7-13「たすけて、くれるの?」





「おにーさんのこと、『頭いいな』って思ったよね。敵に回したくないな~って」

「………フ! ………”敵”って。俺と君は相棒なんだろ? 君が裏切るようなことさえしなければ、敵になるようなことはないよ」



 修羅場を抜けて一休み。

 英気を養う食事の際中、彼に生まれた不安は砕けて消えた。

 残るのは──囲むテーブルの上、空になったケーキの皿とレモンソーダのグラス。


 ビストロ・ピチューボの一席で、くすくす笑うエリックに、しかしミリアは『じっ』っと見つめ真面目に聞くのだ。



「ほう……わたしがどこかのスパイだったらどーする?」

「────フッ!」



 スパイのボスエリックに向かって聞く彼女に、吹き出すスパイのボス。

 震える腹で返す声に愉快が混じる。



「君が? スパイ? へえ、面白いことを言うんだな?」

「……コイツ……! ばかにしてるー。むかつくー。 わっかんないじゃーん? すぱいかもしれないじゃん」



 知らずに頬を膨らませるミリアに、彼は片手のひらで愉快な頬杖を突いた。


 《────ああ、楽しい》。

 戦略的興奮とも、奮い立つ高揚とも、また、違う純粋な《楽しさ》。


 彼はそれをそのまま言葉に乗せて、からかう様に言うのである。



「────へえ? 君が? 仮にスパイだったとして? いったい何をるつもりなんだ? 我が国の縫製技術? それとも、税収事情? 貴族関係の醜聞しゅうぶんについては、もう嫌というほど掴んでいそうだけど?」


「それ掴んでもなんにもなんない……」

「────フッ! 強敵だな? なら聞き方を変えようか。 ふふっ、『…………可愛らしいスパイのお嬢さん? 君は、何が欲しいのかな? どんな情報が欲しいんだ?』」


「ちょっとー。 その、小さい子に言うような口調やめてくれる~? わたし大人なんですが〜?」

「ううん、そうだなぁ。……試しに、俺の情報でも掴んでみる? さあどうぞ? 本当のことを教えるかどうかは、わからないけど?」


「すっごく楽しそうに話すね? 生き生きしてるね? からかってるの丸わかりなんだけど!? うわぁー! ちょー悪い顔してる!」

「────ははははは……!」


 

 表情豊かに実況をするミリアに、目元を覆ってさらに笑った。

 《──はあ、楽しい》。

 吐きだした息すらもったいない。

 周りに飛散した『楽しい』を集めるように息を吸い込んで、エリックはひとつ。落ち着きを取り戻して話し出す。



「まあね。そんなことを言ってくるとは思いもしなかったから。カマをかけるなら、もう少しうまい方法を教えてあげようか?」

「……こいつ……!」

 ──ふはっ……!



 目の前で『ぐぎぎ』と歯を見せる彼女に、またひと笑い。


 とても愉快だ。

 こんな会話はしたことがない。

 

 ──確かにミリアはこの辺りでは珍しい女性だ。

 生まれと育ちが違うのも手伝っているのだろうが、彼女とのやり取りが──いや、他人とのやり取りがこんなにも・・・・・楽しい・・・のは、エリックにとって本当に新鮮であった。


 ──それを踏まえて、エリックは語る。

 深き青を宿した黒の瞳に、穏やかを宿しほほ笑みながら。



「────でも、よく考えたら君がスパイだったら『恐ろしい』かもしれない。……君は、そういうのが得意だから」


「”そういうの”?」

「『人に気に入られるコツ』を持っているよな。『距離が近い』というか。あっという間に心の中まで見透かされそうだ」


「…………さすがにそういう魔法じゅつはないですね……?」

「そうじゃなくて。何度も言ってるだろ?『君は異色だ』って」



 愉快を含めた声色で述べながら、彼が思い出すのは、彼が見てきた『ミリア』の姿だ。



 ナンパから見捨てようとした自分に、靴を投げてきたあの顔。

 その後あっさりと自分を店まで案内した時の顔。

 得体の知れない『花屋の青年』に何度も声をかけにきた時の顔。

 見知らぬ女性を助けるために、場を放り出して駆け出した時の顔。


 それらを頭の中に、彼は『仕方ないな』とくすりとに笑いながら、穏やかに話し出す。



「────まあ、その分危険もあるわけだけど? 君が相手につかまりでもしたら、その時は助けてあげるよ」

「……………………たすけて、くれるの?」



 ぴくんと震えて呟いたその声は、少し戸惑ったような、甘みをふくんだような、まあるく不安定な声で。


 意図せず彼の時間を止めた。




 ────これは、嘘を重ねる男の話。

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