7-2「福利厚生チョコレート」
『人は見かけによらない』とはよく言ったもので、その人の好みや嗜好が、必ずしも一致するとは限らない。
ミリアが『大人しそうな女性だ』と思われ声をかけられたように、
場所は食堂・ポロネーズ。
空いた皿を前に、ミリアが新たに頼んだのは『レモンソーダ』。
そしてエリックが注文したのは『リンゴのケーキ』だった。
『厳格・偉そう・口うるさい』のイメージがついていた彼のそれに、ミリアは思い切り素っ頓狂な声を上げたのだ。
「……また可愛らしいもの食べるね!?」
「…………好きなんだよ、甘いの。さっきも言っただろ?」
驚きのミリアにエリックはむっと言い返した。
瞬時に湧き出す『ケーキも食べたらいけないのか』という不満。
自分の外見や立場から『それらが似合わない』のはよくわかっているが、それはそれ。『甘いものは好きだし、食べたかったのだから仕方ないだろ』という気持ちが湧き出して──
「……悪かったな。どうせ俺は可愛らしくないよ」
「そーは言ってないじゃん? ちょっとびっくりしただけだし? 見た目も味覚も天性のもんだし、しかたなくない?」
「…………」
(……確かに、そうは言われてないけど。それほど驚くことないだろ)
意見のような・フォローのような言葉に愚痴る。
逆手の頬杖で不満げな口元を隠し、ミリアから視線を反らしてそっぽを向く彼。
────はっきり言おう。エリックは拗ねていた。
驚かれたことにムカつく。
ちょっとへそが曲がる。
しかしおかしいのだ。
そんなことは今までも
自分が頼んでも甘味が目の前に置かれることはないし、当然のようにブラックコーヒーが鎮座する。学生のころも何度もクラスメイトに驚かれた。
それ以来、気を許していない相手の前では甘味を注文することも無くなった。『甘いものなど口にしない』というイメージを持っているなら勝手に抱いていろ』という心構えであったが────
──今日は別である。
まともに不機嫌になった。
本当は甘いものが好きだし、ケーキやパイなどは頬が緩む。
それが本当の自分で、食べたいと思ったから注文したのに。
(……その反応は失礼じゃないか?)
むすっとそっぽを向く。
ガキっぽいと解っていながら、いつものようにうまく立ち回れないエリックの、その向かい側から。ミリアの軽い問いかけは、伺うような視線と共に投げられたのだ。
「……おにーさん、あまいの、他にも食べるの?」
「……まあ。食べるよ。チョコレートとか焼き菓子とか」
あっけらかんとはじまったそれに、即座に切り替え調子を合わせて答える。
声には若干不満が出てしまっているし、間に合わせの方向転換であったが──《穏やか》を意識したエリックに、返ってきたのはぽそりとした呟きだった。
「…………ちょこれーと。」
「ああ。美味いよな、ほろ苦くて、甘くて。よく食べるよ。口に入れやすいから、つい」
「…………ちょこれーと」
「うん?」
「………………また、たかいやつ。」
(…………あ)
繰り返す彼女の《それ》に気が付き、エリックは一瞬動きを止めた。
瞬間的にやらかしたことに気づいた。
ホイップクリームといい、チョコレートといい、貴族の彼にとっては普通でも、彼女にとっては『高価なもの』である。彼女の先ほどの言葉のように『ホイップクリーム』など庶民は食べられない。
そこを踏まえて即座に思考を巡らせると、口元に笑みを湛えてはぐらかす。
「…………旦那様の、その……『福利厚生の一部』」
「福利厚生でチョコレートが出るんか……」
「彼は、普段からたくさんの品物を頂くんだ。それを分けてもらうだけだよ」
サラリと述べる彼の前、聞くミリアは『ふーん、すごーい』と興味なさげに呟いているが──エリックはまだまだ厳戒態勢だった。
──自分は今『屋敷勤めの使用人』の立場でミリアと接しているのである。『一般的なお屋敷勤めの労働者も含め』、生クリームもチョコレートも簡単に買える金額を貰ってはいないだろう。
(…………マズいな、どうも、気が緩んでる。エリックの時に話すことではなかった……! くそ……!)
彼はまたも舌を巻き喉を鳴らした。
ああ。おかしい。
他ではやらない・言わないことが、彼女を前にすると口から滑り出してしまう。
『うっかり』してしまう。
────自分は、スパイとしてここにいるのに。
(……気が緩んでる。しっかりしないと)
エリックが《自身の対応》に内省し諫め黙りこくる中──ミリアはというと、ぼんやりと気を抜いていた。
会話のなくなった席。見つめる先は木製の机。
じわじわと頭を支配していくふんわり感と満ちた満腹感も手伝って、両手でとろんとした顔を支えてぼうっとする。
(……あたまがぽんやりする……)
今にも眠りそうだった。
ああ、夢心地。リラックスしているのが自分でもよくわかる。
(……なにげ……こんなにゆっくりご飯食べたの久しぶりかも……)
温かい食事。
芯から熱を帯びるこの感じ。
食べたものがそのまま熱になり、眠りの気配が広がっていく感覚に幸せが満ちる。
(あったかいご飯、最後に食べたのいつだっけ……? ここんところ修羅場で、乾いたモノしか……かじって無かったような気がする〜)
ゆるゆると呟く彼女の頭の中が、次第に雑音で満たされていく。
人の話し声・店の奥から聞こえる『じゅう……』という炒める音・かちゃかちゃ、こつこつと食器が当たる音。
(……あ、うん……なんか幸せ。いい感じ)
会話がなくても気まずくない。
無理に話を振る必要もない。
《今》エリックとの間に会話がないが、その沈黙も心地いい。
(……ずっとこーしててもいいぐらい……ちょっと眠くなってきた……生きるって大変だけど、でもこうしてご飯食べられるの幸せだよね……)
そう考えるミリアの中、ふと過ったのは『先ほどの話題』だった。『今感じている『
「…………でも…………24と26かあ〜……、同世代じゃん……」
「…………だよな」
リラックスモードの一言に、エリックは表情を曇らせた。
そう。同年代なのだ。
それだけで、心がざわつく。
同じ時を重ねてきたはずなのに『生きているものと死んだ者』。『明と暗』は、どこで分かたれたのだろう。
それらも憂いの瞳に乗せて、エリックは青く暗い眼差しで零し始めた。
「──……なにを思って、最後の時を迎えたんだろうな。……その若さなら、まだ親兄弟も健在だろう。亡くなった被害者のことは知らないけど……残された者のことを考えると、胸が痛いよ」
「……………………」
「……自死か、他殺か、わからないけど。…………どちらにしても、血縁や近しい人間は………………辛いだろうな」
「…………へぇ……」
「? なに? もしかして、”意外”だとか思ってる?」
ミリアからこぼれた小さな呟きに、エリックは『自嘲気味』に問い返していた。
──そう『自嘲気味』に。
それはエリック──いや、エルヴィスが今まで使ってこなかった手段だ。
『挑戦的に鎌をかける』ことはあっても、『わざと同情を引くような言葉を使う』ことはあっても、『自らを蔑みあざけ、鎌をかけるように聞く』ことはなかった。
見せてはいけなかったからだ。
貴族として・盟主として・ボスとして。自虐や弱みは致命傷になる。
例え『どうせそう思ってるんだろ』とひねくれたとしても、それを相手に見せることはなかった。
エリックが『どうせ俺はオリオンの息子だよ。血も涙もないよ』を胸の内、言葉を待つ中で。ミリアは──少々迷いながらも──告げた。
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