7-12「……怖い」





 ──そこに宿るのは、困ったような戸惑いの色。

 『教科書を貸してくれ』と切願していたエリックは、そんなミリアの顔つきに首を振る。威圧してしまったかと思ったのだ。


 エリックは、別にここを押し切るつもりはなかった。




「────出来ないなら出来ないでいい。駄々をこねたいわけじゃない。ただ、遊び程度でも『使える』のなら試してみたいだけだけで…………悪用しようなんて思って無────、…………ミリア?」


 

 真摯に『君の決定に任せる。しかし聞いてほしい』と語るその口は、最後、不可思議な色で名前を呼んだ。


 黙って聞いていたミリアの顔つきが、呆気にとられたようなものに変わっていき、それ以上を続けられなかったのだ。


 困惑ではない。

 迷ってもいない。


 ミリアの纏う空気それは──『言葉がない』と表すのがふさわしく──それを不思議に思ったエリックは問いかける。



「…………ミリア? どうした?」

「────おにーさん。たまに『怖い』っていわれませんか」

「────え。」



 唐突に声が漏れた。

 地味に痛いところを突かれた気分だった。

 瞬間にキャロラインの言葉が脳をよぎる。

 『シスターが怖がっていた』。


 ──一気にじわりと溢れ出す心地悪さ。

 無意識に喉を鳴らし、広がる苦みに口を噤む。


 ────別に凄んだつもりも、睨んだつもりもない。

 ただ、真面目に考えを述べていただけなのだが──



(────ここでそれを言われるとは思わなかった)



 じんわり痛い。

 『真剣に述べれば怖がられる』。

 相棒のミリアにさえも。

 熱意が恐怖として伝わってしまうのなら──どう伝えればいいのだろう?

 

 そんな迷いに駆られるが、エリックは振り払うように目を上げ、ミリアに──困った顔で問いかけた。



「…………怖かった? ……いや、凄んだつもりはないんだけど」



 意図せず込めるのは『自信の無さ』。『不安げな気持ち』。



「…………いやあのそーじゃなく……」

「──違う? ……その……君を怖がらせるつもりはなかったんだけど」


「いや、えっと」



 組んだ腕をテーブルに置き問いかけたが、ミリアは困ったように眉を下げるばかり。



 ────ああ、どうも上手くかみ合わない。

 彼女の意図がわからない。

 悪戯に不安に駆られているのは自分だけなのだろう。

 そんな感情を内に秘めつつ、しかし彼は『切り替えた』。

 使うのは『自嘲』。

 軽く肩をすくめて小首を傾げ、『躊躇いつつも吐き出すように』、こぼす。



「…………あぁ、別に、怒ってるわけじゃないんだ。怖がらせたなら、悪かった」

「────それは、わかっている」

「……? わかってる?」

「いやーーー……うーん……なんて言って良いのか~……」

「……?」



 細やかに首を振りフォローするエリックに、今度はミリアが両手を胸の高さまで上げ、首を振り、唸った。


 先ほどまでとは少し、様子が違うトーンに彼女を凝視するが、ミリアは言葉を探している様子。



「…………なに? 言っていいよ」

「………………え~と……」



 テーブルの向こう側。

 瞳を迷わせ、二・三拍。


 ミリアが言葉を探す中、妙に緊張を孕んだ自信の無さが、エリックの中に湧き出して────



「…………えと、”頭いいな”って思ったかな。あと、敵に回したくないな~って」

「…………敵……」

(────敵、)

「──────フ!」



 気まずそうに、苦笑いをしながら言われて吹き出した。

 『なんだ、そんなことか』。胸の内が綻び軽くなり、くすくす肩を揺らし口元に手を当てると、朗らかな笑みをこぼして彼は言う。

 


「………………”敵”って。俺と君は相棒なんだろ? 君が裏切るようなことさえしなければ、敵になるようなことはないよ」



 ────ああ、安堵が広がっていく。


 キャロラインの言う『怖い』とミリアの言う『怖い』の意味が違った。同じ単語で戸惑ったが、蓋を開ければ全然違った。



(────ああ、一瞬ドキッとした。また何か言ってしまったのかと思った──けど)

 


 素直に嬉しい。

 身分・立場を知らない彼女が放つそれは、素直に、沁みていく。

 消滅した不安と焦りの代わりに、あたたかく軽やかな気持ちが、胸に広がる中。


 そんな心をまるっきり知らない彼女は、はちみつ色の瞳と口を丸め・首を引くと、試すように聞くのだ。


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