10-9「オリオンさんの部下だった!」




「……これで税金も上がったら溜まったもんじゃないなぁ~。一体何に使ってんだか。ホント、われわれ庶民の税でお暮しになられている貴族アッパーサマたちはいいよねまった…………く………………」

「…………」

「────あ。」

(────しまった!)



 言いかけて、ミリアは瞬時に喉を絞った。

 すっかり忘れていたが、エリック・マーティンという男は『エルヴィス盟主の使いの者』だ。視界の外から圧を感じる。先ほどとは違う圧を感じる。


 そのに、ミリアは、一筋の汗を流しながらも、そろりそろりと目を上げて──



(ああああああああっ、怒ってるっ! 不機嫌だッ!)

 真顔のままの不機嫌オーラに、ミリアは慌てて手を上げた!



「────ちが! いや、違わないけど、えーっと! そ、そういうつもりじゃなくて!」

「…………」



 エリックは無言だ。

 武骨と呆れを携えてこちらを見ている。


 ──ぱちん!


「──あ────っと、えっと! これキミの旦那さまには内緒で! 違う、ごめん! ほんとごめん! オリオンさんを責めるわけではなく!」

「…………………………………………」



 ジト目。不満。黙る圧に焦る。



「ごめん! 内緒でっ! しんじてる! おねがいっ!」

「…………まあ。…………………………言わないけど」

(────言われたけど)



 焦りまくりのミリアに、エリックは不愛想に答えた。


 信じてるもくそも、筒抜けの直通である。

 彼は盟主だ。

 ここのトップだ。

 その『オリオンさん』本人で、税収で暮らしている貴族である。


 ミリアは全然気づいていないが、それは《愚痴に見せかけた宣戦布告》だ。しかし立場上・・・黙に徹する彼の前で、ミリアは──必死にフォローし始める。


「あのね? 盟主さまが悪いって言ってるわけじゃないの。値上げがね、厳しいなあって。ほら。わたしもそんなに裕福じゃないし? 貴族さまがその分大変なお仕事をされてるってわかってるし? だからね? えーっと、オリオンさんが悪いわけじゃなくて、税金の不満って言うかなんて言うか? あ、旦那さまを責めてるわけじゃないよ? オリオンさんが駄目ってわけじゃなくて~」



 なんのフォローにもなっちゃいない文言を、ただ、黙って聞く彼。



 何とも滑稽な構図である。

 ここでいくら御託を並べても、言ってしまったものは還らないのだが、エリックもそれを、感情のまま突くことはできない。


 しかし彼にも意見はあるのだ。

 


(………うちの税率は同盟国内でも低い方なんだけど。わかってないだろ)


 

 ──ぶすっと一言漏らす彼。

 瞬時に並べ立てる『別領区の税率』。

 ノースブルク諸侯同盟国のなかでも低い税率で賄っているというのに、庶民から出る言葉はこれである。

 

 ────解せない。


(…………はあ。くそ、こっちの苦労も知らないで……)



 エリックは、広がる卑屈な感情に口を曲げた。


 別に。

 税への不満など、今までも散々聞いてきた。

 エリックとして話を聞く際は『ははは、そうですね』と視点を変えて相槌も打ってきた。心の中で『何も知らないやつはいいよな』と吐き捨て嗤えば、それでよかった。『知らないくせに』と吐き捨てるのは、慣れていた。


 ミリアが庶民なのも、十分に分かっている。

 庶民が『国政の税管理』など知らないのも、十分理解のうえだ。


 ────しかし。

 もやという感情は、どうにも言うことを聞かないのだ。


(……他国の税率は知らないのか? いや、それをここで口に出してもな……)

 

 眉を寄せながら、さらりと渡された細い針を指でつまみ、専用の糸を通しながら考える。カウンターの外、おあつらえ向きの背の高い丸椅子に腰掛け考える。


 しかし仮に、ここで税の話をしようものなら、『固い』と言われるか、下手をしたら『なんでそんなことまで気にするの?』と怪しまれるかもしれない。


 彼女には関係のない話だし、国政がらみのことになると一気にモードがそちらに傾くのも自覚している。


 総合的に考えたら『言わない方が良策』である。

 というか、『言うメリット』が見つからない。


 ──しかし。

 


(…………言いたい)



 言いたいのだ。

 今までどうでも良かったことが、どうでも良くない。

 誤解されようが構わなかった事柄に、訂正を入れたくなる。

 

 むしろ『こっちも頑張ってる』と言いたくて仕方ない。

 ミリアには、それを言いたくて仕方ない。



(…………私利私欲には使っていない。ほとんどが公共施設や道路・下水をはじめとする公共事業で、私腹を肥やしているわけじゃない)



 胸中の不満に寄せられて、じわじわ集まる眉間皺みけんじわ




(……父の時代より税率は下げたんだけど? 安い方なんだぞ? その分、腐った貴族ノブレス・マラードどもに、毎回毎回嫌味を言われてこっちは)

「? なに? エリックさん?」

「…………いや。なんでも?」


 

 ぱっ! と向けられたハニーブラウンの瞳と顔に、エリックは静かに首を振り、自分の手元。『針孔はりあなに通りそうで通らない糸』に目を落とすのだ。



(……落ち着け、苛立つことではない。彼女は一般の民だ。政治を行う人間ではないのだから)



 ──と、言い聞かせつつ、左手でつまむ細い針。

 頭の穴の入り口で、くにゃりと曲がる糸の先。

 

 勝手なことを言う相棒。

 針穴のそこで、くにゃっと曲がる糸の先。


 何も知らない彼女。

 針穴のそこで、ふたつに裂ける糸の先。



(…………あ──、もう…………!)



 喉元を突き出そうになる言葉を飲み込み、もどかしさで口をゆがめた。

 ────どうにも、コンロトールが効かない。



 ────さっきも

(…………理由もなくイラついて)



 ────今も

(……出来ていたことが、出来ない)



 通らない糸に、制御のできない自分に、うんざりと頭を垂れて怪訝を走らせる。


 

 ”調子が狂う・なんだかおかしい”。

 ”原因がわからないのがイラつく”。

 そもそも、心はこんなにせわしなく動くものだっただろうか?


 生れ落ちて今まで、イラつくこともあった。

 ムカつくこともあった。

 吐き気がするようなことも多々あった。

 悲しみに暮れて、全てを恨み否定したくなることもあった。


 しかし、原因がわからない怒りや苛立ちなど、いままで無かった。

 このような些事を訂正しようなどと思ったことはない。



 ────それらを鑑みて、頭の中。

 冷静な部分が問いかける。


〈……その、原因は?〉


(…………それは)

(…………今。考えることではないだろう)



 

 どこかに流れきそうになった思考を無理やり止めて。

 逃げるように彼は、『柔らかなすまし顔』を意識しながら、絹糸の柔らかさに意識を注ぐ。


 どことなく、後ろめたさのような感覚に包まれそうになる彼に、その声は響いた。



「あ、これ使うといいよ」


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