11-17「暗雲」


 



 ────言わねばならないことがある。

 たとえそれが、主君にとって『いい知らせ』であろうが、『悪い知らせ』であろうが。


 耳に届いた『不穏な動き』。

 それが『何につながるのか』『領内にどのような影響を及ぼすのか』は推測の域を出ないが、『アルトヴィンガ』という『元より治安の悪い場所』で漂い始めた空気の変化は、『盟主エルヴィスに報告しなければならない事柄』としては十分だった。



 華やかなオリオン舞踏会・ネム大聖堂のホールの隅で

 白亜の壁を背負いながら、ヘンドリック・フォン・ランベルト(通称ヘンリー)は、耳傾け目をむける。


 隣に控える主君、エルヴィスは、悩ましげに警戒を研ぐ。



「…………アルダ―の宗教がらみか、それとも別の何かか……いずれにしても、一度様子を見に行かねばならない……………」

「────あ〜、閣下?」



 ぽつぽつとこぼれた険しい呟きを、遮るように。ヘンリーは様子を見るように眉をあげ、あたりに目を配る。その動きに、黙って視線だけを返すエルヴィスに、躊躇いつつも彼は、述べた。



「…………これは、……あまり言いたかないんですが」

「────なんだ」

「……!」



 跳ね返ったその声に。

 怒りと警戒を圧縮した空気に

 ” ごくり・ ”と喉を鳴らし、心を整え、ひとつ。



「…………落ち着いて聞いてください」

 声を落として、真っ直ぐに。

「……ナンパも・・・・ね、あっちは、酷いモンらしいんですよ」








「……酷い・・?」

「────っ……!」



 言った瞬間。

 はしり抜けるは緊張の針。盟主エルヴィスの奥の奥、噴き出す殺気に彼は喉を詰めた。



 怖いのだ。

 目が笑っていないのだ。

 『貴公子』と『ボス』の入り混じる、その威圧はまさに『オリオンの威厳』。


 全身を突き刺さすような殺気。

 表面上に浮かべられた、怒りを抑え込んだ笑み。


 目元に宿るのは──まごうことなき『闘将・オリバー』の影。母親譲りの美しい顔に、ぎらりと光る瞳は『奈落のあお』。


 ヘンリーの父が『身も凍る』と首を振っていた威圧。

 先代オリバーの生き写しから放たれる殺気に、ヘンリーは身を縮め息を詰めた。


 ──しかし、怯んではいられない。

 戴く君主に忠誠を誓い、信じることはすれども。萎縮して物すら言えない状態など、エルヴィスは望んでいないからだ。


 ヘンリーは自身の恐怖を、ぐっと圧縮し、短い息に乗せると、手元のシャンパンを口に含んで、ひとつ。『澄ましたスパイ』を気取って、声を張る。



「……────ナンパなんて、最近はそれで・・・済めば可愛いもの・・・・・・・・・だとか」


「………………」

「御明察、です。……乱暴するやつ・・・・・・も、少なくないそうです」



 密やかなる殺気を、さらに研ぎ尖らせるエルヴィスの圧を受けながらも、ヘンリーは重々しくも平然を装いながら頷いた。


 場所が場所なだけに、かなりライトな表現をしたが、その言葉の奥にあるものは──『合意のない行為』である。


 それが、暴力であり、卑劣極まりない行為であり、去勢処罰に値する罪でありながら──明るみに出ないのは、遠い昔からの汚点だ。


 エルヴィスは問う。

 ヘンリーに、澄ました殺気を滲ませながら。



「…………被害者は?」

「────……『居ません』。言えないでしょう、そんなこと。ただ『あれはどう見てもそうだった』とか、『男の方が吹聴していた』とか、そんな話は耳にしますね」



 と、すまし顔で一言。

 隣の圧を感じながら、ヘンリーは続ける。



「もともと『売春婦やらごろつきああいうボロキレが集まる場所』です。お耳に入っているでしょう?  『女狩りのオースティン』とか」

「…………ああ……『黒髪で青い瞳の男』としか情報が無い獣か。襤褸布の坩堝あんなところじゃなければ、すぐに牢獄へ入れてやるのに」


「まあ──、そういう、ろくでもない奴らが集まる場所なんですよ」

「餓鬼畜生が」

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