8-4「香る手のひら 君の花(1)」




 ────石鹸。

 それは、体や服を洗うアイテムの一つ。


 シルクメイル地方、オリオン領の西の端。

 ウエストエッジの一角、人々で活気づくタンジェリン通り。

 店を出て、即行怪しげな男に引っ掛かっている相棒ミリアに声をかけてみれば、彼女が手にしているのは小さな花束だった。


 まるで『花束を配っている男』に見えない装いの男は、花を覗き込むエリックにこう語る。



「よかったらどっすか! 花束石鹸フラワーソープっす!」

花束石鹸フラワーソープ?」



※ ※



 ミリアの言葉を遮って、割り込み気味に話し始めたブーケの男に、エリックはオウム返しに問い返した。


 覗き込んだ先、ミリアの手元。

 白い羊皮紙につつまれ、色鮮やかに咲き誇るバラとカルミアの花は、とても精巧に作られており、遠目から見たら花束だとしか思えない。


 なのにこれが『石鹸』だという。

 にわかに信じられるものではなかった。



(──これは、貴族の間でもまだ聞いたことがないな)

 と、心の中で一つ。


 一瞬の間を置き、エリックは素早く目を向け、男に聞き返す。



「……へえ、これが石鹸?」

「っす! 新しいヤツっす!」



 疑いを交え聞いてみたが、男の返答は素直だった。

 彼は声に嫌疑もかけたつもりだったが、ブーケの男のそれには『企み』などは感じられず──ひとまず落とす、確認の視線。


(……石鹸、ね)

 

 ──物自体を信じるわけではないが、とりあえず・・・・・

 ミリアの手元を覗き込むエリックに、彼女の声がかかる。



「ね。すごいよね?」

「…………ああ」



 ミリアの浮いた声に生返事。


 ────エリックは石鹸生成の技術などには詳しくない。

 しかし、目の前にある『色とりどりの石鹸の花』が見事な技術で作られていることは解った。



(…………へえ…………)



 素人目でみても技術は素晴らしいものだ。

 物珍しさも相まって、限りなく黒に近い青い瞳に光を宿しながらも、検閲の眼差しを忘れぬエリックの隣。


 ミリアは、薔薇を中心とした石鹸の花を横目に顔を上げ、顔を陽気に彩ると



「ね! すごいよね、これ〜! こんなふうにお花になるなんて! 見れば見るほどすごくない? どうやって作ってるんだろ?」


「へへへ! ウエストエッジっていやぁ、『服とクリーニングの町』っすからねぇ!」

「あ、そーなんだ?」



 ブーケの男の言葉に、けろっと返すミリア。

 そんな彼女に"あからさま”。

 瞬間的に眉をくねらせ、ため息をつくのは──もちろん、エリック・マーティンである。


 ──彼は、この街の──いや、この国の盟主だ。

 五年も前にこの街に来て、それすら知らない相棒に──黙っていられるわけがない。

 

 顔に出すのは《仕方ないな》を含んだ呆れ。

 ──はあ……とあからさまにため息をつき、首を振りながらミリアに述べる。



「ミリア……、それも知らないのか? 長いスカートに限ったことではないけれど、外を歩いていたら、どうしても泥も跳ねるし裾は汚れるよな? 女性が身に着けているスカートなんてその最たる例だろう? 汚れを取るために、職人も洗剤も必要なんだよ」


「………………あっ! そっか! そう、だよね~……? ……そう、だよね~~…………」



 呆れ混じりの言葉に、ミリアは高速で相槌を打ちまくった。


 その口調は”意表を突かれた”以外の何物でもなく、そんな彼女の反応に、エリックは『くすっ』と頬を緩ませる──が。


 彼女の脳内に渦巻いているのは『知らなかったことに対する恥じらい』や『反省』ではなかった。



(────そぉーか……! こっちの人film wrapフィルラップしないんだ……! そぉーか! それもそっか!)



 『カルチャーショック』である。

 こちらの人間が、彼女の国の『生活術』を使っていないという、『ショック』。 

 言われてみれば当然のそれに、緩やかに握った左こぶしの輪で口元を覆いつつ、ひとり驚いていた。



 ────『film wrapフィルラップ』。

 マジェラの民が最もよく使う魔法じゅつだ。


 モノに薄い魔力の幕を張り、保護したり包んだりする魔法技術せいかつまほうで、真っ先に教わり身につける。もちろん、今もミリアはこっそりと、その術で服を汚れから守っている。



 それが当たり前──むしろ『やってないなんて考えられない』彼女にとって、『汚れるからうんぬん』などという発想が出るわけがない。


 ──しかしここは、ノースブルクのウエストエッジだ。



(使えないもんね……!? なるほどそっか……!? 魔道士じゃないんだもんね……!? それもそっか……!)



 決して口には出さず、驚きを内側に留める彼女に、ひとつ。

 『くすっ……』と、小さな笑い声が届いて目を向けると、そこにはエリックの微笑みが待っていた。



(? なんかおかしなことした?)



 疑問符を浮かべる彼女の手の内から、緩やかな力で花束を引き抜き──彼は雄弁に語る。



「────だろ? 昔からの慣習とはいえ、女性の『汚れるのを承知で、丈の長いモノを身に着ける』という行いについては全く理解できないけれど」

(出ました、おにーさんの《しれっとした失礼意見》)

「……おかげさまで、洗濯業と服飾業は比例するように伸びてきたんだ。当然、石鹸や洗濯洗剤の生産もね。有難いことだよな……」

「…………」



 花束になった石鹸を前にして、声に、言葉に、敬意と感嘆を交えて漏らすエリック。


 ──その、言い分・口調に────

 ミリアは静かな疑念を送っていた。


 ────疑問であった。 

 石鹸でできた色鮮やかな花束を見つめる相棒から『たまに出る』、『尊大な意見』に、こっそり口を絞り考える。



(……まぁた『ありがたい』とか言ってる。 どこ目線なのか……?)



 エリックが『必ず自分の意見を言う性格』なのは、もうわかっている。

 しかし、気になるのは言い回しだ。

 『有難い』だとか『産業として根付いた、恐れ入った』とか、妙に『一般目線ではない』気がしてならない。



(……俯瞰してるって言うか……、上空から見てるって言うか……。お屋敷勤めの『ご主人様付き』だから……? 影響されてソウイウ思考になる……?)

 


 ──そう考えながら、ミリアの『どこ目線やねん』な視線を、『ふんふんなるほど? おにーさん流石』と捉えたエリックは────雄弁に語り出す。





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