10-11「プ・ラ・ボーン」



「──これこれ、これが『ボーン』」

「…………こ、これが?」




 出てきた透明な板に、エリックは我を忘れて目を見開いた。

 その板のサイズは一般的な羊皮紙ぐらい。

 厚さは指で挟んだら互いの熱が伝わりそうなぐらい薄く、見せつけるように両手で持つ彼女の体が透けるほど、透明度が高いものであった。


 異質だ。

 疑念と、若干の恐れを抱いた感覚は、エリックの口からこぼれ出す。



「…………うす……ガラス??」

「ガラスじゃなくて、『ボーン』。正式名称『プ・ラ・ボーン』って言うんだって。見た感じそう見えるかもだけど、これ、ガラスほど簡単に割れないの」

「……はあ……」


「今は板の状態だけど、これを、カットして、『骨にする』」

「…………」


「これが、『ボーン』」

「………………」



 平然と、当然のように言われ、黙った。


 彼の知りうる限り『透明ななにか』など、ダイヤと水とガラスぐらいしか心当たりがない。が、目の前に現れた『ボーン』は、ガラスでもないしダイヤでもないし、ウォルタの薄い膜でもない。


 彼の知識を総動員しても、こんなものは『知らなかった』。



(…………なんだこれ…………)



 ──奇妙だ。

 『透明なのに、持てている』『そのあたりに置いたら同化して見つけられなさそうなのに、そこにある』。ミリアが触っているのだから、触れらるのだろうが、しかし。


 触ろうとは思えない。

 


(────また、見たことのないものが出たな…………)



 呟き舌を巻く。

 興味よりも、抵抗と警戒が先に来る。

 また、彼女が魔道の使い手だから判断に困るのだ。



 通常で考えたら、『ノースブルク・ウエストエッジで流通している道具』なのだから、魔法の秘密の道具ではないだろう。


 が、出してきた彼女はマジェラ出身の魔道士だ。

 ラウリングといい魔法元素エレメンツカードといい、エリックが知らなかった道具も平然と出してくる可能性を持っている。


 現にあの指輪がそうだ。一見どこにでもある普通の指輪だが、れっきとした魔法道具だった。


 エリック──いや、エルヴィスが『マジェラの商人から売り込まれている魔具』は、あくまでも『魔具』を力強く主張していたものが多かっただけに、ミリアの指輪など、魔具そうだと疑いもしなかった。



 それらも踏まえて、エリックの中、湧き出し渦巻く警戒と畏怖の念。



 『ミリアが扱っているのだから大丈夫だろう』という気持ちと、『スパイが疑わなくてどうする』・『俺が触って平気なのか?』という気持ちがせめぎ合う中。


 ミリアの手元で『ボーン』が[ぴょびょびょびょびょ!][バインバインバイン!]と、緊張感のない変な音を立てている。



 総合服飾工房オール・ドレッサービスティーの店内。

 カウンターを挟み、わずかな警戒をにじませるエリックと、ごくごく普通の顔でボーンを仰ぐミリアの間。


 びょびょびょびょびょ・びぃぃぃぃぃぃん……


 心底緊張感のない音を遮ったのは、エリックの、伺うような声掛けだった。



「……ミリア? それは………………『魔具』?」

「魔具じゃないよ、『ボーン』だって」


「…………それが? 魔法道具じゃないのか?」

「そう。魔具じゃないよ〜、ふつーの道具」



 おずおずと。

 警戒を滲ませ、問いかけるエリックに、ミリアはけろりと答えると、それで遊ぶようにしならせながら答えるのだ。



「ぽよぽよぴよ~~ってしなるでしょ? 簡単に折れたり割れたりしないの。────こーやってっ」


 ────ぐっ……!

 ばいんっ!


「…………!?」

(────奇跡の御技みわざか……!?)


 思わず目を張る。

 目の前の出来事が信じられない。


 折る勢いで曲がったそれは、傷ひとつ・痕ひとつない状態でそこにあり続けて居る。あれだけ曲げて、形が戻る・・。こんなものが存在しているなんて。



「……透明なのに形を成していて……それでいて元の形に戻るのか……!? 最新の魔具じゃないなら、新素材か……!?」


「………………いやあの……、これ、前からある……」

「まえから!?」


「………………割と前から……」




 珍しく驚くエリックに、ミリアはぽっそりと、言いにくそうに答えた。


 エリックはこう・・だが、ボーンは、縫製業界では常識の材料だ。いつからあるのかは定かではないが、別にここ2・3年に出てきた新商品というわけでもない。


 この『『ふつーに使ってます。』な道具に心底驚かれる』居心地の悪さは、何にも言い難いものがある。

 

 絶妙に気まずかった。



(……そんな、珍獣見るような態度しなくても……、怖くないよ爆発とかしないし……)



 目の前でまるまると目を丸め、恐る恐る覗き込んだり、指を伸ばそうとして躊躇うエリックを前に、ミリアは頬を固めて思った。前にも感じたが、エリックという男は、たまに変なところで驚くことがある。



 記憶に新しいのは『ピ・チューボのトリ』だ。

 数週間前、彼と二度目の遭遇時、彼は安飯屋の鳥の串焼きに『どこの鳥だ』と真顔で驚いていた。



(……ピ・チューボの鶏にあの反応できるの、今時探してもなかなか居ない気がする……)



 カウンターの上、両肘を着きながら思い出すのは当時の彼。


 店のスモークを浴びながら、目を丸くして鳥をまじまじ見つめていたエリックがおぼろげに蘇り、今と重なる。『……これが……、ボーン……、表面は滑らかだ……』と呟く彼。そしてミリアは思うのだ。




(……あんな安いところの肉に『どこの肉』とか……、お屋敷でいいもの食べてるみたいだけど、そうじゃない時はカツカツなのかも。エルヴィスさん、きっちりしてそうだし、たぶんケチなんだろうな〜)



 もくもく広がる『おやしきのせいかつ』。

 『おなかをすかせたエリック』が脳裏に過り、きゅっと唇を絞り思う。



(……その服だって、貝ボタンでちょっとハイグレードなやつだけど、それもお屋敷の制服でしょ? みんな同じような服着てるけど、でもこの人いつも同じ服だし。見ればわかるし。服、買うお金ある? ブーツの分割払い残ってるとか?)


 

 流れるように「はあ、」と息を吐く。

 もちろん、呆れの色を湛えて、である。



(も~。それなのに、ポロネーズのご飯『出すよ』とか言うし。『ホイップクリーム食べよう』とか言うし。腰抱いたり? 『そのままでいて』とか言ったり? 女の人慣れしてるのはわかるし、プライドあるんだろうとは思うけど……そんなお金、ないんでしょ? …………はあ。まったくもぉ)

「……ねえ、頑張らなくていーからね?」



 (勝手に)呆れた面持ちのまま。

 ため息とともに言うミリアに、丸めた目が返ってくる。



「……うん? なんの話?」

「わたしたち同じだし」


「……う、うん?」

「気、使うことないからね?」


「……ん? だから、なんの話? 全く見えないんだけど」

「『お気遣い無用ですよ』と申しているのです」


「…………はあ…………??」



 ミリアにそう言われ、エリックはただただ困惑の表情でボーンから手をひいた。

 ボーンの滑らかさに驚き、つまみ上げようとした瞬間言われたそれに理解が追いつかない。


 まさか、ミリアが『ボーンに驚く自分』から『串焼きの話』まで飛躍し、その上『金銭面での心配からの同情』をされているなど、エリックがわかるはずもない。

 

 カウンターに両肘をつきながら、しゅーん……と眉を下げ、そこはかとなく澄ました顔が送る眼差しに、『お金ないのに……もう……』という憐れみを含んでいるなど、思いもせず。


 謎の慈悲の籠った視線に、エリックは戸惑い考えるのだ。



(──なんだ? どこの観点から言ってるんだ? いまそんな流れあったか?)

 


 思い返すが見つからない。

 今自分は、ボーンを観察していた。

 その他に思い当たるところと言うと──?



(…………ここでの業務のことか? そんなに必死に見えたかな……)



 ひとつ。

 慣れぬ裁縫に悪戦苦闘する自分を想像し、彼は静かに首を振った。



「……無理なんてしてないけど」

「そう? とりあえず、もっと気ぃ使わなくていいよ?」


「……まあ、そう言われてもな。慣れないことだから。それなりに気は使うよ(ドレスは売り物だし)」

「慣れない……? そうなの? むしろ(女の子には)慣れてると思った」


「そう? そう見えて居るなら良かった」

「……? そうみられたいの……? 

「?」

「?」


『?』



 ────互いに目を合わせ黙り込む二人は、解っていない。


 かたや、『ここの業務は気を遣う』を軸に話すエリック。

 かたや、『お金ないのにかっこつけなくていいからね』を軸に述べるミリア。


 完全に話がかみ合っていないのだ。

 互いに『なに言ってんだこいつ』を含んだ沈黙が落ち、各自こっそりと首を捻る。



(…………何言ってるんだ? 『そう見られたい』って、何の話?)

(ん? あれ……? 話がかみ合ってない……?)


「…………」

「………………」

『………………………………………………』



 

 主語を忘れたミリアと、仮説をもとに言葉を返したエリックの間を、また・・。プリンの一連の時のような、妙な雰囲気が漂い始め──



「────まあ、とりあえずさておき。」



 軽くぱちんと手を合わせ、場の空気を変えたのはミリアの方だった。音に合わせて目を向けるエリックに、ミリアはカウンターの向こうで言う。



「わたしね、キミがそんなにボーンに驚くと思わなかったの。でも、よく考えたらそれって結構ニッチな道具なんだよね。だからここはひとつ、説明しようと思いまして」


 

 真面目な顔で言う彼女は、再び半身をカウンターの内側に沈め、次に「ドン」と用意されたそれに、エリックはまたも眉間に皺を寄せたのであった。



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