二章
王宮において、貴族や王族は一枚岩ではない。
現在のノーザンクロス王国の国王は、平和路線を
だが、その態度を
アイヴァンが父王への朝の
「ごきげん
「ああ、デザストル公。おはようございます」
アイヴァンはいつもの社交的な笑みを浮かべる。だがその心中では、小太りのデザストル
デザストル公爵は、魔導書に多く用いられる
より多くの富と
質素な
「殿下は
「いや、私は魔術については門外漢なものですから。今はただ、図書館の規模と歴史に
「何しろ建国当初、千年も前から
ですから、とデザストル公爵はねっとりとした口調で言う。
「国王陛下が、知識や技術を簡単に国外に提供してしまわれるのは、少々お
「規制、ですか」
「ええ、これ以上知識を流出させないよう、
これが本音なのだ、とアイヴァンは心中でため息をつく。
「私たちは、他国と剣を交えることを
「公のお考えも分かりますが、戦争となれば
「戦争、とまでは申しておりませんが、必要とあれば
白々しい物言いにアイヴァンは
戦争となれば魔導書が多く生産される。そうすれば、魔導書に使われる材料の産地であるデザストル家は
この小太りの男は、それを狙っているのだった。
アイヴァンは父王がどれほど心を
それを、貴族の私利私欲のために台無しにされることだけは、
「デザストル公。父は戦争を好みません」
「存じ上げております。だが国王陛下も、必要とあれば剣を取られるでしょう」
「その必要が生じないように、私たち王族は日々
あくまで
「ああ、殿下! 今度の
全てを言い終わるより早く、アイヴァンは角を曲がって姿を消した。
足早に食堂へ向かうその道中、
穏やかで、けれど
「早く〝彼女〟の
そのためにも図書館通いは欠かせない。
図書館でアイヴァンを待っているであろう『魔術師』のことを思い出すと、アイヴァンの口元は自然と緩んだ。
エクシアの目的はあくまで本。アイヴァンが第一王子であることや、それにまつわる権力のあれこれには、全く興味がないらしい。
それがアイヴァンを安心させてくれる。少なくともエクシアの前では、王族らしい
「それがどれだけ安らぐことか、あの小さなはりねずみは知らないだろうがな」
そう独り
● ● ●
その日も、アイヴァンとエクシアは図書館で会う約束をしていた。
アイヴァンの予定は分刻みだが、時折ぽっかり空くこともあるのだという。そのような時はエクシアに
よほど急ぎの仕事が無い限り、エクシアはアイヴァンと会う方を優先していた。アイヴァンの方が
約束の時間が近づき、エクシアは仕事部屋を出て三階に向かった。
三階の
(ああやって人の動きを眺めるのって、結構楽しいのよね。回遊する魚を眺める時に似てる。思考がぼうっと
アイヴァンも同じ感覚を味わっているのだろうか。
そんな想像をめぐらせながらそろそろ声をかけようか、と思った時、アイヴァンの目の前を何体かのオートマタが通りすぎて行った。いずれも重たそうな石板を背中に背負っている。
「器用なものだな。あんな重い物を運んでも落とさないのか」
アイヴァンがそう呟くと、一体のオートマタが、アイヴァンの前で立ち止まった。小首を
『び、び』
(あの声は、ビビね。アイヴァンの顔を覚えているから止まったのかしら)
アイヴァンは
「88B……ああ、エクシアと親しくしている個体か」
『びっ』
オートマタはルビーの目を
「今エクシアと待ち合わせしているところなんだ。私が一人でいてはまずいか?」
『びーび』
「ふむ、何を言っているかさっぱり分からん。しかし君は
ビビと
「その子はなぜか油を差しても軋んじゃうのよ」
アイヴァンが立ち上がる。王族を待たせてしまったことについて、まずは謝るべきだろう。
「こんにちは、アイヴァン。待たせてしまってごめんなさい」
「油を差しても軋んでしまうとは、体を変えた方が良いのではないか? 図書館内で軋む音がするとうるさいだろう」
「音を立ててくれた方がありがたいって人もいるのよ。
そう言うとエクシアはオートマタの前にしゃがみ込み、指先に赤い
「ビビ、お仕事
『びっ!』
ビビは、びしっと足を上げると、仲間たちの後を追って走り出した。それでも背中の石板がびくともしないのは、さすが図書館の技術である。
「魔力をやるとは、随分あの個体を
「なぜか懐かれてる気がするのよね。それに、あの子どこか
アイヴァンはにやりと笑った。
「はりねずみと
「あったけど……。また人のことはりねずみって言う」
「
「その代わり、
「賢くて可愛いことは認めるわけだ」
「『魔術師』を名乗る以上、最低限の賢さはあるつもり。可愛さは……まあ、あなたにとっては小さいものは全部可愛く見えるんでしょ」
言い返したエクシアは、自分が第一王子とこれほど気安く口を
エクシアがこうしてアイヴァンに図書館を案内するのは、もう十回を
丁寧な言葉遣いを心がけていたエクシアだったが、アイヴァンが何度も敬語を取るように言うので、根負けしてその通りにした。
最初の方こそ、王族相手に敬語を使わないことへのためらいはあったが、敬語を使うとアイヴァンがつまらなそうな顔をすることに気づいてからは、気にしないでいることにした。
もちろん、図書館の外に出て、護衛の
(第一王子相手にこんな話し方ができるなんて、自分でもびっくりだけど……。でもきっと相手がアイヴァンだからでしょうね。王様になる人は、やっぱり人心
「さて、今日はどこを案内してくれる?」
「この間は地下七階に行ったのよね。だから今日はもう一つもぐって、地下八階にある感情の
「そこには君の見たい禁書が
エクシアの下心などとっくにバレている。だからエクシアも、悪びれることなく、見たい禁書を指折り数える。
「私が見たいのは『カロスの石板』と『
「俺はただ図書館のことを知りたいだけだよ」
「ふうん? なら、そういうことにしておきましょうか」
「それが良い。知らない方が良いこともあるんだ。王宮は最近
二人はエクシアの先導でゆっくりと歩き出す。
「デザストル
「デザストル領主でしょう。魔導書に必要不可欠な
「魔導書関連の収入で、
「……どういうこと」
「戦争を始めたがっている。具体的に言うと、
エクシアはため息をついた。
「次の展開は読めてる。だから図書館に、他国の
「さすがは『魔術師』。先の展開を読むのは得意分野か」
「
図書館と王宮は、ここ五十年ほどは対立関係にある。図書館は独立を保ちたいが、王宮は図書館の知識や技術を自由に使いたい。両者の
「ねえ、ミルカ・ハッキネンというひとを知っている?」
「当然だ。彼女は百年前の
「そう、王妃でありながら、図書館長も務めたひと。今では図書館と王宮は対立気味だけれど、両者が手を取り合っていた頃もあったのよね」
ミルカ・ハッキネンは、他国との戦争を止めるために戦い、命を落とした。彼女は国民だけではなく、ノーザンクロス王国内にある図書館をも戦火から守ったので、図書館においては守護聖人のように
「彼女の名前は王宮でもよく知られている。王宮に様々な調度品や美術品を持ち込み、流行を作った才女として名高い」
「センスが良かったのよね。ミルカが
いつになく強い口調で宣言するエクシアに、アイヴァンは
「当然だ。……だから、どうにかしてデザストル公爵の
エクシアはちらりとアイヴァンの横顔を見た。
(きっとアイヴァンが探しているものは、デザストル公爵の戦争をして私腹を肥やしたいって
それはどんな材質でできた書物なのだろうか。あるいは石板、もしくは木簡に書かれたものかもしれない。図書館に収められる形であるなら、エクシアは何だって興味がある。
「ああ、そう言えば君のことを王宮で聞いたよ」
「王宮で? どうして? な、何か悪い
「
「確かに、前に植物の病気を治すための魔導書を写本したけど」
「あの林檎の木は同盟国から
宮廷魔術師とは、王宮専属の魔術師のことだ。魔術を用いて王族を助けることを
その魔導書の原本は、見た目はとても簡素で、最低限の素材しか使われていなかった。しかし
しかも原本はこの図書館に長く置いておけず、持ち主のもとへ早く返す必要があったため、なおさら大変だったのだ。
「原本の魔導書が良かっただけでしょう。私の
「もちろん元の魔導書も
魔導書の写本というのは、一言一句
何がその魔導書の効果を発揮させているのか、それを知らなければ、ただの文字の書き写しになってしまうし、元の魔導書の
重要なのは本の素材なのか、中身なのか、文字の並びなのか。それらを
「君の写本は、原本と違わぬ効果を持つことで有名なんだろう? 君は『魔術師』としての才能があるんだな」
「いつも思うけど、アイヴァンは持ち上げすぎ。私と同じくらい写本ができる人はいっぱいいるし、私にそれだけの才能があったら
「ああ、二回落ちたっていう?」
「そ、それは言わないで」
連続不合格を
「落ちた理由は何なんだ?」
「面接だって。でも図書館長は、具体的にどこが
アイヴァンはふむ、と考え込むような顔をしていたが、
(な、何!?)
「やあクリスティン! 元気にしていたかな」
「ああ、
図書館の『魔術師』だ。三十代の男性で、エクシアもたまにすれ違うことがある。
アイヴァンは彼に近づくと、親しそうな笑みを浮かべて
「この間言っていた、
「ええ、あれから進展があったんですよ! 蜂のダンスを
(東洋の譜面……)
エクシアは、二人が親しそうに言葉を
「あ、あの、東洋の譜面って、
「そうです。その文字の解読がなかなかはかどらず」
「二階の
エクシアの言葉に、クリスティンは
「『音琴入門』か……。それは読んだことがありませんでした。文字を音符に翻訳してくれるとはありがたい」
と答えた。
「あの、でも、
「補助的で十分です。いや、良いことを聞きました。ありがとうミス・フィラデルフィア!」
クリスティンはいそいそと二階の方へ向かって行った。
「さすがは最年少『魔術師』だけのことはある。先輩にアドバイスするとはな?」
「
「せっかく我が国が
王宮と図書館は対立しているので、図書館の住人たちは、王宮を
「それでもめげずに話しかけるなんてすごい。それに、王宮でも色んな人と会うんでしょう?
アイヴァンは笑って
「それが国王になるということだ」
(何気なく言うけど、やっぱりすごい……。私は同じ図書館に勤めてるのに、あの人の名前さえ知らなかった。知ろうともしなかった。向こうは私の名前を知っていたのに)
何だか自分がとても子どもっぽく感じられて、エクシアは
(面接で落ちたのって、もしかしてこのせいかしら。人のことを知ろうとしなすぎた? でも、写本をするのに人と話したり議論したりするのって、本当に必要なのかしら。本を読めば全部解決するんだし、わざわざ人と話す時間がもったいなくない?)
「
「あ、ええ、大丈夫よ。行きましょ」
エクシアは地下八階へ向かうためのルートを考えながら歩き始めた。
地下二階へ降りる所で、遠くで重いものが落下するようなドォンという音が聞こえた。
(階段が動いた……ってことは、この先のルートは使えないから、
そう思いながら右へ曲がると、ローブを着た女性と出くわした。派手な
「あ。横穴使おうとしてる?」
「は、はいっ」
「
「そ、そうですか。……教えてくれて、ありがとう、ございます」
ぼそぼそと礼を言うと、アナベルはにっこり笑って、
「図書館内はルート変わりまくるし、情報
と去っていった。
「横穴が使えないとなると、地下一階まで
「図書館散策も大変だな。ただ図書館を利用したいだけの
「一階から三階までは一般開放されてるから安心して。会議室や自習室は
歩き出そうとするエクシアの
彼の視線の先を見れば、エクシアと同じ横穴を通ろうとしている初老の『魔術師』の姿があった。エクシアは迷う。
(横穴は掃除中で汚いからやめた方が良いって言った方が良いかな? でも、急いでたら多少汚くても良いって思ってるかもしれないし……)
「あ、あの!」
「何か?」
振り返った『魔術師』は
「よ、横穴、掃除中だそうで、汚いって、あの、言われました」
「ああ……。まあ、多少汚いくらいなら何とかなるだろ」
そう言うと『魔術師』は横穴に行ってしまった。はあ、とため息をつくエクシアを、アイヴァンは
「
「……別に。業務
(ほんとは、結構
そういった
と、アイヴァンがエクシアの背中をぽんっと
(第一王子って、もっと高飛車な感じだと思ってたけど、アイヴァンは何だか
だが、
他人との
(本当のアイヴァンはどっちなんだろう)
エクシアがそう考えていると、アイヴァンが
「エクシアには才能がある。
「皆が人付き合いに使ってる時間を、本を読むのに使ってただけ。
「だったら、それを皆に共有するのも大事な仕事だと思うぞ。まあ、今は俺の案内をしてくれると助かるんだがな」
アイヴァンの言う通りだ。『魔術師』として、図書館を案内するのが、今エクシアが優先すべきことである。
気合いを入れ直したエクシアは、張り切って一歩を
王立図書館のはりねずみ ひきこもり魔術師と王子の探し物 雨宮いろり/角川ビーンズ文庫 @beans
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