7-10「バザールに・出せる状態で・保管しておきました(2)」
「…………なあミリア? 人ひとりを教え育てていくのに、どれだけのコストと時間が掛かるか解ってる? そっちの教育システムがどんなものか詳しいことはわからないけど、文字の読み書きができるのだって、相当贅沢なことなんだぞ?」
「それは、外に出てきた今ならわかるけど! 大人になった今なら、わかるけど! 子供のうちに『わかれ』っていうのは無理じゃない? ここの教育がどんなか知らないけどっ」
雪崩のように始まったエリックの正論に、ミリアは負けじと言い返した。
雰囲気は一瞬にして論争モードである。ミリアのごまかし押し通し態度あたりから火種は生まれていたのだが、それが見事に着火したのだ。
しかしここで負けないのが『ミリア・リリ・マキシマム』。筋の通った屁理屈をごねる女は、マジェラの教育環境を言い募る!
「うちの場合はっ。『つかうため』に、『残していくために』『必要だから』『詰め込まれた』だけだもんっ!」
「────『詰め込まれた』?」
「そーだよ? 『
「────なら、
「そう。向き不向き関係なく、年になったら一斉にスタート。やんなっちゃうよね、やりたくないのにやらされて、一生使わないようなものまで試験させるんだから。ほんっと意味不明っ」
「…………」
述べるミリアは不満を湛えつつ肩をすくめるが、エリックのほうは深刻だった。
(────知らなかった。マジェラがそんなに)
「…………随分裕福なんだな…………」
「『国が』? それとも『ウチが』?」
「『国が』。子供に十分な教育を施せるのは、裕福な証拠だ」
自覚なく文句を垂れる彼女に、食い気味に答える。
エリックの声の奥に漂う焦り。
しかしミリアは訝し気に応えるのである。
「うん~~~~……裕福って言うか、残すのに必死なだけなんじゃん? …………まあ、『そんだけ能力大事なら、外に人民増やしてどんどん広げろよ~』とも思ってた時もあったけど…………」
「………………」
頬杖を付きながら、心底つまらなそうに言うミリアに対し、エリックはひとり深刻だった。
まさかこんなところで『他国と自国の教育の差』を突きつけられると思わない。自分は今、スパイとしてここにいるのだが、本来の立場思考を押さえることなど出来なかった。
──劣等感と焦燥感が駆け巡り、表情に険しさがにじみ出る。
(……うちが教育を『全国民』に広げたのは約15年前……、となれば、マジェラの方が国民の教養レベルは高いということになる……先代までの頭が固すぎたんだ。『教養は貴族の証』なんて言っているから、いつまで経っても国民レベルが上がらなかったじゃないか)
出始める前時代への愚痴。
知りもしなかった『自国のレベル』。
胃が縮むと同時に、安堵と熱意と懸念が渦を巻きはじめた。
(……うちの国民レベルはどれほど遅れているんだ? いや、マジェラを比較に出すべきじゃないか。ネム三国だっておなじようなものだし、焦ってもすぐに教育が浸透するわけじゃない。……しかし、国連に加入してよかった。おかげで、若手ほど仕事の指示がよく通るようになった。まあ、だからなおさら、中年層相手には苦労するわけだけど)
滞ることなく流れていく思想に口元を覆う彼。
改革を施し、教育をした結果、若いものほど話は通るようになったのはいいが、中年層以上のものほど『馬鹿にしているのか』といいつつ学ぶことをしない現実にうんざりする。
『それ』が、またさらに年代別の亀裂の原因となっているのだが、しかし国として『教育』は手放せない。若年層と老人層の諍いは懸念の元だが、それを引いても学力を育てていきたかった。
今現在、エルヴィスより上の年代で、読み書きができる庶民などそうそう見つからないこの現状はいただけない。
そしてその教育の格差は、女性の方がより強く現れていた。
貴族はともかく、一世代まえの名士や華族でさえ『女に学をつける』なんて発想はなく、読み書きできる女は毛嫌いされたほどだ。
──そんな国の、この土地で。
魔道書を出し愚痴をこぼすミリアは、『つまり』。
当国に当てはめるのならば、『貴族並みの教育を受けている』ことになる。
(──そうか……今まで、疑問にも思わなかったが、ミリアと接していて粗野だという感情を抱かなかったのは、マジェラの教育の賜物だったわけか)
呟きながら思い出すのは『今までのミリアへの印象』だ。
確かに彼は今まで一度も、庶民のミリア相手に『下品』だと思ったことはなかった。
言葉は砕けているし、たまに突飛なこともするが、歩く姿勢も食べ方も綺麗で、盟主の立場から見ても気にならない。
読み書きもできる。
(────なるほどな…………)
それらを総合して、妙に腑に落ちたエリックの前。
ミリアは、前のめりで腕を伸ばし、教科書をつんつんすると、
「それにね? こんなの、理解できるわけなく無い? 古語が二つと、数学と
「………………」
ぶすっと言われ、目を落とすは
そこに記載されている『魔術論』。
珍しいそれを見入る彼の前、ミリアの意見は止まらない。
「難しいの、ほんとに。知識に加えて、体の動かし方とかのセンスも必要で。運動できないとツライ部分もあって。そこで諦める人も多くてねー?」
「…………なるほど?」
言う彼女に切り替えて、エリックは魔術書に再び目を落とした。
そこに記されていたのは──見たことのない理論だった。
彼女の言う通り、古語と数算術・
「────いや、わかるよ。エレメントの要素は、つかむ程度だけど……書いてあることは理解できる」
「……………ぅっそぉ………………」
「────へえ? なるほど? こういう理論のもと、力を引き出しているのか……」
慌てず・落ち付き、それでいてやや高揚を含んでそう言うと、エリックは再び文字を追いかけた。頭の上で『……うそでしょ~』と呟くミリアの声など遠くかなただ。
(……理論自体を見たことはないけど、読めるし……、解るな……!)
公用語で書かれた『新たな学問』に胸がおどる。
解らない用語やかみ砕けないことはあるが『読める』し『わかる』。
突如目の前に現れた新しい知識の前に、エリックが必死で文字を追いかけるその頭の上で、
「…………まじか────…………わーかるんかー……」
背中を丸め、グラスを両手に、ミリアの口からげんなりトーンが零れ落ちた。
その声色にはありありと、『これわたしでもわかんなかったのに~』という念が込められており──エリックはその空気に顔を上げ、素早く首を振ると、
「……いや”理論はわかる”というだけで、扱えるわけじゃないからな? 当たり前だけど。読んだだけじゃ、まだなにも」
「読んだだけで使われたら、立場がないわっ!」
「まあ、そうだろうけど。……一応、古語も精神力学も通ってきたから。全くわからないわけじゃない。……やっておいてよかったよ」
「────頭良くて腹立つぅ~……」
「ふ……! ──まあ、覚えるのは得意な方だよ。…………そうでなくちゃいけなかったからな」
「ん?」
「────それより、これ、少し借りてもいい?」
憂いを素早く散らし、かき消して投げた問いかけに。
ミリアから返ってきたのは、きょとんとしたはちみつ色の眼差しだった。
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