8-6「花束をキミに(1)」
「最近多いよね〜? 『新しいの出たよおにいさん』と『しあわせおにーさん』」
「…………『幸せお兄さん』?」
夏のタンジェリン通り。
短くテントを張り出した商店を背景に、ミリアの口から飛び出した『間の抜けた言葉』に、エリックは思わず目を見開き問い返していた。
思わず足も止めるそのワード。
戸惑いと拍子抜けを纏うエリックの視線の先で、ミリアは、バラと領花カルミアの混じる
「そうそう。ああやって『幸せですか?』って声かけてくる人たち。居るじゃん?」
「…………いや、初めて聞いたけど」
身振りも大きく聞いてくるミリアに、エリックは静かに首を振った。
確かにこの街は、服飾の発展を中心に色々なものが流れ込んできている。
街中ではしょっちゅうビラ配りや客引きを見るし、絡まれている女性も多い。
しかし、ミリアが言う『幸せお兄さん』については、エリックは聞いたことがなかった。
彼が、瞬間的に、自分の範疇で(どこを歩いているんだ……? 大丈夫か……?)と疑念を巡らせる隣、ミリアはハニーブラウンの瞳に”不思議”を浮かべると、
「そーなの? 居るよ? 良く居る。『新しいの出たよお兄さん』と『幸せですかお兄さん』が居るんだけど」
「…………はあ。」
「──彼らはきっと亜種だと考えている……!」
きらぁん……! ふふーん……!
”──間違いない……!”
──と、その表情仕草で語るミリアに呆れる。
まるで動物のような言い方をする女である。
自信たっぷりのミリアを隣に、エリックは気抜けした眼差しで背を丸めた。
前々から感じてはいたが、ミリアの口から出る言葉はイマイチ緊張感に欠ける。張りつめた懸念も警戒も無駄になるというか、肩透かしで拍子抜けになるというか。
彼女のフィルターを通すと独特のものに仕上がるというのだろうか。聞いてて面白くはあるのだが、そのフィルターのせいか、『プリン』も結局いまいちよくわからなかった。
それらを総合し、ぐるりと考えて。
エリックは、彼女にもう一度、静かなる視線を向けると
「────……君はいちいち表現が変わってるよな」
「キミも、いちいち言うよね? まあいいけどね慣れたからね?」
「……ちなみに、聞きたいんだけど。良く居るのは
「いるよ~。『幸せお兄さん』でしょ、『新しいの出たよお兄さん』でしょ? 『調査してますお姉さん』に『占い好きですかお姉さん』」
「…………」
────聞いて、黙る。
石鹸の花束を弄ぶ彼女に瞬間的に返すは、もちろん。
訝しげな問いだ。
表情に険しさと緊張を交え聞き正す。
「────《調査》って、なんの?」
「……さあ……? 満足度調査とかなんとか言ってたけど……?」
「なんの満足度か、覚えてる?」
「……生活に関する満足度……?」
「──……随分ざっくりしてるな……。──……けれど、それは答えない方がいい」
チェシャー通りを行きながら、落ち着きなく花束を動かす彼女に、エリックは神妙な顔つきで首を振った。
──『そういう手合い』が多いのは、エリック──いや、エルヴィスも重々承知している。
産業が賑わうということは、人も業者の出入りも激しくなる。有事の際なら規制を張るが、今はそこまで厳しく取り締まっていないのだ。
──新しい文化や産業は、国の発展に必要なことで、問題ももたらすが、税収や国益などの視点から鑑みれば厳しく規制を張るのは損失になりうる可能性もある。
──かと言って、好き勝手にやらせるわけではない。
塩梅が難しいところではあるのだが、国としても、ある程度は業者のマナーや常識に任せて、信頼をおく他方法が無かった。
ただし──中に『怪しいのが混じっていない』とは言い切れない。
現に、ミリアから出たワードの数々は、心が和やかになると言えばそうなのだが、彼の感性からすれば胡散臭くて仕方なかった。
──それらを巡らせ、眉間に皺。
悩ましげに口元を覆いつつ、エリックはミリアに顔を向け、吐く息と共に
「──領が正式に行なっている調査ではないから。……君の情報が妙なことに使われるかもしれない」
「……みょうなこと。」
神妙なトーンに、返ってくるのはピンとこないという顔。
視線の先で、右手の花束をちらちら見るミリアに、エリックは視線を落とし、考えながら口元を覆うと、
「──そう。例えば、そうだな……」
「ねえ、そうだ。──────、」
「────────はっ?」
真面目な声を遮って。
ミリアから出たその言葉に、エリックは思いっきり、素っ頓狂な声を上げたのであった。
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