一章②

 エクシアは十九歳。すでにノーザンクロス王立学園を卒業した身だが、図書館付きの『魔術師』であるため、王立学園のしき内できしている。

 職員用のりようの部屋、山積みになっている本をたおさないよう気をつけながら、エクシアは鏡をのぞき込んで身づくろいをする。

 ふわふわの、ねこの毛のようにやわらかな赤毛は、肩の辺りまでのびている。海のような、あるいは空のような青い目は少し垂れ気味で、いつもねむたそうに見えると姉からからかわれていた。

 身長は、かなり小さい。最初に支給されたローブは大きすぎてすそゆかに引きずってしまい、裾上げをしなければならなかったくらいだ。

 あれは少し、いやかなりずかしかった。

 図書館には特に制服などはないため、い青か黒のシンプルなワンピースを仕事着代わりにしている。これならよごれも目立たないし、何日か同じものを着ていてもバレない。

 気を抜くとすぐねるかみが、今日は落ち着いていることをかくにんしてから、エクシアは図書館に出勤した。

 王立学園は、ようえんから大学まで、はばひろい年代の生徒が通っており、朝からあちこちでにぎやかな声が聞こえている。こくしそうなのか、飛行魔術をかけたほうきにまたがって低空飛行をする生徒をあやういところでけ、おしゃべりに興じている女生徒の群れを早足で追いしながら、職場に向かった。

 晴れでも雨でもうすぐらい図書館に入ると、古書のにおいと修復用の薬品の香りを感じる。

(この暗さ、この匂い……ほっとする。『上級魔術師』試験は落ちちゃったけど、気持ちを切りえて、やらなきゃいけないことに集中しよう)

 エクシアはさつそく仕事部屋に向かい、今日の仕事に取りかった。

『魔術師』の仕事はにわたる。

 既にある魔導書を写本したり、古びた魔導書の修復をしたり、新しく開発された魔術を、魔導書の形に落とし込んだり。

『魔術師』によって得意な分野は異なるが、エクシアは特に完璧な写本をすることで知られていた。

 仕事部屋のはしにある、小さな引き出しがたくさんついたキャビネットを、ばやく開け閉めする。ここには様々な素材が整理されて収められていた。

「ええと、この花ぎれは……。ジルゴッドのつたで編まれてるみたい。確か在庫があったはず……あ、これこれ」

 魔導書はページだけの中身に、革表紙を張って製作することがいつぱん的なのだが、その中身の背の上下りようたんり付ける布を花ぎれという。

 本をじようにするほか、装飾の意味もあるが、魔導書においては、書かれた魔術のりよくや効果を底上げする効果をも持ち得る。

 エクシアは引き出しから細長い蔦を取り出し、写本する魔導書の原本と見比べてみた。

「……これ、色が少しちがうわね。原本の方が、少し色が濃い」

 ルーペで確認し、特殊な試験紙を当てると、色の違いの理由が分かった。

「これ、朝に採ったジルゴッドなんだわ。あさつゆが染み込んでるから、色が濃く見える」

 花ぎれに限らず、朝露が染み込んだり朝日を浴びたりした素材を使用することで、わずかだがりよくのめぐりが良くなるという効果がある。

 この魔導書を作った魔術師の心配りに感動しながら、エクシアは立ち上がった。

「朝採れのジルゴッドを買いに行かなくちゃ」

 ここできようしてつうのジルゴッドを使えば、魔術師の意図を無視することになる。写本するのは、あくまで市場に多く出回っている生活魔術の魔導書であり、貴重な書物ではなかったが、エクシアの写本師としてのプライドが妥協を許さなかった。

 エクシアは小部屋を出、地下三階にある売店へ向かう。

 そこには写本のために必要な数々の道具が並べられており、素材も多くたくわえられている。

 しかしその売店には求める物はなく、エクシアはさらに下の階層へと降りて行った。

 行きう『魔術師』や『上級魔術師』たちの中には、すれ違うエクシアにちらりと視線を投げてきたり、気さくにあいさつをしたりする者がいて、そのたびにエクシアはぎこちなく頭を下げる。

 最年少の『魔術師』として注目を浴びているエクシアだったが、こういったこうの視線は苦手だった。ただでさえ人見知りで、売店の店員と言葉を交わすのもこしが引けるのだ。どうりようと楽しく会話などできるはずもなかった。

 前から来た『魔術師』と目が合い、話しかけられそうになって、エクシアはしよの間に身をすべり込ませる。さもこの書架に用があるふりをしながら、うつむきがちに進んだ。

(……ん? あの人、誰かしら)

 ローブをまとっておらず、王立学園の制服も着ていないぎんぱつの青年が、足早に通路を通ってゆくのが見えた。

 あれほど身なりの良い人間が午前中に歩いているのはめずらしい。おそらくは貴族であろう青年は、供もつけずにさっさと進んでゆく。

 だが、彼が向かう先は、立ち入り禁止区域だ。『上級魔術師』でもえつらんできない本がある場所である。

 立ち入り禁止区域に一般人が足をみ入れようとすると、ようしやなくわなじゆうおそってくる仕組みになっている。警告などはしてくれないのだ。

(一応標識はあるから、立ち入り禁止だって分かるはずなんだけど)

 書架にバツ印のついたタペストリーがかけられており、床にも大きく立ち入り禁止と書かれている。

 エクシアは青年がその標識に気づいてくれることをいのるが、背筋をぴんとばした彼の足取りは緩むことがない。

 思わずその後を追いかけながらも、エクシアは青年にどう声をかけようか迷っていた。

(もしかしたら、危険だってことくらいとっくに分かってるかもだし、最悪おこられちゃうかもしれないし……)

 だが、青年の向かう先が第十八番きんしよだなであることに気づき、そうも言っていられないことを悟った。

(あそこは魔獣の罠があるところ……! あの人、何の武装もしていなそうだし、さすがに止めないとまずいわよね!?)

 エクシアは青年の後ろ姿に向かってさけんだ。

「そ、そこの人、止まって下さぁい……!」

 青年が足を止め、不思議そうにり返る。宝石を思わせる金色のひとみは冷ややかだったが、とにかく止まってくれて良かったと思いながら、エクシアは青年にけ寄った。

「あ、あのですね、そっちの棚は第十八番禁書棚といいまして、許可のない人が立ち入ると魔獣が出現する罠が発動するんです。図書館では申告した魔術以外は使えませんから、魔術で対応しようと思ってもできません」

「そうだったのか。図書館は不慣れなもので、分からなかった」

「一応標識も出てはいたんですけど」

 エクシアが足元の立ち入り禁止の文字を指さすと、青年はああ、と声をらした。

「気づかなかった。考え事をしていたから」

 エクシアはいつしよけんめい言葉を続けた。

「あの、図書館ではあんまり気をかない方が良いと思います。禁じられた場所に勝手に入ると罠が作動しますし、許可がないと入れない場所がたくさんありますから。お供の方をつけた方が良いですよ」

「罠については気をつけておこう。ただ私はどこでも立ち入ることができるから、後者については心配無用だ」

「どこでも立ち入ることができる……?」

 そんなことがあるはずはない。

 この図書館の中をフリーパスで歩けるのは、図書館長か、あるいは──。

「まさか、お、王族の方でいらっしゃいますか……!?」

「一応な」

 エクシアの顔から血の気が引く。まさか王族の人間にこんなところで出くわすとは思ってもみなかったのだ。

 この図書館にはノーザンクロス王国の技術のすいが集められている。ゆえに、王族であればいつでも立ち入り、その技術を学ぶことができるのだ。

 もっとも、図書館の書物は専門的すぎるので、王族がこの権利を行使することはほとんどないと聞いていたが。

 エクシアはあわてて腰を折り、正式なおをする。

「ご、ご無礼をいたしまして」

「無礼なものか。警告してくれたんだろう? 感謝する」

 みをかべると、青年の冷ややかなふんかすかにやわらいだ。

「君は図書館で働いているのか? それにしては若いようだが、いくつだ」

「『魔術師』として働かせて頂いております。エクシア・フィラデルフィアと申します。十九歳です」

「その若さで『魔術師』とは、かなりけんさんを積んでいるようだな。私はアイヴァンという」

 かたほどの長さまで伸ばした銀色のかみに、美しい金色の目。ゆうでありながら、訓練の行き届いた身のこなしは、言われてみれば王族らしい高貴さにあふれている。

 ねんれいはエクシアより少し上くらいだろう。やわらかなものごしおだやかな口調が板についているものの、本心を読ませないかべのようなものが感じられた。

「エクシア、もしこの後用事がないのなら、図書館の中を案内してくれないか」

 この申し出にエクシアはまどった。

 なぜならば、王宮と図書館は対立関係にあるからだ。

 本来であれば助け合い、共に国を治めてゆくはずの二つの組織は、王宮による図書館の能力のさくしゆ、王宮の横暴、そして図書館の秘密主義によって、完全になかたがいしていた。

(王宮の人間が図書館で何か探そうとしても手助けしなかったり、王宮のしきに招かれた図書館側の『上級魔術師』がはじをかかされたり、みたいな対立エピソードには事欠かないのよね……。私はそういうことにあんまり興味はないけれど、図書館の案内をするとなると、ほかの人がいやな顔をするかしら)

 そう思いながらエクシアはおずおずとたずねる。

「どこをご案内すればよろしいのでしょう。何かお探しの書物があるのですか」

「悪いが何を探しているかまでは言えん。だがさきほどのように罠がある場合は、それを教えてもらえると助かるのだが」

 王族のために図書館内を案内する。いわば王族を利するこうを、他の『魔術師』たちはとがめるかもしれない。

 だがエクシアには下心があった。王族が持つ「図書館のどこにでも立ち入れる権利」が、のどから手が出るほど欲しかったのだ。

(この人といつしよにいれば、『魔術師』の立場では入ることもできないあんな本棚や、こんな本棚を、見ることができる……!)

 それが『上級魔術師』試験に落ちたエクシアを大いにりようした。彼女は戸惑うように視線を彷徨さまよわせたが、それもいつしゆんのことだった。

「分かりました。図書館をご案内させて頂きます。もっと深い階層には、複雑な罠もたくさんありますから」

 するとアイヴァンはにこりと微笑ほほえんだ。友好的な表情はまるで仮面のようで、さすがは王族、とエクシアは引きつった笑みを返す。

「それは助かる! 実は入り口でもらいしたんだが、断られてしまってな」

「それはご無礼を……。ですがまあ、仕方のないことといいますか」

「ああ。図書館の人間は王族がきらいだからな」

 ずばりと切り込まれてしまい、エクシアは返事にきゆうする。こういう時に上手うまく切り返すすべを知らないのだ。

(ましてや王族の方相手に、何を話したらいいのかなんて分からないもの)

 エクシアはいつものように口をつぐむと、アイヴァンの前に立ち、静かに歩き出した。


 図書館の内部は迷路のように入り組んでいる。

 階段があちこちにあって、必要以上に歩かされたり、目的のしよにたどり着くまでにわざと遠回りさせられたりするのだ。

「そういえば、そもそも君たち図書館の人間は、どんな仕事をしているんだ?」

「大きな役目は、どうしよの製本および写本ですね。新しい魔術が開発されたら、それを最も効率的に展開できるよう、ふうほどこした魔導書を作成することを製本といいます」

「ああ、王宮にもおかかえの製本師がいる。工程は何となくだが想像できる」

「写本とは、貴重な魔導書が入って来たら、それを正しく書き写すことをいいます。過不足なく書き写すことで、その魔導書に書かれた魔術を正確にコピーすることができるというわけですね。私もその仕事に従事しているところです」

「それをり返すことで、我が国の図書館は、知の宝庫となったわけだな」

 うなずいたエクシアは続ける。

「あとは古くなったしよせきや石板、巻物の修復。それに書籍の貸し出しといったところでしょうか。図書館の建物自体がきよだいな魔術機構でもありますから、それをすることも仕事にふくまれます」

「例えば、先程からすれちがっている、型のオートマタなどか」

「はい。書籍を運ぶことの他に、図書館内部の傷やよごれを発見することも、彼らの仕事に含まれていますね。『機関部』と呼ばれるメンテナンス部隊が管理しています」

 ろうをすれ違うオートマタたちは、勤勉なありのように働いていたが、すれ違うアイヴァンをちら、ちらと見上げている。

 この蜘蛛たちが見たものは『機関部』の人間ももくげきしたことになる。オートマタたちはかんの役割もになっているのだ。

 ちゆうでエクシアが、ある一体のオートマタに向かって手をった。そのオートマタ──おしりのところに「88B」という文字が入っている──は、手を振り返すように二本の足を頭上で振っていた。

「知り合いか?」

「いえ。ただよくお世話になっている個体なので」

 アイヴァンはエクシアの返答に頷くと、人に命じ慣れたこわで言った。

「とりあえず、今立ち入ることができる場所をすべてざっと見てみたい」

「承知いたしました。著名な魔導書をしようかいします」

 図書館が対外的に公開している魔導書が収められている棚を、まるで花から花へ飛びちようのように移動しながら、エクシアはアイヴァンに色々なものを見せた。

 牧歌的な表紙の古書を指し示しながら、すらすらと説明する。

「こちらは二百年前の児童書です。貴族が自分の子どもの警備のために作らせたもので、この魔導書自体に『子どもを守る』という意識が芽生えているな例です」

「魔導書がせいれい化しているということか。そのようなこともあるんだな」

「写本をしても同じ効果は得られないので『魔術師』としてはやつかいな本ですが。こんな所にしまいこんでおくよりは、子どものいる家に置いてあげれば良いのにと思います」

 他にも、持っているだけで酒にったような効果が得られる石板や、『メイドの手引書』というタイトルでありながら、おそろしく高度なそう魔術が書かれている魔導書などを紹介すると、アイヴァンが少しれたようにエクシアを見た。

「私は観光ツアーに来たわけではないんだが」

「分かりやすい魔導書ではなく、価値のある魔導書をご覧になりたい、と?」

 頷くアイヴァンに、エクシアは別のルートを考える。

(王族の人が魔導書のしようさいに興味を持つこともあるのね。王宮から自分の望む魔導書を発注することしかしないと思ってたけど)

 少しは専門的な話をしても問題なさそうだ。そう思ったエクシアは、アイヴァンを図書館のもっと奥へと案内する。

 図書館の奥に足をみ入れるということは、さらに入り組んだ迷路を体験するということでもあった。とびらを開けてもそこにあるのは壁だったり、よく注意しないと気づけない通路があったりする。

 もちろんわなもあちこちにある。一見するとつうのドアノブなのに、れるとみついてきたり、タイル張りの通路では黒いタイルを踏むと、道がざされるけになっていたりするのだ。

 アイヴァンが、どんな罠があるか見たいというので、一度発動したところを見せてやると、驚いたようなうなり声を上げた。そういった罠を全て器用にくぐり、迷わず進んでゆくエクシアに、アイヴァンは感嘆の声を上げた。

「地図もないのに見事なものだな。君に道案内をたのんで正解だった」

 てらいのないめ言葉に、どう答えてよいものか分からず、エクシアはぶつぶつとつぶやく。

「こういった内装になっているのは、しんにゆう者防止のためなんです。図書館内部にある貴重な知識や技術がぬすまれないよう、分かりにくくしているんですね」

「ここを歩いていると、昔城の近くにあったのろいの森を思い出す。何の対策もせずに迷い込むと、永遠に目的地にたどり着けないんだ」

「森というたとえはおもしろいかもしれません。図書館は一つの生命体のように、常にその形を変えていますから。もっとも、法則性はありますけど」

 エクシアはそう言って、今まさにかべの中にもれて行こうとしている扉を指さした。

 出入り口が消えようとしているのに、平然としているエクシアを見て、アイヴァンは不思議そうに首をかしげる。

「これは日常はんなのか?」

「ええ。違うルートで行きましょう」

 本棚の間をすりけようとして、エクシアと同じローブをまとった『魔術師』と目が合う。顔は知っているし何度か図書館内ですれ違ったことがあるが、名前は知らない。

 その青年が、何か言いたそうな顔でエクシアに近づいてきたので、エクシアはあわてて顔をそむけ、きびすを返した。

(知らない人と話すの、苦手すぎる……!)

 別の道を辿たどって、扉に代わるルートを探すが、いつもなら近くにあるはずの階段が見つからなかった。きょろきょろと辺りを見回すエクシアに、アイヴァンがてんじようを指さす。

「探しているのはあの階段か?」

「えっ?」

 見上げると、上ろうと思っていた階段が天井にぴたりとくっついているのが見えた。この図書館では、階段でさえも自在にその位置を変えるのだ。

「あれです。よく気づきましたね」

さきほどすれ違った青年が君に声をかけようとしていたからな。『この先の階段が』とまで言いかけていたのに、君がさっさと行ってしまうから」

 とがめるような口調ではなかったが、エクシアをきようしゆくさせるには十分だった。

「……人と話すの、苦手で」

「フィラデルフィアはくしやくのごれいじようだろう。その社交能力はどうかと思うが」

(うっ。この人、痛いところをいてくるわ……)

 もじもじと指をいじりながら、エクシアは言い訳を考える。

「わ、分かってますよ。ただ子どものころのトラウマが」

「どんなトラウマだ」

「……よくある話です。子どもも招かれたパーティーで、ほかみんなは人形やドレスの話をしているのに、私だけずっと本の話をしてて、それで友達を作れなくて」

 あの時の、水の中でもがいているような感覚がよみがえる。理解を得ようと言葉を重ねれば重ねるほど、周りの少女たちはますますげんそうな顔をするのだ。

『何をおつしやりたいのか全然分からないわ』

『もっと楽しいお話をしましょう?』

 エクシアにとっての「楽しいお話」は、今も昔も本のことだけだ。普通の少女が好むようなものについては何一つ語ることができず、そのせいでりつしてしまった。

「何かひどいことをされたとか、そういうわけではないんです。ただ昔からどうしてもいてしまいがちで、何か言うと変な顔をされてしまうから、あんまり人前でしやべらないようにしているんですが、そうするとおのずと友達もできないわけで」

 初対面の、しかも王族相手に話す内容ではない。

 そう思いながらも言葉を止めることができなかったのは、話を聞くアイヴァンの顔が、想像以上にやさしいものだったからだろう。

(この人なら自分の話を聞いてくれる、っていう不思議な安心感がある。王族の人はもっと冷たいものだと思っていたけど)

 しかし、返答は存外厳しいものだった。

「だが、図書館ここは君の職場だろう。どうりようと言葉を交わすことは、君の仕事の一部でもあるのではないか」

 真っすぐな正論に狼狽うろたえながら、エクシアは反論を試みる。

「で、でも何だか図書館の人たちは皆、私のことをかいなものを見る目で見てくるんです」

「それは君がその若さで『魔術師』だから、きようしんしんなのでは」

「ありえないです。きっと皆、私のことを生意気でちびで赤毛のはりねずみか何かだと思ってるに違いないです……」

 するとアイヴァンは口元を押さえ、かすかに笑った。

「ど、どうして笑うんですか!」

「いや、はりねずみというのが、ぜつみようにぴったりの譬えだと思ってな。背の高いしよの間をちょこちょこと歩いているところなんか、そっくりだった。だれかにそう言われたのか?」

「……昔、父に言われました」

「ああ、お父様はよく分かっていらっしゃる。まあ確かに君は、生意気でちびで赤毛ではりねずみだろうが」

「アイヴァン様もそう思われますか!?」

「だが誰も、それを悪いとは言っていないのではないか」

 静かに告げられた言葉の意味を考えていると、アイヴァンが先をうながす。

(誰も悪いとは言っていない、ですって? ……変な人。大体会ってからそんなにってもいないのに、私のこと全部分かってますみたいな喋り方して、王族の人ってやっぱりえらそうなのね)

 エクシアは余計なことを考えまいと、気持ちを切りえる。

(もっとディープなどうしよを見たいって言うのなら、リクエストにおこたえして、いつもは立ち入れない場所に連れて行っちゃおう! 地下二十階……はさすがにやりすぎだけど、地下五階にも『魔術師』の資格だけじゃ入れない場所があるのよね)

 エクシアはいそいそと地下五階への最短ルートを選んだ。

『魔術師』の資格では入れない場所のたなは、一見すると普通の、背の高い書架だ。だがよく目をらせば、魔術しようへきが展開されているのが分かる。

「こちらの先にある『ヴェソウィの禁書』は、呪いをそなえた魔導書なんですが、その呪いの内容がランダムなんです。ねこに変わったまま一生もどれない呪い、同じ物しか食べられない呪い、一日一回は必ず足の小指をぶつける呪い、心臓がれつしてそくする呪いなどが観測されています」

「あまりにもランダムすぎやしないか? なるほど、禁書指定されるわけだ」

 説明しながらもエクシアはどきどきしている。

 アイヴァンが難なく魔術障壁をとつし、書架の間に入る。おそる恐るエクシアも足を踏み入れてみるが、特に障壁は感じられなかった。

(すごい、私一人じゃ入れない場所って、こんな風になってるのね!)

 興奮しながら書架に並んだ本の背表紙を見つめる。

 ちなみにこの図書館に分類という言葉はない。魔導書や書物を著者順に並べるとか、ジャンルごとに分けるとか、そういった利用者へのはいりよがされた書架はごくわずかだ。

 並んでいる本のタイトルをながめるだけでもうきうきしてしまう。製本・写本にきわった能力を持つエクシアも、書架の森に分け入ればただの本の虫だった。

 アイヴァンが何気なく目を向けたのは、銀色の小さな本だった。他の書物に比べて小さく、ポケットに収まるくらいのサイズなので、目立ったのだろう。

「あ、それが『ヴェソウィの禁書』です。私はその資格がないので手に取れないのですが、アイヴァン様でしたら触れられますよ」

のろいの禁書を手に取れと?」

「手に取るだけで呪われる魔導書であれば、専用のふうがされていますから。それがないということは、れるくらいならだいじようということです。ページも簡単には開けないようになっていますね」

 するとアイヴァンはあっさりと本を手に取った。エクシアはその手元を食い入るように見つめる。

「……なるほど、本が銀色に光るのは、りようのせいではなくて魔力コーティングのせいですね。呪いの効力が外にしみ出さないようおさえるためのコーティングでしょう。製本の仕方も独特、というかこれ、表紙をのりり付けただけですね」

「見ただけで分かるのか」

「そうでなければ写本はできません。使っている羊皮紙はあく品で、製本も雑……となると、呪いのトリガーは『文字を読むこと』『内容を理解すること』ではなく、本そのものだと推測されます。『ページをめくる』とか『表紙を開く』といった動作に反応するタイプかもしれませんし、読み手のとくちよう、例えば魔力量の・性別・ねんれい・階級等に反応して、無差別に呪いをかけている可能性もあります。ただいずれにせよ表紙を開かなければ反応しませんから、安心して下さい」

 そこまでほとんど一息に言い切ったエクシアは、アイヴァンのちんもくに気づき、はっと顔を上げる。

 アイヴァンはあつに取られたような顔でエクシアを見ていた。

(し、しまった……! またやっちゃった! こういう風に相手のことを考えないで喋り散らかすから、いまだに友達の一人もできないのよ!)

 こうかいしても、一度発した言葉はてつかいできないことだけは分かっている。

 じ入るように口をつぐんだエクシアに、アイヴァンはははっと笑った。

「すごいな! なるほど、君の友達候補たちは、そのりゆうちような喋りの前に、尻尾しつぽを巻いてげるしかなかったわけだ」

「……申し訳ございません。あくへきだと、理解はしているのですが」

「それだけ本が好きなのだろう。図書館で働いている君に、いまさら言うことでもないが」

 アイヴァンは特にエクシアを悪く思っている様子はなさそうだった。それどころか、どこか興味深そうに彼女を観察している。

「その若さでその知識量。君がかなり努力したということは分かる。私は良い人間を案内人に選ぶことができたようだ」

 あっさりとした口調だったが、真心のこもった言葉だった。

 エクシアは予想もしていなかったおくり物をもらったような気分になった。

(好きなことをしていただけだから、努力をしたって感じはしなかったけど……。でも、今まで私が歩んできた道のりを言葉に表してくれることが、こんなにうれしいことだとは思わなかった)

 禁書をそっと棚に戻すアイヴァンは、もくしゆうれいものごしやわらかだ。

(初対面なのに、優しい言葉をかけてくれるなんて。不思議な人)

 思っていた王族とは大分異なるアイヴァンの様子に、しばし考えをうばわれていると、そのアイヴァンがふところに手をやり、小さな時計をちらりと見た。

「すまないが時間だ。地上へ戻りたい」

「は、はい」

 この図書館では、来た道を辿たどって帰るというわけにはいかない。エクシアはせんぺんばんする通路を見分け、図書館の入り口までアイヴァンを送った。

(案内といっても、大したものは見せられなかったけれど、これで良かったのかしら)

 そう思うエクシアに答えるように、アイヴァンが口を開いた。

「明日、同じ時間にここへ来るから、また君に案内をたのめるだろうか」

「それは構いませんが」

 アイヴァンはただ笑うのみだった。

 重いとびらを押し開けたアイヴァンに、数人のこの兵がけ寄って来る。

殿でん、おむかえに上がりました」

 近衛兵たちの帯びたけんには、いずれもつかを模したもんしようが刻まれていた。

(獅子の紋章は、王族の中でも国王陛下にのみ許された紋章よね)

 その紋章入りの剣を帯びた近衛兵が、アイヴァンを迎えに来る。ということはつまり。

 エクシアは心なしか手がふるえるのを感じながら、たずねた。

「……あの、もしかして、あなたは」

 代わりに答えたのは近衛兵だった。

「お前は図書館の人間か。まさか気づかなかったのか? こちらにいらっしゃるのは、アイヴァン=ウルスラ・ノーザンクロス殿下。我が国の第一王子である」

 次期国王にふさわしく、文武両道でうるわしく、心根の真っすぐな第一王子。

 エクシアもその名は知っていたが、顔までは知らなかったのだ。

(わ、私、無礼なことを申し上げてはいないかしら……!?)

 恐る恐るアイヴァンの顔色をうかがうエクシアだが、第一王子はただ不敵な笑みを浮かべるばかりで、感情が読めない。

(私の下らないトラウマの話なんかしちゃって、本当に恥ずかしい……。でも、明日も案内を頼まれたということは、少なくともご不興を買ったわけではないのよね?)

 エクシアの疑念をふつしょくするように、アイヴァンはかすかに口元をゆるめて言った。

「ではエクシア。また明日」

「は、はい、殿下」

 少しでもまともに見えることを願いながら、エクシアはていねいなおをした。

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