6-16「同業他社の売り上げと給料」




「……うーん、聞いて大丈夫なら?」

「────へえ? 意外に慎重なんだな?」


 

 不安の混じったミリアの返事に、エリックは逆に目を見開いていた。

 『きな臭い話だけど聞くか』と問いかけた瞬間、思い悩むように泳いだ彼女の瞳と、一拍の間をおいた返答は予想外であったからだ。


 その『意外だ』という気持ちはそのまま、彼の口から流れ落ちた。



「そこは、『きくっ』って前のめりになると思ってたんだけど」

「…………ううん」


 

 言われ、ミリアは唸った。

 確かにそんなイメージを持たれがちだが、本来のミリアじぶんはそうでもない。


(……若いころは前のめりだったけどね~……)と胸の内、ミリアは困ったように眉を下げ、エリックに問いかける。



「……世の中さあ『知らない方が幸せ』ってこともあるじゃん? 『聞いちゃいけない情報』ってやつ、あるじゃん?」

「例えば?『納めた税金の行方』とか?『貴族社会の裏事情』とか?」

「………………いや、えと…………」



 間をおかず、ぽんぽんと例をぶつけるエリックに、ミリアは言い淀み肩をすくめた。話が大きすぎる。


 ミリアの頭の中に湧くのはそんな『社会的話題』ではなく、些細なものであったが、それを『こうされてしまうと』『言いにくい』。


 ──しかし──変にはぐらかすのも『なんだか違う』。

 

 瞬時に迷って、ひとつ。

 ミリアはテーブルの上、自身を抱きしめるように置いていた腕の、肘の辺りを掴む指に『ぐっ』と力を籠めつつ、口を開いた。



「…………あの~、ほら。『よく行くお店の店員さん同士の話』とか。『流行りのジュースの粗利とか原価』とか。……『同業他社の売上と給料』とか……」

「…………それは……、──フッ! 君らしい発想だな?」

「馬鹿にしてるでしょー!」



 早口でどんどん尻窄みになっていったそれを笑われて、前のめりで言い返した!

 想像はついていたが笑いすぎだ。

 頬を膨らませて物申す!



「あのねえ! わたしはキミのよーに常に貴族様とお話ししてないの。来るお客様の、7割は一般の人なのっ。うちの売り上げの割合みる? リメイク4割、スタイルアップと業務提携とで3割、婚礼のドレスが1割! 残り2割が、貴族様のドレスとか小物と着付けだよ?」


「……馬鹿になんてしてないよ。どちらかというと、『可愛らしい』と思った……かな?」


「…………いや、ばかにしてるじゃん……」

「……いや? でも、そう捉えたのなら、悪かった」



 ジト目の文句に静かに謝るエリック。

 からかう様子の無いエリックのその空気を察して、ミリアはくるんと空気を切り替え彼に問う。



「…………で、『きな臭い』……って? ……それ、わたしが聞いても大丈夫なやつ……?」

「……まあ、大丈夫だよ。そうじゃなければ、話したりしない」



 テーブルの向こう側。

 少々強張っているミリアの様子に、エリックは柔らかめの声を心掛けて頷いた。


 珍しく足踏みをしている様子の彼女。

 どんな話題を想像しているか知らないが────彼女に話すのは『とてもくだらない・不愉快極まりない噂』だった。



「…………『国家転覆を企む組織』だとか『高位貴族から爵位剥奪しゃくいはくだつを狙う貴族連中』だとか『兵器や武器を集める反乱軍の存在』だとか。昔から、どこにでも転がっているような噂話だから」

「……こっかてんぷく……穏やかじゃないじゃん……」


「まあ、『ただの噂”だけどな。職業柄、そんな情報ばかりよく入ってくるんだ。……うちの旦那様は『盟主』だから。それも掴んでおかなければならない」



 怪訝な頬杖から、徐々に。

 エリックの声色は自然と『真面目』に落ちていく。



「全く知らないのと、認識している状態では、そのあとの対応が違ってくるだろう? …………皮肉なものだけどな」


「……うーん…………メイシュさんも大変だぁ」

「…………」

(…………”盟主さん”…………)


 

 苛立ちと怪訝・皮肉をたたえた胸中に、ミリアの小さな一言が新たな波を立てた。



 思い出したのである。先ほど、彼がビスティを訪れてすぐ。

 ミリアが噛みまくった『盟主』の名前の件。

 彼女が『自分の名前を憶えていない』こと。


 ──これは放っておけない。

 ミリアは、自分の相棒なのだから。


 そんな気持ちに駆られた盟主は、ゆったりと指を組みテーブルに肘をつくと、ミリアに向かって声を放つ。



「────ミリア。『オリオン盟主』」

「? 盟主さん?」


「”エルヴィス・ディン・オリオン”」

「……? オリオンサマ? が、どうしたの?」

「『どうしたの』じゃないだろ?」



 いきなり名前を出されて首をかしげるミリアを前に、エリックは息を吐きつつ首を振った。


 『どうしたの?』じゃない。

 彼は盟主『エルヴィス・ディン・オリオン』。

 その相棒(正体を知らない)が、盟主の名前を憶えていないなんて『あり得ない』。


 ────覚えてもらわねばなるまい。 

 『じぶんの、正しい名前を』。



「……君、彼のフルネームを憶えていないだろう。俺が教えるから、今覚えて。繰り返してくれる?」

「────へっ?」

(い、いま??)



 今までにないぐらいまじめなトーンで言うエリックに、逆にミリアは素っ頓狂な声を押しこみ目を丸めた。


 全然つながりが見えない。

 話の流れが読めない。

 『うんっ?』と唇を平たく伸ばして力を籠めるが、しかしエリックはお構いなしだ。


 小さな子どもに教え込むように述べるのだ。



「はい、”エルヴィス・ディン・オリオン”」


「……え、えるびすっ、でぃんおりおん、さん」

「”Elvis din orion”」


「……エルヴィスディンオリオン……さん?」

「はい、初めから?」


「……えるびす……でぃん……おりおん……」

「そう。じゃあ、もう一回」


「……えるびす。でぃん。おりおん……」

「うん、そう。”Elvis din orion”。これで覚えたよな?」


「…………覚えましたけれども……」

「────はい。よくできました」

(……え……? いまこれなんの時間……? お勉強の時間……???)




 とても満足そうに、深く、頷くエリックに対し、虚空を見つめ、疑問符を浮かべまくるミリア。


 ボケっと虚空を眺める当作の女主人公。


 エリックは大層満足そうだが、ミリアにとっては『名前を憶えても何の益もない盟主の名前を教え込まれた』のだ。エリックの『満足』の意味も解らないし、どこからともなく始まった「エルヴィスさん時間」もさっぱり意味が解らない。


そんな混乱に包まれて、顔の偏差値を下げるミリアだが──エリックの追撃は、余裕を滲ませる彼の口から放たされた。



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