8-7「花束をキミに(2)」




「──領が正式に行なっている調査ではないから。……君の情報が妙なことに使われるかもしれない」

「……みょうなこと。」



 夏のタンジェリン通り。

 エリックはミリアに、神妙な顔で『例え』を語る。



「──そう。例えば、そうだな……」

「ねえ、そうだ。これ要らないので差し上げます。」

「────はっ? 要らない?」



 ──唐突に。

 話の流れも考えもまるで無視して現れた花束石鹸フラワーブーケに、エリックはすべてを忘れて素っ頓狂な声を上げた。


 先ほどまでの推測や、頭の中で組み立てていた例え話は、花束に押されすでに思考のかなたである。


 話の流れについて行けない。

 理解が追い付かない。


 エリックがミリアの事を考えて、解りやすいたとえ話を用意しかけていたのに、綺麗にすっ飛び、頭の中は『要らない』と渡された花束と困惑でいっぱいだった。



(──はっ? さっきあんなに喜んでいたのに?)

 と瞬間的に目をやれば、ミリアの顔は、全力で『微妙』を描いており──


(『綺麗~♡』はどこに行ったんだよ)

 思わず呆けて毒を吐く。


  

 ──わからない。女という生き物がわからない。

 そんな様子は微塵も感じられなかった。

 気に入ったものだと思っていた。


 その混乱に包まれるエリックの前、ミリアはぐーっと眉間に皺をよせると、困ったように唇を”くっ”とあげ・人差し指の甲で鼻を『こすこすっ』と擦り、



「……いらなーい……。見た感じ綺麗だけど、匂いが……ちょっと。好みじゃないって言うか……」

「……いや。君、喜んでいたよな?」


「見た目は綺麗だよ? でも、なんか残り香が好きじゃない……あそこで要らないとも言えないしさあ〜……なので、差し上げます~。もらってくれる~?」

「…………」



 困り顔のミリアに聞かれ────エリックは地味に困った。


 手元の花束に目を落とし、喉の奥で小さく唸る。

 どうしろというのか。


 先ほどもセールスに述べたように、彼はこういうものに興味がない。

 石鹸も家にあるし、それらにも困っていない。

 こう、『ぽん!』と手渡されても、困る────のだが。



(────ちょっと待て。俺も興味はないんだけど。困ったな……捨てるというのも、ううん……)



 掌の中。

 咲き誇る石鹸に、目を落として眉間に皺。

 彼が瞬間的に考えるのは『その後の対応・反応』だ。


 部屋に飾っておくタイプではないし、そんな趣味もない。

 しかし、捨てるのには惜しいし、かといって気軽に渡せるものでもない。

 貴族の間でも見たことのない代物なのだ。

 『貴重な贈り物』レベルのこれを、どうしろというのだろう。



(────屋敷のメイドに渡すか? ……いや、それもちょっとな……)



 頭の中で二転三転させ、ブーケの処理方法を列挙する。


 ──仮に。

 これをメイドにくれてやるとしたら、公平を期すため、屋敷全ての女性に配らねばならない。


 『花を誰か一人に渡す』なんてことはもってのほかだ。

 『特別扱いに見える行為』がトラブルを呼ぶことは、散々見てきたし聞いてきた。

 ──『女性を雇う』ということは、そういうケアも必要になる。


 ──非常に、面倒だ。


 この花束がもたらす災いと、その後の処理を考え、眉間を絞るエリックはすぐさま小さく首を振った。


 今、考え悩み抜いても仕方ない。

 帰宅するまでにどこかで処理をすればいい。

 そうたかくくって、歩みを止めずに悠々と歩くミリアに視線を送ると、



「────で。そのー『幸せお兄さん』? とやらは? 彼らがそう名乗ったのか?」

「ううん、わたしが勝手に呼んでるだけ」

「…………はあ…………」




 けろっと答えるミリアにため息が漏れた。


 ”胡散臭い”は胡散臭いが、それを助長させる原因は、ミリアの間抜けな呼び方にあると判断したのだ。彼らの素性はわからないが、勝手に疑いをかけた事実に息をつく。



(……普通の民かもしれないんだろ。妙な連中な可能性も捨てきれないけど…………)



 ああ、一気にいろんな力が抜けた。

 考えすぎなのは悪い癖だと言われはするが、こうでもしなきゃスパイも盟主もやっていられない。しかし『怪しい要素を増やす』のはいかがなものか。


 ──そして、それらはエリックの口から、呆れの塊として外へ零れ落ちた。



「…………はあ。人様を勝手に……。彼らも、まさか君に『幸せお兄さん』だなんて愛称を付けられているとは、微塵も思っていないだろうな」

「呼び方は自由です。それより、知らないのにびっくりした。良く居るのに~!」


「…………人を選んでるんだろ? あんなの、声をかけてきたこともないよ」

「まじで? 一回も?」


「俺は経験がないな。────まず話しかけてこない」

「…………愚問でございました」



 彫刻のような顔の眉間を”ぐっ”と寄せて、怪訝なオーラを放つ彼に、ミリアはすぐさま固い口調で相槌を打った。


 短い間とはいえ、もう十分、エリックの人となりを知っているからあまり感じないが──ミリアの隣を歩く『エリック』という男は、基本的に『圧が強い』。


 彫刻のような、凛々しくも少々幼さの残る顔立ち。

 艶やかな黒髪は少しばかり跳ね癖があり、その出立ちも『普通の服なのにオーラがある』。


 笑えば好青年だが、最初の印象・・・・も、普通の顔をして歩いているところも、まるで──『警戒の塊』が歩いているように思える彼が、声をかけられるタイプではないのは、今のミリアからみても明白だった。



(……まーたしかに〜。ああいうのが声かけるタイプじゃ……、ないよね〜)



 (ですよね〜)とその横顔を見上げ、視線を外して前を見て呟く。

 彼が街中を歩いているところを想像し、問いかける。

 


「じゃあ、歩くときはサラサラ〜って感じなんだ?」

「…………まあな。ああいう手合いはまず話しかけて来ない」

「へぇ〜、時間かからなくていいねえ〜」


「……君は、いつもああやって時間を取られていそうだけど」

「余計なお世話ですけど。別にいいじゃん、結構助かることもあるし」


「──そこじゃなくて。”目が離せない”って言ってるんだ」

「……言ってなくない? そんなことひとことも言ってなくない?」


「…………──まあでも、”とにかく”。 ああいう手合いは、俺には声をかけてこないよ。君も、もっと警戒して歩いたほうがいいんじゃないのか?」



 流れるような会話の中。

 隣をいくエリックのその言葉に、ミリアは一瞬考え、そして。

 次の瞬間、思いついたように少しばかり身を乗り出し、彼を前から覗き込むと



「……”ああいう手合いは”ってことは、他のは何か寄ってくるんだ?」

「…………。…………まあ。」




 問いかけに、煮え切らない返事が戻ってきた。

 ”じっ”と送る視線に、エリックの表情が気まずい色に変わりゆき──誤魔化すように空を仰ぐと、苦々しく顔を染め上げ述べるのだ。



「……来ないことは、ないかな。でも、最近は減って────」

「──こんちはー!」

「────へっ?」



 エリックの言葉を遮って、突如現れた声の主に、ミリアはとっさに足を止め、声を上げたのであった。



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