10-7「笑顔」




「────で。その……『ぷりん』も?」

「え? プリン? あ〜〜、うん。前の晩に作ったから、ついでに。」

 

「…………………………………………」

「なんでだまるの」




「…………………………………………。

 ………………………………………別に」


 


 瞬間的な返答に、エリックはぼっそりと答えた。 

 顔はそのまま、目線は横。

 艶やかなカウンターを視界に押し黙る。


 口の裏……いや、その、もっと奥。

 渦を巻く『固い、苛立ちのようなもの』に、表情うわべが、強ばるのを感じながら。


 あっけらかんと眼差しを向けてくるミリアを横に、思い出すのは【先ほどの光景】。



 楽しそうな笑い声。

 打ち解けていて、フランクな雰囲気。


 扉の音に、二人同時に目を向けて『あ、来ちゃったね』と言わんばかりの、あの──『部外者が来た』という空気。



(…………別に。だからなんだってわけじゃないけど。)



 コルトという名前の男と『どれだけの交流が期間があったのか』、エリックは知らない。革屋の息子だというのだから、職人組合同士、それなりの付き合いがあるだろうというのは解る。


 ────が。


 『みっちゃん、美味かった』

 『まーじ好き』

 『みっちゃん、まーたねー?』



 否応なしに蘇ってくる、ふざけた声にムッとする。

 ポロネーズでミリアが語った内容が違う。



 『プリン、美味しいんだよ?作り方教えてあげる・・・・・・・・・

(…………俺には『教える』って言ってたよな……?)

 


 『みっちゃんのプリン、美味かった』

(…………なのに、へえ? ……随分と仲がいいじゃないか)

 


 ああ、イラつく。

 むしゃくしゃする。

 気に食わない。


 マジェラの魔導書だって、ふたりの仲を『魔力が移るぐらい親しい間柄』だと明記していたのに。『最も近しい間柄の人間には魔力が移る』と書いてあったのに。



(────別に? あんな一文を真に受けるわけじゃないけど?)



 エリックは矛盾を転がした。

 いら立つをそれを押さえるように、言い訳を並べ立てる。


 真に受けているわけではない。

 大したことじゃない。

 これしきの事で腹を立てるなど、バカげているだろう。


 そう、頭ではわかっているのだが──腹の奥が追い付かなかった。 


 力を入れていないと口元が歪みそうになる。

 そうでなくても表情の険しさを抑えられない。


 

(………………なんだこれ。気に入らない。……くそ……!)



 『なにが』と問われたら答えられないが、端的に言い表すのならば『シンプルに気に食わない』。

  

 無性にイライラする。

 あの男の声も、先ほどの雰囲気も、あの態度も。

 舌を打ちたくなる。

 詰問をぶつけたくなる。



 

 ────そんな一点を見つめる鋭い瞳が、ふと捉えたのは視界の隅。

 あれ以上特に何も言ってこないミリアの横顔。

 静かに糸を通した針を確かめているミリアの、戸惑いを隠したような顔つきに──芽生え広がる罪悪感。



(…………いや、違うだろう)



 瞼を落として、息を整える。

 呼吸と共に、感情を、たしなめていく。

 

 

(…………別に、ミリアに親しい人間がいても不思議じゃない。『この愛想の良さ』だぞ? 交友関係がある方が自然だ。それはわかっていたことじゃないか。なに苛立っているんだ)



 ──彼女はこのあたりで、ずば抜けて愛想が良かった。

 だから選んだ・・・・・・・

 もとより、それが狙いだった。

 自分以外にも愛想がいいことは解っていた。

 今更、目の当たりにしたからなんだというのだ。



 広がる闇に言い聞かせ、ゆだるような腹の中を、奥底へ。

 いまだ、眉根にこもる力を感じつつも、エリックがゆっくりとミリアに目を向けた時。



「…………!」

 

 視線が交錯し、彼女の手が止まる。

 黙るミリアの瞳が宿すのは、動揺と戸惑いの色。


 彼女がまともに困っている。

 彼女を、困らせている。


 

(────ああ、いけない)


 静かに静かに。

 瞼と共に、怒りを堕とす。

 腹の奥底へ。


 "────それをぶつけてはならない”

 ”困らせるな”

 ”コントロールしろ”



 渦巻くものを、平たく伸ばすように。

 ゆだるものを、凍らせるように。

 


 音もなく。

 息と共にそれらを吐き出し、──一拍。



「────さっ! ミリア? ボサッとしている場合ではないよな? どんどん片付けてしまおうか」

「──へっ?」



 きらりとした笑顔で明るく話しかける彼に、間の抜けた声が返ってくる。



「どうした? ほら、早くしないと。 俺は何をしたらいい? 軍師様に命令を戴かないと、兵は動けなくなってしまうぞ?」


 

 はきはきと。

 何もなかったと言わんばかりに。



「…………ぁ、……ぇーと……」

「うん? 何を驚いてるんだよ? もともと修羅場だったのに、時間を食ってしまっただろう? 客が待っている。早く仕上げなくてはならないよな?」

「……そ、そうだけど……」

 

「──ここからは、俺も手伝えるから。指示をくれる?」

「…………う、うんっ。えーっとね」



 返ってきたのは 動揺と戸惑いの声。

 パタパタと動き始めた時間と空気。

 顔は向けるが、目線は反らして。

 布を片手にエリックは問う。

 


「なあ、ミリア? これ、どうしたらいいんだ? 俺に教えて?」

「え! あっ、えーーーっとねっ?」


 慌てて、合わせるように・・・・・・・説明しだした彼女の手元を見つめながら、エリックは思う。




 優等生の仮面は、便利だ。

 押し込めるのに 最適だ。

 自分でもわからない感情ものを、彼女にぶつけるな。


 塞げ。

 封じろ。

 湧き出すモヤを、このイラつきを。

 ”気に食わない”なんてものは言い訳だ。


 飼い慣らせ。

 コントロールしろ。

 盟主たるもの、心にゆとりがなくてはならない。



 出来る。

 出来る。

 出来ないはずがない。


 今までもそうしてきた。



 彼は知っている。

 笑顔は便利で 最強の盾であることを。


 

「────なあ、ミリア?」

「う、うんっ?」


「聞きたかったんだけど、『ルメ』と『ニモ』という道具に、心当たりは?」

「────ルメとニモ……?」



 ミリアの動揺が薄れていく。

 空気が、変わっていく。


 ────ほら、簡単。




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