8-1「しどろもどろ」




 言葉は、不思議だ。

 誰にいつ・どのような影響を与えるかわからない。


 狙った言葉が響かないこともある。

 労いのつもりが傷付けることもある。

 そして、何気ないひとことが、何かを動かすこともある



 スパイのボスであり、盟主の男・エリック・マーティンは話す。

 着付け師のミリアと席を囲んで、雄弁に。

 


「君が相手につかまりでもしたら、その時は助けてあげるよ」

 …………ぴくっ…………!



 その一言にミリアが────ぴくんと小さく、動き、震えた。



「…………たすけて、くれるの?」



 喉が紡いだのはほのかに甘い声。

 甘えたような柔らかな音色に、エリックが自然と何気なく目を向けた先



「? 当たり前だろ? 君は、ほっといたらあっという間に捕まりそうだからな?……そうならないように手は打つけ、ど」


 ──言葉が、消えた。

 その目を向けた先・はちみつ色の瞳。

 ぱちっと合ったそれがこちらを見つめて、離さない。


 彼女の瞳に宿る『なんとなく』、恥ずかしそうな、照れたようなまなざしに動けない。


 迷うような躊躇うような、────『不意を、突かれたような』。

 微細な感情を宿しながらも、何かを訴えかけてくるようなミリアは、見入る彼の視線せかいの中で、目じりをとろんと下げたような顔つきに見えて──



「…………ちょっ、っと……! そんな、見るなよ……!」



 焦って声を上げたのはエリックだ。

 素早く視線を反らしてミリアを視界の外に流し、ポロネーズの床に安息を求めた。


 途端。

 がらりと動きだした空気、聞こえ出したあたりのざわめき、雑多な話し声。

 彼は飛び出した『待った』の右手を、そのまま首後ろに回す。

 ────『落ち着かない』。


 目が逃げる・焦る・そこを見ていられない。 

 そわそわする。

 けれど、黙っているわけにもいかない。

 突き出た言葉に一瞬顔をひそめ、瞬時に彼女の顔色を窺い瞳を迷わせ苦笑い。


 そして、平静を意識し、彼は、たどたどしく、述べた。



「──面白い、もの……でも、ないだろ? あの、流石に、その、あ~─……、”気になる”から」

「────あ。ごめん。う────ん、と。ごめん」



(──いや、なにやってるんだ、しどろもどろじゃないか……! なんで今黙った? 俺はどうした??)


 ──と、自分の動きに混乱するエリックの、その向こう側で。

 気が付いたように遅れて答えてミリアは、ぱたぱたと手を振り、目線を落として黙ってしまった。


 

 ──食って掛かるわけでもなく。たしなめられて、肩を落とした子供のように口をつぐむ。そんなミリアの、驚きと反省の混ざったような素振りに、



「…………いや、別に、いいんだけど」



 ──と。頬をかき、間に合わせのフォローをするが────沈黙が落ちるのみ。



(──気まずい……)

 自らが作り出した──、いや、変わってしまった空気に、彼もまた口を閉ざしてしまった。



 先ほどまでにこやかに談笑を続けていたのに。

 今、二人のテーブルだけが、水を打ったかのように、静かで、『次の手』が見つからない。



(…………参ったな)

 彼が、暗く青い瞳を瞼の中で迷わせ、ちらりと伺う中。ミリアは小さく目線を落とすと、細やかにこくこく頷き目を上げ、のほほ~んと、ゆる~く言い出すのだ。



「…………そだよねー。じっと見られたら気になるよねー、嫌だよねー」

「いや、…………というか」



 首を振る。

 彼女は『そうだよね~』と虚空を見つめながら納得している様子だが、エリックの内部はそうじゃなかった。



(…………なんて言えばいいんだ)



 言葉に、迷っていた。

 『君が謝ることじゃない』『嫌というわけじゃない』と口にしようとしたのだが、それは適切ではない気がする。


 言葉を探すエリックをよそに、彼女は平静だ。

 まるで情報を処理するかのように『うんうん、そうだよね』と呟き、気を落としてはいない様子。



 その対応を前にして、彼はさらに迷い・戸惑い・わからなくなっていた。



「────、」


 隠すのは口元。

 迷う瞳が落ち着くは、視界の『下』。

 そして、混乱気味の脳が問いかける。


 『どうしてこうなった?』『ミリアに嫌な思いをさせた?』『いや、させるつもりはなかった。今まで通りにできて居たらいいはずだった』。


 『────今まで通り?』

(────今までどうしていた?)



 自問自答の末、はたりと目を開き思い返す。

 瞳は、視線は、武器になる。

 『じっ……』とこちらを見るそれを、多くは見つめ返し、笑いかけるという手段をとってきた。


 相手の気持ちを転がすために。

 心理的優位を勝ち取るために。

 そうすれば相手は慌て、頬を染めたり怯んだり、いろいろな態度を見せてきた。




 顔を雰囲気を使って放つ、妖艶な視線・まなざしを前に『期待おもわくに乗ってくる愚か者もの』『勘違いしはしゃぐ愚か者もの』──とほくそ笑み、蔑んできたのに。

 

 ──『視線は武器だったはずなのに』。

 今、見つめられて、何もできず、焦ったのは────



(────『自分の方』だ)





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る