9-6「漏れてるじゃん!」




「……ミリア? さっき、目を通した時に見えたんだけど。────ここ。読んでみてくれる?」

「……?」



 ぐいっと表紙を丸め、広げ指差ゆびさす先。

 ミリアは、久方ぶりの魔導書を覗き込み、したる部分を読み上げた。



「────”また、ごく稀にではあるが、魔力を持たない者への救済処置として『魔力転移』が存在する。これは、特殊な条件を満たした場合にのみ起こりうる事柄で、魔道士がもつ魔力が他人に伝染うつる現象である。”……


 ”母体となる魔道士の最も近しい間柄あいだがらの人間には、その力が移りやすく、魔力の少ない者も、魔道士のそばにいることにより、魔力を補うことができる”。”転移の他に、救済措置として、眷属けんぞくになることが挙げられるが、これには魔道士本人との契約が必要である”……」



 ぽつぽつと読み上げる彼女の隣。

 その声色が落ち着きに変化していくのを捉えながら、エリックは──穏やかに微笑みながら息を吸う。



「────つまり、君にとって俺は、”最も近しい間柄の人間”ってことだろ? それで、君の魔力が俺に伝染うつ

「────もれてるじゃんっ!」

「────はっ?」



 予想だにしない切り返しに、エリックが目を点にした時。

 ミリアは、ぐりん! と顔を向け彼に言う!



「漏れてんじゃんっ! わたしの力、もれてる! だから伝染したっ!? だからローブ着ろってあれほど言われてたってこと!?」

「ちょ、」


「じじいとばばあは正しかった!? 古臭いと思ってたのに、正しかったってこと!? ローブ! ローブないとダメ!? ねえ、マジェラの民はローブじゃないとダメってことなの!? わたしはローブで過ごせと!? このウエストエッジで!? ……いやそこじゃなくて、ウツしたの問題だよね!?」

「…………いや、えーと。」



 一気に慌てふためく彼女に、エリックはかろうじて『待った』の手を上げた。



 始まってしまったミリアの『カオスタイム』に舌を巻く。

 

 エリックはそれを言いたいのではないのだが、まるで会話の横から飛び蹴りスライディングをかまし、綺麗に折り倒すような鮮やかな『方向転換』に頭が追い付かない。


 『いろいろな意味で大丈夫だよ』と声をかけたかったのに、秒で『漏れてる』と返されるなど、誰が予測したであろうか。

 

 そして彼女は、混乱の坂を転がっていってしまうのだ。

 今も、この一瞬で『体調大丈夫!? えっ? え、どうしようこれ!?』と混乱の坂を転がっている。



 そんな彼女に、ひとつ。エリックは言葉を投げた。



「……ミリア? えーと、落ち着いてくれるか?」

「えっ!?  ……えっ!? ご、ごめんなんかっ! うつしてしまったようでっ! ……えッ!? でもコレどうしたらいいんだろうっ!?」


「…………」

「魔力って返品できる!? わたしが吸収するとか、そういう風にすればいい!?」


「…………」 

「──や、えっ? ……きゅうしゅう……!? 魔力ってどうやったら吸い取れるの??」


「…………」

「吸い取る術なんてあったっけ……!? ええええ?? ──っていうかヤダ! またローブだけの生活になんて戻りたくない! やだやだ! まっくろとか無理ーーー!」



 わたわたと頬を両手でつつみながら 挙動不審に陥る彼女を前にして。

 エリックは──待っていた。

 彼女が、ひとしきり混乱し尽くして落ち着くのを。



「…………えええ、どうしよう……」




 ──見てきたから、知っている。

 エリックは知っている。



「…………困った……どうしよう……」



 瞬間的にテンパってしまっても、それが持続しないこと。

 ひとしきり出したらスッキリして、通常の彼女に戻ること。

 そして、そのスピードが異常に速いこと。


 目の前で、混乱しつつも。予想通り、だんだんと落ち着きを取り戻していく彼女に、────はその名を、呼んだ。



「────ミリア」



 ゆるやかに。

 まっすぐ彼女を見つめながら自身の気持ちを、述べる。



「…………どうもしなくていいよ。君はそのまま、俺のそばにいてくれる?」

「────へっ?」



 素っ頓狂な返事に笑う。

 『ここで必要なのは素直な言葉だ』と確信した脳が紡ぎ出す。


 驚いたはちみつ色の眼差しを導くかのように、彼は簡易魔術書きょうかしょに目を落とすと、



「……さっきも言ったけど。『魔力が使えるようになる』のは、俺にとって不都合なことじゃない。力は、誰にも奪えない武器で、財産だ。知識や戦術以外で体得できるものがあるなんて、思いもしなかったけど、これはむしろ、『嬉しい誤算』……かな?」


 

 緩み笑みを浮かべる口元を機嫌のいい右手で擦り述べた。


 そう。ミリアは魔力が伝染うつったことを申し訳なく思っているようだが、逆だ。『これは、大きな優位』であり、マイナスになるものではない』と。考えを伝えたかった。




「──だから。……いいんだ。君は、そのままで」

「…………え…………」



 小さな、驚きを孕んだ声にほおが緩む。

 自然に述べてしまったが、まるで口説き文句のようだと頭の隅で思う彼に飛び込んできた彼女の表情かおに、息をつめた。



 困ったように眉を下げ、恥ずかしそうに自身を抱きしめる彼女がいじらしい。

 はちみつ色の瞳を瞼の中で惑わせ、ぽわっと頬を染める様子に『恥じらいを感じている』と、鼓動が脈を打った時。


 はちみつ色の視線が──『ちらり』。

 



「…………漏らせってこと……?」


「────いや。違う」

「……漏らしっぱなしでいいのだろうか……?」


「………………ミリア」

「……漏れっぱなしはヤバくない?」


「────ミリアさん。誤解を招く言い方はやめてくれないか。」



 くにゃりと悩ましく、恥じらいを浮かべて困り果てる彼女に、エリックは恥じらを圧縮した口調で言い放った。



 先ほどまでの『まるで勘違いしそうになる空気』はどこへやら。

 今漂うのは、居心地の悪そうに恥じらうミリアと、彼女の言い回しに複雑を押し込めるエリックの、微妙で居たたまれない空気である。

 


 エリックがその脳で(いや、だから……言い回しが)と葛藤する先で、ミリアは”ぐーっ……”と眉を寄せ、チラリと彼を見上げると、




「……なんか抵抗あるんですけど……」

「────『需要』と。『供給』が。『成り立っている』んだ。気にすることは無いよ」


「……じゅようときょうきゅう……そういう問題?」

「そう。そういう問題。……君は、そのままで居て」



 心底『まだ抵抗あるんだけどな……』を瞳に込め見つめてくるミリアに、エリックは、最もらしい言い分と真剣な声色で押し切った。

 それらに納得したのか、目の前で小さく「…………うん、わかっ、た……」と小さく頷くミリアに対し、舌を巻きまくるのはエリックである。



(──いや、そう返すか、普通……!? 口説いたわけじゃないけど、なんだこの感じ……!)とガリガリ首の裏を掻く。


 ミリア・リリ・マキシマムとのやり取りが『まっすぐ落ちない』のは百も承知だ。しかしこの数分は本気で予想外に予想外を重ねた物を喰らった気分である。


 彼女が『魔力が漏れること』に抵抗を覚えているのはよくわかったが、それにしてもワードのチョイスと表情もろもろが反則だ。

 


 中で渦巻く『参った』を散らすように、うなじを掻くエリックだが、次の瞬間その手を止めた。先ほどから自分に刺さっている──ミリアの『じっ』とした視線に気が付いて。



「ん? …………なに? どうした?」

「いやべっっつに。なんでも。」



 動揺を押し殺し、澄ました声での問いかけに、フルフル首を振る彼女。

 その様子はほんの少し怒ったような、不服そうな顔だが──その裏に好意を感じたエリックは、『フッ』と一つ笑みをこぼし、




「……うん? なーんだよ? 照れた?」



 軽く投げてみる『からかい』。

 戸惑いを余裕で隠してほほ笑むと、彼女は視線を反らし素早く首を振る。



「いや?? べっつに? そんなことないですし??」

「────フッ! なら、それでもいいけど。君は俺の相棒だろ? 魔道士様?」

「……………」


「どうした? その顔」

「いやべつになんでもないです。」



 まるで、何かを隠し誤魔化し不貞腐れるような顔つきが返ってきて、エリックは小さく口の端を緩めた。


 ミリアの考えについてはわからないが、今。

 本気で怒っていないことは解る。


 恥ずかしがっているのか、我慢しているのか、なんなのか。

 真顔ではあるが、その奥にほんの少しの照れのようなものを感じて、エリックはそれら全てにくすりと笑い、流れるように『カード』に目を落とすと




「…………にしても、このカード。面白いな。長年勉強してきたはずの君が驚くほど、簡単に魔法が使えるんだから。…………これなら、俺の方が上手く扱えるかもな?」

「────ほおー?」



 エリックがかました『余裕シャクシャク、尊大とも言える発言』にミリアから漏れたのは『はぁーん? 言うじゃん?』なトーン。


 そして彼女は、彼を覗き込んで言うのである。



「…………そーいうこといいます?」

「…………うん?」


「────へえ〜〜〜? ならこっちにも……考えがあるんだけど!」









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