8-2「瞳の罠を使ってきたのに。そうして生きてきたのに」
──『視線は武器だったはずなのに』。
見つめられて、何もできず、焦ったのは……
(────『自分の方』だ)
(──見つめ返せばよかったじゃないか。そうしてミリアの気持ちを手の上で、)
(──……いや、違うな。利用しようとしているわけじゃないんだ。好意を持たせて都合よく動かす必要はない)
二転三転。転がりながらも、脳が答えを探し出すその傍らで、さっきから、妙に動きが早い
(………………そう、そう。────ただ、”焦った”んだ。『想定外の動きに、ついていけなかった”。それだけで)
理由を立てる。
言い訳をする。
体の反応に、動きに『頭が、追いつかない理由』を、懸命に言い聞かせる。
(……そうだ。さっきから狂いっぱなしなんだ。だから”焦った”。混乱が後を引いているんだ。あれは、仕方ないだろ? そう、それのせいだ)
必死に納得させる、自らの心。
ビストロ・ポロネーズの席を囲み、頬杖を突いて黙り込むエリックの前。ミリアもまた……考えていた。
「…………」
じぃっと見つめるのは空のグラス。
口元を緩やかに握った指で隠し、一点を見つめる。
その表情は、決して落ち込んでいるわけでも、傷ついているわけでも、慌てているわけでもない。
ただ、じーっと。
ハニーブラウンの瞳で、カラになった紅茶のグラスをみつめ──……
「────ねね、──試してみよっか」
「え?」
おもむろに放ったその声がその場を貫き、エリックが跳ねるように顔上げた時。ミリアは、伺うような笑顔でカードに目配せすると、
「エリックさん。
にこりとした悪戯っぽい笑顔で続きを放った。
「……だから、”誰もいないとこ”、いこ?」
「…………」
テーブルの向こう。
キョトンとした彼が、一瞬”う”と固まり、そして──テーブルに右腕を置き、彼は真面目な瞳で問いかけるのだ。
「────『一応』確認しておくけど。…………………………………………………………………『広場』、だよな?」
「────ほかにどこがあるというのか。」
「だと思った」
※-※-※
(────まったく……)
”ミリア・リリ・マキシマムという女性は、本当に思い通りにならない”。
ビストロ・ポロネーズの店内を横切りながら、エリックは心底そう思い、軽く息をついた。
話の流れで『どこか広場に行こう』という話になってから、数分。『会計をする』という場面になったときに、またひと悶着あったのである。
『ここは出す』というエリックに対し、『いや、それには及ばない』と譲らないミリア。あの女も変なところで頑固だ。金ならあるし、そもそもご馳走すると申告したのに、断固として財布をしまわないのである。
もちろん、もめた。
『ミリア? ココは、君のねぎらいを兼ねているんだぞ?』
『そうだったかもしれない。しかし忘れたので、ここは払う!』
『じゃあ思い出して。ほら、しまって』
『じゃあじゃあ10メイル! 細かいのは払う!』
────と……『大人しくご馳走さえされない彼女』に、エリックは若干意地になった。
彼にもプライドというものがある。たかだか1000メイル行かない金額を、庶民の女に払わせるほど落ちぶれちゃいない。
しかしそこを汲まないミリアと、危うく店の会計前で言い合いになるところだった。
もちろん、押し負けたのはエリックの方だったが。
彼女には、自分が盟主であることも、スパイのボスであることも言っていないのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、妙なところでかっこつけさせてくれないミリアに不機嫌になる。
(……まったく、本当に)
今までの女性たちと毛色が違いすぎるのはわかっていたが、こうも聞き分けがないとは思わなかった。少しは見栄を張らせろというもんである。
(まあ。彼女がそう言いそうなのはわかってたけど?)
眉間に皺。唇に力。
なんとも形容しがたい表情で、胸の内で何度目かの息。
わかっちゃいるが、ブツブツと言いたくなる。予防線を貼りつつ『意見という名の文句』を言うのは、彼の得意技であった。
まあ、そうでもしなければ、彼の置かれている環境で、自身を保つのは────難しいことだったのだろう。
シルクメイル地方 オリオン領 西の端。
ウエストエッジのタンジェリン通り。
店を出た彼を出迎えたのは『裏の小道 商店街』。色鮮やかに皆を受け入れるそこは、この街の台所だ。
夏の光に眩しい建物の白い壁と、赤茶けた屋根。規則正しく立ち並ぶ露天商の客引きの声が響く。
活気あふれる光景に安堵の息をこぼし、店の軒先が作り出す影を抜け、燦々と降り注ぐ8月の光に少し、眩しそうに眼を閉じて。彼が探すのは、先に出ているはずのミリアの姿。
探す視界の中で、目にも鮮やかな商品が眩しい。
バスケットに並べられた、ベリーをはじめとする果物や、高く積まれた『白く丸いマッシュルーム』に『真っ赤なパプリカ』・『パセリの根っこ』。
大きく実り並ぶ、目にも鮮やかなトマトが、エリックの暗く青い瞳に映りこみ────それらを全て視界の隅に流し、彼はミリアの姿を求め、目を配らせる。
(…………ミリア?)
胸の中で、声に出しながら、人通りも多いその路地 店の前。
彼はぐるりと辺りを見回して────……
────居た。
捉えた。
その姿に彼はわずかに眉を寄せ、ぎゅっと石畳を踏みしめる。
通りの向こう。
見知らぬ男を前に、嬉しそうにする彼女と。
────その手に突然現れた、色鮮やかで小さな花束を目にして。
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