないわ」

「もちろん元の魔導書もすぐれていたのだろう。だがその優れた魔術をこの国に保管し、役立てられたのは、君のうでがあったからだ」

 魔導書の写本というのは、一言一句たがえずに書き写せばよいというものではない。

 何がその魔導書の効果を発揮させているのか、それを知らなければ、ただの文字の書き写しになってしまうし、元の魔導書のれつ版となってしまうのだ。

 重要なのは本の素材なのか、中身なのか、文字の並びなのか。それらをきわめ、かんどころを押さえた写本を行わなければ、原本とそっくり同じ効果を持たせることはできない。

「君の写本は、原本と違わぬ効果を持つことで有名なんだろう? 君は『魔術師』としての才能があるんだな」

「いつも思うけど、アイヴァンは持ち上げすぎ。私と同じくらい写本ができる人はいっぱいいるし、私にそれだけの才能があったらいまごろ『上級魔術師』試験に合格してるはず」

「ああ、二回落ちたっていう?」

「そ、それは言わないで」

 連続不合格をらった心の傷は、まだえていないのだ。

「落ちた理由は何なんだ?」

「面接だって。でも図書館長は、具体的にどこがだったのかは教えてくれなかったけど」

 アイヴァンはふむ、と考え込むような顔をしていたが、とうとつによそ行きのみをかべて手をり始めた。

(な、何!?)

「やあクリスティン! 元気にしていたかな」

「ああ、殿でん。今日も図書館通いですか」

 図書館の『魔術師』だ。三十代の男性で、エクシアもたまにすれ違うことがある。

 アイヴァンは彼に近づくと、親しそうな笑みを浮かべてたずねた。

「この間言っていた、はちのダンスに関するしよせきの研究は進んだかい」

「ええ、あれから進展があったんですよ! 蜂のダンスをめんで表している巻物が東洋にあって、それを読むことができたんです。ただその譜面の解読も難しそうなのですが」

(東洋の譜面……)

 エクシアは、二人が親しそうに言葉をわすのをじっと聞いていたが、やがておずおずと口を開いた。

「あ、あの、東洋の譜面って、おんではなく文字を用いるものですよね?」

「そうです。その文字の解読がなかなかはかどらず」

「二階のりんたなの五番目、三七九番にある『ごと入門』という書物が役立つかもです。あの巻物には、初心者を補助する役目があって、文字を音符にほんやくしてくれる術式が込められているので。も、もちろんせんぱいはもう読んでいると思うんですけど!」

 エクシアの言葉に、クリスティンはいつしゆんあつに取られたような顔をしていたが、

「『音琴入門』か……。それは読んだことがありませんでした。文字を音符に翻訳してくれるとはありがたい」

 と答えた。

「あの、でも、かんぺきな翻訳じゃないみたいなんです。補助的に使う分には、問題ないかと思うんですけど」

「補助的で十分です。いや、良いことを聞きました。ありがとうミス・フィラデルフィア!」

 クリスティンはいそいそと二階の方へ向かって行った。

「さすがは最年少『魔術師』だけのことはある。先輩にアドバイスするとはな?」

ぐうぜん知ってただけ。それよりもアイヴァンが、あの人の研究テーマを知ってたことの方がおどろきよ。あの人の顔は何となく知ってたけど、名前も研究テーマも知らなかった」

「せっかく我が国がほこる頭脳がこの図書館にはそろってるんだ。立ち話くらいするだろう。まあ大体いやな顔をされるけどな。研究テーマまで話してくれたのはクリスティンくらいだ」

 王宮と図書館は対立しているので、図書館の住人たちは、王宮をぎらいする者も多い。アイヴァンと歩いていると、すれ違う人間がこつに視線を投げかけてくるくらいだ。

「それでもめげずに話しかけるなんてすごい。それに、王宮でも色んな人と会うんでしょう? みんなの話を全部覚えてるの?」

 アイヴァンは笑ってうなずき、事もなげに言った。

「それが国王になるということだ」

(何気なく言うけど、やっぱりすごい……。私は同じ図書館に勤めてるのに、あの人の名前さえ知らなかった。知ろうともしなかった。向こうは私の名前を知っていたのに)

 何だか自分がとても子どもっぽく感じられて、エクシアはうつむいた。

(面接で落ちたのって、もしかしてこのせいかしら。人のことを知ろうとしなすぎた? でも、写本をするのに人と話したり議論したりするのって、本当に必要なのかしら。本を読めば全部解決するんだし、わざわざ人と話す時間がもったいなくない?)

 もんもんと考え込んでいると、アイヴァンがエクシアの顔をのぞき込んできた。

だいじようか? そろそろ先へ進みたいのだが」

「あ、ええ、大丈夫よ。行きましょ」

 エクシアは地下八階へ向かうためのルートを考えながら歩き始めた。

 地下二階へ降りる所で、遠くで重いものが落下するようなドォンという音が聞こえた。

(階段が動いた……ってことは、この先のルートは使えないから、かいして横穴を通ろう)

 そう思いながら右へ曲がると、ローブを着た女性と出くわした。派手なきんぱつの女性は、何度かすれ違ったことのある『上級魔術師』だった。確か、アナベルと呼ばれていたような気がする、とエクシアは思い出す。

「あ。横穴使おうとしてる?」

「は、はいっ」

めといたほうがいいかも。そう中みたいで、めちゃくちゃきたなかった」

「そ、そうですか。……教えてくれて、ありがとう、ございます」

 ぼそぼそと礼を言うと、アナベルはにっこり笑って、

「図書館内はルート変わりまくるし、情報こうかんひつでしょ! 気にしないで!」

 と去っていった。

「横穴が使えないとなると、地下一階までもどらないといけないかも」

「図書館散策も大変だな。ただ図書館を利用したいだけのいつぱん学生はどうしたら良いんだ」

「一階から三階までは一般開放されてるから安心して。会議室や自習室はつうに使えるし、わななんかもないから」

 歩き出そうとするエクシアのわきばらを、アイヴァンがつつく。

 彼の視線の先を見れば、エクシアと同じ横穴を通ろうとしている初老の『魔術師』の姿があった。エクシアは迷う。

(横穴は掃除中で汚いからやめた方が良いって言った方が良いかな? でも、急いでたら多少汚くても良いって思ってるかもしれないし……)

 なやんでいる間も『魔術師』はすたすたと行ってしまう。

「あ、あの!」

「何か?」

 振り返った『魔術師』はげんそうで、エクシアは一瞬言葉を失った。だが、話しかけた以上は言葉を続けなければ。

「よ、横穴、掃除中だそうで、汚いって、あの、言われました」

「ああ……。まあ、多少汚いくらいなら何とかなるだろ」

 そう言うと『魔術師』は横穴に行ってしまった。はあ、とため息をつくエクシアを、アイヴァンはしようしながらねぎらう。

がんったな。声かけるの、勇気がいっただろ」

「……別に。業務れんらくくらいなら、できるもの」

(ほんとは、結構きんちようした。でもこれをアイヴァンはずっとやってるのよね)

 いやな顔をされるかも、きよぜつされるかも、自分のことを受け入れてもらえないかも。

 そういったおそれなど、彼はもはや感じないのかもしれない。

 と、アイヴァンがエクシアの背中をぽんっとたたいた。それははげますような、よくやったとでもいうようなやさしさがふくまれていて、エクシアはアイヴァンのめんどうの良さに心の中ではくしゆを送った。

(第一王子って、もっと高飛車な感じだと思ってたけど、アイヴァンは何だかちがう)

 だが、この兵と接するアイヴァンは、第一王子らしいげんに満ちていて、エクシアの前で見せるような面倒見の良さはない。

 他人とのきよかんを自在に調節できるのは、アイヴァンの才能とも言っていい長所だが、それで彼は良いのだろうかとエクシアは思った。

(本当のアイヴァンはどっちなんだろう)

 エクシアがそう考えていると、アイヴァンがさとすように言った。

「エクシアには才能がある。どうしよに関する知識だって、年上にアドバイスできるくらいなんだから、相当なものだろう?」

「皆が人付き合いに使ってる時間を、本を読むのに使ってただけ。すごいことじゃないわ」

「だったら、それを皆に共有するのも大事な仕事だと思うぞ。まあ、今は俺の案内をしてくれると助かるんだがな」

 アイヴァンの言う通りだ。『魔術師』として、図書館を案内するのが、今エクシアが優先すべきことである。

 気合いを入れ直したエクシアは、張り切って一歩をみ出した。

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王立図書館のはりねずみ ひきこもり魔術師と王子の探し物 雨宮いろり/角川ビーンズ文庫 @beans

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