一章①

 机と椅子いすほかには何もない簡素な館長室には、部屋の主たる図書館長と、がらな赤毛の少女が向かい合って座っていた。

「はいエクシア・フィラデルフィアくん、二回目の不合格おつかれさま」

「ふ、不合格、ですか……」

 図書館長はにこにこ笑いながら不合格通知をきつけてきた。エクシアはかたを落としながらそれを受け取り、ちらりと図書館長を見る。

 長いくろかみを束ね、右肩のほうに垂らした図書館長は、目もあやなしゆうほどこされたローブをまとい、ゆうぜんとエクシアを見返してくる。

 図書館長は性別しようにしてねんれい不詳。目元のみをかくす白い仮面のせいで、表情もろくにうかがえないあやしい人物だ。

 だがこう見えて、じゆつにおける最高機関である図書館を二十年もとうかつしている、だいな『魔術師』なのであった。

 図書館。

 それはノーザンクロス王立学園のシンボルであり、ノーザンクロス王国の技術のしようちようでもあった。

 地上十階、地下百階にもおよぶ空間には、世界の様々なしよせき、木簡、巻物、石板が保管されており、まだ研究されていない太古の魔術たちが、ひもかれるのを待ち望んでいる。

 この図書館にある本を読んだり、研究したり、修復したりできるのが『魔術師』と呼ばれる研究者であり、その職位に応じて図書館内の立ち入りできる場所やえつらんできる本が決まっている。

 エクシアがちようせんしたのは、この図書館における『上級魔術師』へのしようかく試験だ。せまき門だが、この試験をクリアすれば、図書館で読める本の数は増え、立ち入ることのできる場所も多くなる。

 だからエクシアは、絶対に合格したかったのだが──。

 結果は、不合格。

「『上級魔術師』への昇格試験には、筆記と面接、口述試験があるけれど、どこで落ちたと思う?」

「……口述試験でしょうか」

 消え入るような声でエクシアが言うと、図書館長は両手でバツ印を作りながら、とてもうれしそうに、

「ぶっぶー! 面接です!」

 とさけんだ。

「筆記は申し分ないし、口述試験も悪くはなかった。この図書館における最年少の『魔術師』だけのことはある」

「……じゃあ、どうしてだったんですか」

「それはもちろん、君には『上級魔術師』になるための重要な資質が欠けているからだ。それもものすごく、いちじるしく、めいてきに!」

 強調されるたびに、エクシアの身体からだに重い石が重なってゆくようだった。

「私には、何が足りないのでしょうか」

「それは自分で見つけなくちゃ。少なくとも、今のやり方を続けるようであれば、合格はさせてあげられないね」

 エクシアはほうに暮れたように、自分のふわふわとした赤毛を指先でいじった。湖のように青い目は、ただ足元をじっと見つめている。

 図書館長の方を見ないまま、エクシアはつぶやいた。

「本を読んで、中身を読み解いて、研究する。それでは『上級魔術師』にはなれないということでしょうか」

「なれないね」

 きっぱりと言い放った図書館長は、ショックを受けてさらにうつむくエクシアを、楽しそうにながめている。

「どうすれば『上級魔術師』試験に合格できるのか、君は自力でそれを見つけなければならない。うん、考えようによっては、これも試験の一つと言えるだろう! がんりたまえ、エクシアくん」

 館長室を出たエクシアは、ずっしりと重い体を引きずるようにして、一階から二階へと向かった。

 地上十階、地下百階。すさまじい規模をほこる図書館内部は、火気と日光をきらうため、どことなくうすぐらい。

 すずらん形をした不燃性のカバーにおおわれた明かりは魔術がかけられており、エクシアの歩む先を次々と照らしてゆく。

 その明かりが照らすのはエクシアだけではない。中型犬ほどの大きさもある、型の絡繰り人形オートマタだ。黒と金メッキの体色に、赤いルビーの目がかがやいている。

「蜘蛛」と呼ばれているこのオートマタは、ほんだなに器用によじ登ると、するりと本をき出し、背中のくぼみに置く。そうしてふわりと本棚から飛び降り、関節をかすかにきしませながら、通路を歩いてゆくのだ。

 蜘蛛たちは書物の貸し出しおよへんきやくのために作られたせいれいの一種である。図書館を図書館たらしめるための『機関部』と呼ばれる部署が統括しており、エクシアも蜘蛛たちの力を借りて資料を探すことがあった。

 その中でも特に親しくしているオートマタが、ちょうどエクシアの前を横切った。

「おつかれさま、ビビ」

 エクシアが呼ぶと、そのオートマタはカシャカシャという関節音と共に立ち止まった。

 背中に本を積んでいるところを見ると、仕事の最中だろう。エクシアを認めると、赤いルビーの目をめいめつさせた。

 蜘蛛型のオートマタは、個体識別番号を持っているだけで、名前はない。けれどエクシアは勝手にこの個体をビビと呼んでいた。

(他のオートマタに比べれば、動きはぎこちないし、関節の軋みも他の子より大きいんだけど……。何かそこが可愛かわいいのよね)

 オートマタといううつわに入っているが、中身は精霊なので、魔力をエネルギーとして動いている。

 エクシアは馬に角砂糖をやるような感覚で、自分の魔力をビビにあたえる。ほの赤い光球がエクシアの指先から放たれると、ビビは飛び上がって器用にそれをキャッチした。

『……び?』

 魔力を飲み込んだビビが、微かに小首をかしげたので、エクシアはしようした。

「私の魔力から感情を読んだのね。かしこい子。そう、今はちょっとがっかりしてるところ」

『びー』

 鳥の鳴き声をかすれさせたような声を上げ、ビビがエクシアを見上げた。び、び、と何か言いたそうにしているのが可愛い。

なぐさめようとしてくれてるの? ありがと。ビビはその本を届けるお仕事があるんでしょ、もう行った方が良いわ」

 エクシアがうながすと、ビビは名残なごりしそうにしながらも、ろうを進んでいった。


 エクシアは図書館において最年少の『魔術師』だ。そのあかしとして、図書館長のそれと同じ灰色のローブをまとっているが、背中の刺繍は青いオオルリが一羽というシンプルなもの。

(『上級魔術師』試験に合格すれば、フクロウの刺繍が入ったローブを着ることができたのに)

 口述試験や面接に自信がなかったため、筆記試験で点を取ろうとる間も惜しんで勉強していたが、だったようだ。

 かたを落としながら、二階のすみにあるしよの間にするりと身をすべり込ませ、一番下の段にある本をそっと手前にかたむける。

 すると書架がドアのように開き、隠し階段が現れた。

 エクシア一人がようやく通れるほどのせん階段を、三階分ほど上ったところで立ち止まる。ふところに手をやり、手のひらサイズの書物──どうしよを取り出すと、エクシアは手のひらに魔力を込めながら静かに唱えた。

「現れよ」

 えいしように応じて魔導書が光ったかと思うと、白いかべにぼわりと黒いみがかび上がった。それはまたたく間に広がって、小さな横穴へと姿を変える。

 エクシアの持つ魔導書は、小型の持ち運び可能なタイプだ。今のように、部屋のかぎ代わりに使うこともできるし、身の回りの用事をこなすために火・水・風を起こす初歩的な魔術を展開することもできる。

 エクシアにとって必要な魔術をコンパクトにまとめてある、彼女専用の魔導書だ。表紙にエクシアの目の色であるめ込んであるのが、お気に入りのそうしよくである。

(まあ、図書館で使える魔術はこれくらいのものなのだけれど)

 せんさいな魔術が展開されている図書館では、事前にしんせいした、ごく限られた種類の魔術しか使えないようになっている。お気に入りの魔導書も、図書館内ではほとんどかざりのようなものだ。

 現れた横穴に体をねじ込ませると、天窓のある小部屋がエクシアをむかえてくれた。

 卵のような形をした部屋は、天窓から差し込む光に満ちている。部屋の真ん中にはエクシアが作業をするための写本台があり、広いアルコーヴには、エクシアお気に入りのクッションがめられていた。

 ここはエクシアの小さな仕事場だ。

 がらなエクシアだからこそもぐり込むことができる小部屋で、だれにもおびやかされず本を読んだり、仕事を進めたりすることができる。天窓から入る光は書物をいためてしまうが、とくしゆなシートを窓ガラスにることで対策している。

 最も目をひくのは、あちこちで無造作に積み重ねられた本だろう。

 しかもそれはかんぺきに製本された本だけではなく、表紙のついていないものや、じられておらず、ページが扇子せんすのように広がっている、製本ちゆうのものもある。

 エクシアは読みかけの魔導書を手に取ると、クッションの中に思い切り飛び込んだ。

「本を読んでるだけじゃ『上級魔術師』になれないなんて、そんなの聞いてないわよ。『魔術師』になるのはそこまで難しくなかったのに……」

『魔術師』とは、図書館において、すぐれた知識と技術を持つ者に与えられる職位であり、エクシアは魔導書を写本することを生業なりわいとしている写本師である。

 魔導書とは、魔力を込めた糸や紙、かわで作られた、魔術の要素が込められた本のことだ。開発した魔術を魔導書という形に落とし込むことで、魔力がある者なら、その本を所持さえしていれば半永久的にその魔術が使える。

 魔術の出力は、本人が持つ魔力と、その魔導書の出来によって決まる。ゆえに、製本にけた『魔術師』が、強い魔術を行使する上では必要不可欠なのだ。

 けれど、技術と知識のすいを集めた、ここノーザンクロス王国の図書館において、『魔術師』程度のランクでは、すべての本を読むことはできない。

「この魔導書を写本するのに、地下二十階の本を参考にしたかったんだけど」

 エクシアの職位では、地下二十階には入れない。

 そこに置かれた書物は、貴重な魔術の情報がたんまりと書かれており、『上級魔術師』にならなければ立ち入ることも読むこともできないのだ。

「『上級魔術師』試験に合格するための方法を、自力で見つけなければならない、なんて……難易度が高すぎるわ」

 これからどうすればいいか分からないエクシアは、ミントのかおりが微かにただよう仕事部屋の中で、ひとり頭をかかえている。

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