エピローグ

 病室の扉をノックする音が聞こえ、純也は顔を上げた。読んでいた本を閉じて、はい、と返事をする。

 看護師だろうか。しかしまだ夕食には早いし検査の時間でもない。ちゃんとベッドで寝ているかどうか確認しに来たのかもしれない。というのもあの脱走事件以来、看護師たちは純也のことを陰で脱走兵と呼び、常に監視の目を光らせているのだ。

 純也は姿勢を正して扉が開くのを待った。

 けれど予想に反し、ひょっこり顔を見せたのは鈴木だった。彼の手には大きな紙袋が握られている。「伊崎君お久しぶりっす。やっと集中治療室から抜け出せたんすね」

「鈴木さん。来てくれたんですか」純也は顔をほころばせた。

「もちろんっすよ。手錠で結ばれた仲じゃないっすか。これ、差し入れっす」鈴木が紙袋を純也に手渡した。

「わざわざすみません、退院したら必ずお返しさせていただきます」

「お返しならいらないって先輩が言ってましたよ」

「えっ、これ丸山さんからですか」

「僕はお菓子を差し入れしようとしたんすけど、先輩に『手術してすぐの人間にそんなもん食わせんな』って取り上げられちゃったんすよ。かわりにこれ持ってけって」

 紙袋の中にはタオルやパジャマなどの衣類に加え、暇つぶし用の漫画が詰め込まれている。ちょうど純也が読みたいと思っていた漫画だったので驚いた。「この漫画、買おうか迷っていたんです。どうしてわかったんだろう」

「先輩、スマホで熱心に調べてましたから。“二十代、男、漫画“で」

「人のスマホをのぞいたんですか」

 鈴木が弁解するように手を振った。「先輩は老眼だから文字が大きくて、嫌でも目に入っちゃうんすよ」

 鈴木はなにかを思い出したようにわざとらしく手を叩いた。「あ、そうそう。伊崎君が溝口の家に不法侵入した件、不問になったみたいっすよ。偶然、溝口の家の前を通りかかった伊崎君が、偶然部屋の中で倒れている日高時雄を見つけ、彼を助けるために窓を割って家に入ったところ偶然間宮を見つけた、ということで処理されたらしいっす。いやあ、こんな偶然ってあるんすね」

 純也は苦笑した。正義の警察官が他人の家の窓ガラスを割って不法侵入をした、なんてことはあってはならないのだろう。

「日頃の行いですかね」

 純也は目を細め、紙袋をベッド脇の棚の上に置いた。それから姿勢を正して鈴木に向き直る。

「鈴木さん、この度は大変ご迷惑をおかけしました。手錠で拘束した挙句、拳銃まで奪ってしまって本当に申し訳ありません」純也は深々と頭を下げた。殴られたっておかしくないと思っていた。

「まったくっすよ。始末書三昧のストレスで五キロ太ったんすから」鈴木が唇を尖らせる。「溝口が素直に自供してくれたことだけが不幸中の幸いっすかね。プレイキラー事件と過去の連続怪死事件、それから伊崎佳織さんと富樫拓郎殺しの件も。裏付け捜査は楽じゃないっすけど」

「へえ、佳織さんの事件も」純也が片眉を上げた。

「まあでも、伊崎君が溝口を殺さなくてよかったっす。拳銃を取られたとき、最悪の事態を想像してましたから。今度、飯をおごってくれたら許してあげます」

「ええ。必ず」純也がほほ笑む。

 鈴木は、純也が溝口を殺さなかったと言った。けれど純也は確かに溝口を殺したのだ。

 彼は溝口が殺されたがっていたことを見抜いていた。わざわざ茂と美代子の死体に手を加えたり、佳織の遺体を警察に発見させたりしたのは、すべて純也に自分が犯人であることを知らせるためだ。

 彼にとって最高のシナリオは、愛しい時雄の息子である純也に殺されること。そうすれば彼は時雄のいる世界に行き、そして純也の記憶の中で生き続けることができるのだから。

 だが純也はそれを許さなかった。最悪のシナリオ──時雄のいない世界で、純也からも忘れ去られ孤独に生き続けること──を溝口に与えた。

 溝口をこの世につなぎ留め、その心臓に孤独という名の弾丸を撃ち込んだのだ。忘れるという方法によって。



(了)

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殺人者に孤独の弾丸を 三三九度 @sunsunkudo

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