一章②
エクシアは十九歳。
職員用の
ふわふわの、
身長は、かなり小さい。最初に支給されたローブは大きすぎて
あれは少し、いやかなり
図書館には特に制服などはないため、
気を抜くとすぐ
王立学園は、
晴れでも雨でも
(この暗さ、この匂い……ほっとする。『上級魔術師』試験は落ちちゃったけど、気持ちを切り
エクシアは
『魔術師』の仕事は
既にある魔導書を写本したり、古びた魔導書の修復をしたり、新しく開発された魔術を、魔導書の形に落とし込んだり。
『魔術師』によって得意な分野は異なるが、エクシアは特に完璧な写本をすることで知られていた。
仕事部屋の
「ええと、この花ぎれは……。ジルゴッドの
魔導書はページだけの中身に、革表紙を張って製作することが
本を
エクシアは引き出しから細長い蔦を取り出し、写本する魔導書の原本と見比べてみた。
「……これ、色が少し
ルーペで確認し、特殊な試験紙を当てると、色の違いの理由が分かった。
「これ、朝に採ったジルゴッドなんだわ。
花ぎれに限らず、朝露が染み込んだり朝日を浴びたりした素材を使用することで、
この魔導書を作った魔術師の心配りに感動しながら、エクシアは立ち上がった。
「朝採れのジルゴッドを買いに行かなくちゃ」
ここで
エクシアは小部屋を出、地下三階にある売店へ向かう。
そこには写本のために必要な数々の道具が並べられており、素材も多く
しかしその売店には求める物はなく、エクシアは
行き
最年少の『魔術師』として注目を浴びているエクシアだったが、こういった
前から来た『魔術師』と目が合い、話しかけられそうになって、エクシアは
(……ん? あの人、誰かしら)
ローブを
あれほど身なりの良い人間が午前中に歩いているのは
だが、彼が向かう先は、立ち入り禁止区域だ。『上級魔術師』でも
立ち入り禁止区域に一般人が足を
(一応標識はあるから、立ち入り禁止だって分かるはずなんだけど)
書架にバツ印のついたタペストリーがかけられており、床にも大きく立ち入り禁止と書かれている。
エクシアは青年がその標識に気づいてくれることを
思わずその後を追いかけながらも、エクシアは青年にどう声をかけようか迷っていた。
(もしかしたら、危険だってことくらいとっくに分かってるかもだし、最悪
だが、青年の向かう先が第十八番
(あそこは魔獣の罠があるところ……! あの人、何の武装もしていなそうだし、さすがに止めないとまずいわよね!?)
エクシアは青年の後ろ姿に向かって
「そ、そこの人、止まって下さぁい……!」
青年が足を止め、不思議そうに
「あ、あのですね、そっちの棚は第十八番禁書棚といいまして、許可のない人が立ち入ると魔獣が出現する罠が発動するんです。図書館では申告した魔術以外は使えませんから、魔術で対応しようと思ってもできません」
「そうだったのか。図書館は不慣れなもので、分からなかった」
「一応標識も出てはいたんですけど」
エクシアが足元の立ち入り禁止の文字を指さすと、青年はああ、と声を
「気づかなかった。考え事をしていたから」
エクシアは
「あの、図書館ではあんまり気を
「罠については気をつけておこう。ただ私はどこでも立ち入ることができるから、後者については心配無用だ」
「どこでも立ち入ることができる……?」
そんなことがあるはずはない。
この図書館の中をフリーパスで歩けるのは、図書館長か、あるいは──。
「まさか、お、王族の方でいらっしゃいますか……!?」
「一応な」
エクシアの顔から血の気が引く。まさか王族の人間にこんなところで出くわすとは思ってもみなかったのだ。
この図書館にはノーザンクロス王国の技術の
もっとも、図書館の書物は専門的すぎるので、王族がこの権利を行使することはほとんどないと聞いていたが。
エクシアは
「ご、ご無礼をいたしまして」
「無礼なものか。警告してくれたんだろう? 感謝する」
「君は図書館で働いているのか? それにしては若いようだが、いくつだ」
「『魔術師』として働かせて頂いております。エクシア・フィラデルフィアと申します。十九歳です」
「その若さで『魔術師』とは、かなり
「エクシア、もしこの後用事がないのなら、図書館の中を案内してくれないか」
この申し出にエクシアは
なぜならば、王宮と図書館は対立関係にあるからだ。
本来であれば助け合い、共に国を治めてゆくはずの二つの組織は、王宮による図書館の能力の
(王宮の人間が図書館で何か探そうとしても手助けしなかったり、王宮の
そう思いながらエクシアはおずおずと
「どこをご案内すればよろしいのでしょう。何かお探しの書物があるのですか」
「悪いが何を探しているかまでは言えん。だが
王族のために図書館内を案内する。いわば王族を利する
だがエクシアには下心があった。王族が持つ「図書館のどこにでも立ち入れる権利」が、
(この人と
それが『上級魔術師』試験に落ちたエクシアを大いに
「分かりました。図書館をご案内させて頂きます。もっと深い階層には、複雑な罠もたくさんありますから」
するとアイヴァンはにこりと
「それは助かる! 実は入り口でも
「それはご無礼を……。ですがまあ、仕方のないことといいますか」
「ああ。図書館の人間は王族が
ずばりと切り込まれてしまい、エクシアは返事に
(ましてや王族の方相手に、何を話したらいいのかなんて分からないもの)
エクシアはいつものように口をつぐむと、アイヴァンの前に立ち、静かに歩き出した。
図書館の内部は迷路のように入り組んでいる。
階段があちこちにあって、必要以上に歩かされたり、目的の
「そういえば、そもそも君たち図書館の人間は、どんな仕事をしているんだ?」
「大きな役目は、
「ああ、王宮にもお
「写本とは、貴重な魔導書が入って来たら、それを正しく書き写すことをいいます。過不足なく書き写すことで、その魔導書に書かれた魔術を正確にコピーすることができるというわけですね。私もその仕事に従事しているところです」
「それを
「あとは古くなった
「例えば、先程からすれ
「はい。書籍を運ぶことの他に、図書館内部の傷や
この蜘蛛たちが見たものは『機関部』の人間も
「知り合いか?」
「いえ。ただよくお世話になっている個体なので」
アイヴァンはエクシアの返答に頷くと、人に命じ慣れた
「とりあえず、今立ち入ることができる場所を
「承知いたしました。著名な魔導書を
図書館が対外的に公開している魔導書が収められている棚を、まるで花から花へ飛び
牧歌的な表紙の古書を指し示しながら、すらすらと説明する。
「こちらは二百年前の児童書です。貴族が自分の子どもの警備のために作らせたもので、この魔導書自体に『子どもを守る』という意識が芽生えている
「魔導書が
「写本をしても同じ効果は得られないので『魔術師』としては
他にも、持っているだけで酒に
「私は観光ツアーに来たわけではないんだが」
「分かりやすい魔導書ではなく、価値のある魔導書をご覧になりたい、と?」
頷くアイヴァンに、エクシアは別のルートを考える。
(王族の人が魔導書の
少しは専門的な話をしても問題なさそうだ。そう思ったエクシアは、アイヴァンを図書館のもっと奥へと案内する。
図書館の奥に足を
もちろん
アイヴァンが、どんな罠があるか見たいというので、一度発動したところを見せてやると、驚いたような
「地図もないのに見事なものだな。君に道案内を
てらいのない
「こういった内装になっているのは、
「ここを歩いていると、昔城の近くにあった
「森という
エクシアはそう言って、今まさに
出入り口が消えようとしているのに、平然としているエクシアを見て、アイヴァンは不思議そうに首を
「これは日常
「ええ。違うルートで行きましょう」
本棚の間をすり
その青年が、何か言いたそうな顔でエクシアに近づいてきたので、エクシアは
(知らない人と話すの、苦手すぎる……!)
別の道を
「探しているのはあの階段か?」
「えっ?」
見上げると、上ろうと思っていた階段が天井にぴたりとくっついているのが見えた。この図書館では、階段でさえも自在にその位置を変えるのだ。
「あれです。よく気づきましたね」
「
「……人と話すの、苦手で」
「フィラデルフィア
(うっ。この人、痛いところを
もじもじと指をいじりながら、エクシアは言い訳を考える。
「わ、分かってますよ。ただ子どもの
「どんなトラウマだ」
「……よくある話です。子どもも招かれたパーティーで、
あの時の、水の中でもがいているような感覚が
『何を
『もっと楽しいお話をしましょう?』
エクシアにとっての「楽しいお話」は、今も昔も本のことだけだ。普通の少女が好むようなものについては何一つ語ることができず、そのせいで
「何か
初対面の、しかも王族相手に話す内容ではない。
そう思いながらも言葉を止めることができなかったのは、話を聞くアイヴァンの顔が、想像以上に
(この人なら自分の話を聞いてくれる、っていう不思議な安心感がある。王族の人はもっと冷たいものだと思っていたけど)
しかし、返答は存外厳しいものだった。
「だが、
真っすぐな正論に
「で、でも何だか図書館の人たちは皆、私のことを
「それは君がその若さで『魔術師』だから、
「ありえないです。きっと皆、私のことを生意気でちびで赤毛のはりねずみか何かだと思ってるに違いないです……」
するとアイヴァンは口元を押さえ、
「ど、どうして笑うんですか!」
「いや、はりねずみというのが、
「……昔、父に言われました」
「ああ、お父様はよく分かっていらっしゃる。まあ確かに君は、生意気でちびで赤毛ではりねずみだろうが」
「アイヴァン様もそう思われますか!?」
「だが誰も、それを悪いとは言っていないのではないか」
静かに告げられた言葉の意味を考えていると、アイヴァンが先を
(誰も悪いとは言っていない、ですって? ……変な人。大体会ってからそんなに
エクシアは余計なことを考えまいと、気持ちを切り
(もっとディープな
エクシアはいそいそと地下五階への最短ルートを選んだ。
『魔術師』の資格では入れない場所の
「こちらの先にある『ヴェソウィの禁書』は、呪いをそなえた魔導書なんですが、その呪いの内容がランダムなんです。
「あまりにもランダムすぎやしないか? なるほど、禁書指定されるわけだ」
説明しながらもエクシアはどきどきしている。
アイヴァンが難なく魔術障壁を
(すごい、私一人じゃ入れない場所って、こんな風になってるのね!)
興奮しながら書架に並んだ本の背表紙を見つめる。
ちなみにこの図書館に分類という言葉はない。魔導書や書物を著者順に並べるとか、ジャンルごとに分けるとか、そういった利用者への
並んでいる本のタイトルを
アイヴァンが何気なく目を向けたのは、銀色の小さな本だった。他の書物に比べて小さく、ポケットに収まるくらいのサイズなので、目立ったのだろう。
「あ、それが『ヴェソウィの禁書』です。私はその資格がないので手に取れないのですが、アイヴァン様でしたら触れられますよ」
「
「手に取るだけで呪われる魔導書であれば、専用の
するとアイヴァンはあっさりと本を手に取った。エクシアはその手元を食い入るように見つめる。
「……なるほど、本が銀色に光るのは、
「見ただけで分かるのか」
「そうでなければ写本はできません。使っている羊皮紙は
そこまでほとんど一息に言い切ったエクシアは、アイヴァンの
アイヴァンは
(し、しまった……! またやっちゃった! こういう風に相手のことを考えないで喋り散らかすから、
「すごいな! なるほど、君の友達候補たちは、その
「……申し訳ございません。
「それだけ本が好きなのだろう。図書館で働いている君に、
アイヴァンは特にエクシアを悪く思っている様子はなさそうだった。それどころか、どこか興味深そうに彼女を観察している。
「その若さでその知識量。君がかなり努力したということは分かる。私は良い人間を案内人に選ぶことができたようだ」
あっさりとした口調だったが、真心のこもった言葉だった。
エクシアは予想もしていなかった
(好きなことをしていただけだから、努力をしたって感じはしなかったけど……。でも、今まで私が歩んできた道のりを言葉に表してくれることが、こんなに
禁書をそっと棚に戻すアイヴァンは、
(初対面なのに、優しい言葉をかけてくれるなんて。不思議な人)
思っていた王族とは大分異なるアイヴァンの様子に、しばし考えを
「すまないが時間だ。地上へ戻りたい」
「は、はい」
この図書館では、来た道を
(案内といっても、大したものは見せられなかったけれど、これで良かったのかしら)
そう思うエクシアに答えるように、アイヴァンが口を開いた。
「明日、同じ時間にここへ来るから、また君に案内を
「それは構いませんが」
アイヴァンはただ笑うのみだった。
重い
「
近衛兵たちの帯びた
(獅子の紋章は、王族の中でも国王陛下にのみ許された紋章よね)
その紋章入りの剣を帯びた近衛兵が、アイヴァンを迎えに来る。ということはつまり。
エクシアは心なしか手が
「……あの、もしかして、あなたは」
代わりに答えたのは近衛兵だった。
「お前は図書館の人間か。まさか気づかなかったのか? こちらにいらっしゃるのは、アイヴァン=ウルスラ・ノーザンクロス殿下。我が国の第一王子である」
次期国王にふさわしく、文武両道で
エクシアもその名は知っていたが、顔までは知らなかったのだ。
(わ、私、無礼なことを申し上げてはいないかしら……!?)
恐る恐るアイヴァンの顔色を
(私の下らないトラウマの話なんかしちゃって、本当に恥ずかしい……。でも、明日も案内を頼まれたということは、少なくともご不興を買ったわけではないのよね?)
エクシアの疑念を
「ではエクシア。また明日」
「は、はい、殿下」
少しでもまともに見えることを願いながら、エクシアは
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