8-5「香る手のひら 君の花(2)」




「────このあたりは昔からオリーブがよく採れるし、灰も容易に手に入ることから、石鹸も洗剤も作るのに事欠かなかったんだよ。表には出ない『隠れた産業』だけどな」


「ほぉ~」

「──とはいえ、ここまで石鹸加工の技術が進歩してるのは、俺も知らなかったんだけど。これだけ『『服飾・洗濯・石鹸加工』に特化している街ならでは』、かな」



「ふんふん」

「────ミリア。『クリーニング店』、多いと思わなかった?」


「…………いわれてみれば…………?」

「────なあ。」



 怒涛の説明と問いかけに、ぽけーと。

 『そういえばそうだね……?』とゆっくり首をひねるミリアに、エリックの口から遠慮なく飛び出すのは『彼』。



 花束を片手に、彼は腰に手を当てミリアを覗き込むと、



「……君、5年暮らしてるって言ってたよな? あれは俺の聞き間違いだったのか?」

「暮らしてる! 5年もいる!」


「──なら、なんで気づかないんだ」

「だって行かないし! 行かない場所は知らなくない? 興味ない店は背景と一緒じゃん?」


「……極端な」

「串焼きの店と、布屋さんとパーツ屋さん! そこは詳しいよ? あとは服屋さん。それと八百屋さんと精肉店。そこは詳しい。でも、他は背景。見てない」

「………………………………………………………………………………………………はぁ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ミリア………」

「そこまで呆れることなくない?? そんなに思いっきり眉下げる!? 今超溜めたよね!? じゃあじゃあ、おにーさんは布の種類言える?? 服のパターン、どこまで知ってると言うのか!」


「……いや、そこまでは知らないけど。と、言うか。服や布の種類と、店の偏りや街の特色は別のハナシじゃないか? 論点がずれてる」

「ズレてるかもしれない! でもそこまで思いっきり溜めまくったため息をつかれるのは心外っ」


「──なら覚えてくれよ。五年も暮らしてるんだろ?」

「だって『興味のない場所は”背景”』だもん!」

「それで暮らしていけるのか?」

「困ってないし!」


「…………あの〜……もしもし……?」



 流れるようにはじまった言い合いに、忘れ去られていたブーケの男が弱弱しく口を挟んだ。まるでこのまま歩き出しそうな二人に、自分の存在を思い出して欲しかった。


 ────が。



「興味ないモンは興味ないもん!」

「……ガラス工芸は? あれもうちの特産なんだけど、知らない?」

「それは知ってる~♪ 雑貨屋さんとかグラスショップに行くよ♪ 綺麗だよね~♪」

「──ああ、安心。 君の店で使ってるガラスペンも、あれもなかなか良いものなんだ。壊すなよ?」

「……壊さないし! あ、でも、石鹸は地元より安くてびっくりした!」


「……ああそうか。値段もそうなのか」



 ──割り込む隙などあるはずもない。

 驚きに目を丸めるミリア、それを受けてしげしげと述べるエリック、会話は大いに盛り上がっていた。



「そう! あのね、あっち高いの。石鹸、高級品なの!」

「──それはこちらでもそうだったよ。だけど工業魔具のおかげで、大分安く出回るようになったんだよな……俺が小さな頃は高くて仕方なかったみたいだけど」

「必需品なのにねぇ。でもでも、こっちでこんなに安いなら、あっちとこっちで交易でも始めようかなあ」

「──それをするなら税をかけるけど。しかし、そうだな、……こうして生産量をあげられるのなら、新たな名産品として売り出すのもありだよな」

「────あの~…………モシモーシ……」



 ──今度は。やや、はっきりと。

 勢いはないが大きめの声に振り向くと、ブーケの男が引きつって笑っている。



(────あ。わすれてた)

(……そういえば居たな)



 同時に『完全に忘れてた』を滲み出しまくる二人に──ブーケの男はひくひくと頬を引きつらせながら、口を開いた。


 

「おっ……、オフタリさん、仲良いンすねぇ。オレ、存在忘れられてたナ~……」

「ああ、悪かった。────それで? このフラワーソープは、何のために?」



 しょんもりと。

 わざとらしく肩を落とす男に、毅然と聞き返し、一歩踏み出すのはエリックだ。


 ここでミリアが『ごめんね?』と謝り隙を見せ、あれよあれよと言わないうちにセールス男の意中にハマるのを防いだのである。ミリアを護るように間に入りながら、再び警戒を滲ませつつ視線を送る。



(──こいつは所詮しょせん、末端の人間なんだろうけど。ここから宗教や物品契約にまで連れて行かれることもあるからな……)



 あらゆることを考え、様子を伺うエリックに。

 しかしブーケの兄さんはへらへら顔でにこにこと返した。



「あたらしいモンができたんでぇ、試作っスヨ! へへへ、すっごいッショ!?」

「…………」



 手揉み、すりすり。『興味あるでしょ~?』と、抜けた前歯も煌かせて擦り寄るが──もちろん、エリックはいい顔をしなかった。

 検閲・品定めという目つきでブーケを一瞥し、流れるように顎を手で触りながら、訝しげな顔で言う。



「…………”試作”、ねえ……確かにこれは凄い技術だが。こんな商品を無料で配っていいのか? 採算が取れないだろう?」


 ──はぁっ。


「そもそも、ここら一帯での頒布はんぷ活動には許可が必要だ。許可は取っ」

「ま~~~~た固いこといってる〜。いいじゃん、くれるんだし。綺麗だな〜って楽しもうよ!」


 

 矢継ぎ早の詰問を吹き飛ばすように。

 ミリアの勢いのある声がその場を駆け抜けた。


 矢を射るが如く変わった空気を引っ張るように、エリックから石鹸の花束を引っこ抜き、ご機嫌に鼻先を近づけると、



「ほらほら! ほんのり香りも、ふわ〜っ……………………………………………………………………………………………………………………………………、………………………………………………………………………………」

「おにーさんも! どっすか!」


 

 吸い込み・笑顔のまま言葉なく固まるミリアを遮るように。ブーケの男がずずいとエリックとの距離を詰めようとするが、しかしエリックは流されなかった。


 澄まし顔でその手のひらを相手に向け、固く首を横に振り、男にNOを突きつけるのである。



「────いや、結構。彼女が欲しいと言うのならもう一つ頂戴するが……石鹸や花を飾って愛でる趣味はないんだ」

「新しいンスよぉ!?」


「────『新くても』。必要ないものは必要ない。…………使えないしな、こんなの…………」



 言いながら、眉を下げた。

 ミリアの手の内で咲き誇るその花束は確かに素晴らしい。石鹸とは思えないし、そのまま贈り物にしてもいいだろう。


 ──しかし、このまま家に持ち帰るのは、処分に困るのである。


 それらをいろいろ考えて、エリックはブーケの男に目を向けると、今度は提案するように口を開く。



「決して、安いものではないだろう? 興味のない者に配るより、ターゲットを絞った方が採算が取れるんじゃないか? 俺に勧めても、商品の展望は望めないと考えた方がいい」

「いや、でも、タダですよぉ!?」


「……『無料配布ただは愚かである』。配る者も、もらう者もな。周知するのは必要だが、技術を込め丹精に作ったものを安売りするべきじゃないんだ。本当に価値があるものならおのずと買い手はつくだろう。そう、トップに伝えておいてくれ」



 ──そう、ブーケの男を一蹴し。

 そのまま(……いや、俺はそうだが、彼女はどうだ?)と思考をめぐらせ、流れるようにミリアに問いかけた。



「────ミリア、君は? もう一つ欲しい?」

「………………ううん、いっこでいいかな……」

「────と、言うわけだから。俺たちはここで失礼させてもらうよ」



 若干、テンションを下げつつ言うミリアの返答を合図に。

 エリックは、小さく彼女の腕を引き歩き出す。


 その場を離れる彼らの遥か後ろで、ブーケの兄さんは今もまだ『よろしくっすー!』と商品のアピールに余念がない。



(────その姿勢は素晴らしいけどな)



 と呟くエリックの横、大人しくついてくるミリアに、────ふと。

 短く息を吐き、流れるように『呆れを纏った小言モード』で口を開く。



「────まったく……、君は退屈しないな。てっきりまたナンパにでも引っ掛かっているのかと思った」

「いやあ、違いますね〜。前も言ったじゃん、『ナンパは滅多に声かけてこないよ』って」



 言われ、答えるミリアはおちゃらけていた。

 エリックの小言にも怯みもせず、悪戯にちょろっと目くばせ。

 横目で見上げる目がぱちっと合って、それが合図だったかのように、エリックはリズムよく問いかける。



「じゃあ、ああいうのは?」

「しょっちゅうある」


「しょっちゅう?」

「ある。ありまくる。歩けば来る。家にタダでもらったものいっぱいある。」


「……………………」

「あ、今汚い部屋想像したでしょ! そんなにめちゃくちゃ汚れてないし! ゴミとかすぐ捨てるし!」


「…………いや? 別にそうは言ってないだろ? 俺はただ、『一人にしておけないな』と思っただけ」


「一人にしておけないって。子どもじゃあるまいし」

「ああ。そうだな?」



 エリックの言葉に、楕円状の目で抗議を送る彼女に送るは『さらりとした同意』。

 そして彼は言うのである。

 ささやかな笑みに────からかいをまぜて。



「…………子供の方がまだ危なっかしくないかな? 『知らない人に物を貰ってはならない』って、教わらなかった?」

「あったかもしれない。まあ~~~、それはさておき」


「……さておかないでほしいんだけど?」

「うん、さておき」



 呆れ口調の小言をスパンと隣に置き消し、ミリアは構わず口を開け、──それを口にした。



「最近多いよね〜? 『新しいの出たよおにいさん』と『しあわせおにーさん』」

「…………『幸せお兄さん』?」



 その。

 間の抜けた文言に、エリックは思わず目を見開き、問い返したのであった。




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