10-2「まい上がるスカート。白い脚。驚く彼女の秘めたる部分を隠す──」




「…………」


 ──ああ、思い出してしまった。

 我ながらどうしたって男だ。

 普段そのような目で見ていないとはいえ、艶めかしくも色っぽい女の身体や、普段見えない部分に目を奪われるのは当然である。


 しかしながら、それらにしらを切り切った《あの時の彼》に待っていたのは、ミリアのマシンガン・真顔フォローであった。



 『パンツ見えたとか気にしてませんし。』

 『ほんとほんと、全然気にしてない。』

 『うんあの、気にしていないので。』

 『見たとは思うけど気にしないし。うん』



 あの直ぐ後。

 真顔・高速で繰り返される早口気味のフォロー。

 言われれば言われるだけ精神的ダメージが増える。

 フォローのつもりなのか責めているのか、全くわからないその対応に、当時の彼は居たたまれなかった。



(……見たことは絶対に認めないが。ああも「気にしていない」を連呼されると複雑だ)



 小難しい顔で口を曲げてしまう。

(仮にもこちらは男だ。少しばかりは恥じらってもおかしくないと思うけど?)──と渦巻くエリックの、その脇を素早く駆けていく二つの影に、顔が──上がった。




 子どもだ。

 この街では珍しい幼子。

 年齢は十を行かないぐらいだろうか。

 『やんちゃで活発』という言葉がぴったりの彼らは、道の真ん中で戯れながら、



「おれ、しょうらいかっけー騎士になるんだ!」

「じゃあおれは めいしゅさま! めいしゅさまになる!」

「めいしゅさまは、きぞくじゃないと なれないんだぞ!」

「ええええ~! じゃあ、きぞくになる!」



「────……」

 そのにぎやかな声に、自然と足が止まる。



 彼らはとても楽しそうだ。

 まるで永遠の時を楽しんでいるかのように、声を弾ませ戯れている。


 身軽な身体。

 無邪気な声。

 夢に溢れているであろう顔に、汚れも知らないあどけなさ。



 8月の、徐々に夕暮れに染まりゆく空の下。

 オレンジ色の光が照らす商店街を駆けていく子どもたち。




 ──ああ、これほど穏やかで、未来を感じる光景があるだろうか。

 そして、これほど『気を引き締められる思いになる』光景があるだろうか。


 年々少なくなっていく子どもの数。

 女性も自立し国内の生産性は上がったが、みるみる目減りしていった出生率。


 今はまだそうでもないが、この調子で下降の一途を辿れば、国としての繁栄どころか衰退────滅びゆくことは目に見えている。



 『今の問題は、いつか、自分たちに負債となって返ってくる』。

 『そしてその負債は、子どもたちに課せられることになる』。

(────……なんとかしなくては)



 無邪気な時間を楽しむ子どもの影を振り切るようにきびすを返したエリックの脳内に、ミリアの言葉が過った。




 ──『集団で育てたらいいのにね』

(……それも、一理ある……けど)



 彼の常識がささやく。

 『けれど、”家柄”は大事だろう?』


 そして芽生えた疑念が問うのだ。

 『本当にそうか?』




 年頃になってからずっと。

 大柄の執事ヴァルターに言い含められてきた。

 『いずれは旦那さまも結婚を』

 『お相手には、オリオンにふさわしいお方を』

 言われるたびに『そうだな』と、言い聞かせるように頷いてきた。

 


 『オリオンにふさわしい家柄の女性を娶り』、『ふさわしい環境で子を拵え、家督をつなぐ』。



 それは当然のことなのだろうが、裏を返せば『家柄と素養が揃えば、本人たちの気持ちなど度外視』ということになるだろうと、冷めた気持ちを向けていた。



 そしてそれは、今。

 疑問となって彼の胸の奥底に生まれ始める。


 『家』『家系』『血筋』『家督』

 『婚姻』『結婚』『出産』『子育て』


 『集団で育てたらいい』

 『家柄は大事だ』


 『トラブルになるぐらいなら最初からそんなもの』

 『夫婦めおととなり、由緒正しい教育を』



「────…………」


 渦巻く頭の中。

 まとまらぬ思考とは裏腹に、足はせっせとビスティを目指し石畳を踏んでいく。


 

(……どちらも、生き物としての在り方としては……間違っていないと思うけれど)



 ミリアはあっけらかんとああ言うが、人が古来より『婚姻』と言う契約を結び、『家族』というコミュニティを形取ってきたのには、なにかしらの理由があるのだろう。

 


 〈個人〉に執着する理由については解らないし、〈他人〉の交友関係に腹を立てる理由もわからない。


 そもそも『妻だろうが恋人だろうが人であり、モノではない』のだから、自分のものだとかそういう感情が出てくるのも、理解不能だ。


 しかし周りが揉めているのもよく知っている。

 浮気・不倫・内縁・隠し子。

 それらの問題で大火傷をおった貴族も少なくない。 



(──まあ、シンプルに”契約違反だ”と激昂しているのかもしれないけど?

 ならば契約を切ればいいだけの話……だろう)


 見聞きした愛憎劇さえ冷淡に。

 (……きっと、そういう単純なものでもないのだろう)と切って捨てる。



 他人のことなどわからない。

 愛恋も執着もよく知らない。

 自分には愛情などというものはないのかもしれない。



 ────しかし。 

(……まあ、なんにせよ)

 ────”この国を、滅びへと導かないために”



(…………俺がまず、婚姻を結ぶべきなのだろうが──)

 

 そしてまた、悩ましげに。

 重々しく息を吐く彼の、暗き青の瞳がふと捉えたのは、総合服飾工房オールドレッサービスティーの店構え。





「…………、」

 ──ああ、少しホッとする。

 

 もはや馴染みの場所になった店構えが優しく感じて、胸が安らぐ。


 closedの吊るし看板の向こう側。

 待っているであろう修羅場と、相棒の顔にくすりと笑う。


 今日はきっと、長丁場だ。

 いったいいつになったら帰れるか。

 しかしそれもいいだろう。

 手伝うと申し出たのは自分だし、なによりミリアと共にいるのは純粋に楽しい。


 

 それらを胸の内に、エリックはドアノブに手をかけて────





「……あはははは! ちょっと、それはないでしょ!」

(……?)



 わっと溢れ出た陽気な笑い声に、エリックは驚き目を丸めたのであった。

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