5-11「それは小さな綻びのような」




  ────はじめは、ほんの些細な違和感だった。



 『上の頭の硬さは、どうにもならないのかしら』と愚痴をこぼすキャロライン皇女に、盟主エルヴィスはこう述べたのだ。


 『自分が信じてきた感覚や常識が通用しなくなると、人間は守りに走る』『実際、そういう場面に遭遇すると、どうしていいかわからなくなることもある』『経験や常識が通じないと、まともに混乱することもある』


 彼の口から、淀みなくさらさらと出たそれは、エルヴィスと幾度となくディベートを重ね、悩みを共にしてきたリチャード王子には不思議に映った。



 先月までのエルヴィス盟主ならば、『……本当にな。あそこの世代がどうにかならないと、うんぬんかんぬん』と愚痴と皮肉を合わせたような文言をこぼしていたはずである。



 しかしそれが、変わった。

 そして先ほどから。

 マジェラのカードを手の内で眺めながら、僅かに変わっていった、エルヴィスの”雰囲気”。


 その、凛としていて冷ややかな空気から漂う、ほのかな柔らかさ。口元に浮かべているように見えた笑み。



 基本的に冷静・冷淡としていて、資料に不備があれば忌憚ない意見を述べるし、人一倍暑がりだというのに今も貴族のベストすら脱がない堅物の、その”変化”に。


 リチャード王子は、声をかけずにはいられなかった。



「…………なあエルヴィスー。おまえさん、最近何かあっただろ」

「え」



 資料を片手に聞くリチャード王子の前。エルヴィス盟主はぴたりと固まり動きを止めた。


 一拍二拍。

 彼は、その黒く青い瞳でリチャードを射ると、そのまま視線を外すことなく、物申す。



「────いや、なんで? 特に何もないけど」

「そーかー?? なんだか表情が柔らかくなった気がしたんだがなあ。なあ、キャロル?」

「私に聞かないで頂戴」

「…………」



 同意を求められ、ぴしゃっと遮断するように答えるキャロラインとリチャードのやりとりを前に、エルヴィスはゆっくりとまばたきをしたのみ。

 しかしリチャードは構わず言葉を続ける。


 

「エルヴィスといえば『聖騎士長!』って感じだが……今日は違う気がしたんだけどなあ〜」

「そうかしら? 私には彼の様子が変わったようには思えないけれど。……実際、若いシスターも怖がっていたわ」


「それは……、悪かったな? 元々こういう顔だよ。特に凄んでもいない」

「貴方、容姿はいいものね。迫力があるのではないかしら?」

「…………それはどうも」



 キャロライン皇女の『事実を述べた言葉』に、エルヴィスは澄し顔で相槌だけを打った。


 『かっこいい』とか『綺麗』とか。

 容姿をほめられ、普通なら照れたり謙遜するはずのところを、黒髪くせ毛の盟主は『些細な事』といわんばかりに息を吐き、言葉を続ける。



「まあ、外面は、な。ここでも笑顔は作っていると思うけど?」

「『迫力しかないヤツ』、な~」


「そんなことないだろ」

「…………貴方、若い侍女には怖がられているわよ? もっと柔らかくしたほうがいいわ」


「…………ああ、悪かった。キャロライン、君に言われたくはないけど」

「────なにかしら?」

「…………」

(おー、こわあ。)



 鋼鉄の皇女キャロラインと、陶器の盟主エルヴィスのあいだ、瞬間的にビリつく空気にリチャードが縮む。



 ……この二人、お互い様なのである。

 どちらも威厳と威圧は凄いが、やたらと愛想を振りまく性分ではない。


 スパイとして副業をしている分エルヴィスのほうが愛想は使えるが、キャロルに至っては『鉄仮面に塩とスパイスを練りこみ歩いている』ようなものだ。


 そんなキャロルに『愛想をよくした方がいい』など、言われる筋合いはなかった。


 聖堂の花園・一瞬にしてひりつく空気。

 キャロルのツンとした威厳に密やかな苛立ちを滲ませるエルヴィスだったが、しかし彼は瞬時にそれを切り替えた。



 (構っていられない)と判断したのだ。

 キャロルはビジネスパートナー。喧嘩をする相手ではないのである。


 僅かに残る苛立ちを散らす様に、煩わしさを宿した瞳で文字を追いかけ、──ふと。


 手が止まった。

 思い出してしまったのだ。

 スネークの言葉。

 ……いや、”ミリアの言葉”を。


 ────脳の中。鮮やかによみがえる『ミリアの評価』。

 すまし顔のスネークが語る。



『彼女はあなたのことを大層褒めていましてね。いい笑顔をされていました。”かっこいい”・”面白い”・”一緒にいて楽しい”と』



 今受けたものとは、まるで──正反対だ。

(────「かっこいい」は、まあ……わかるとして……『楽しい』……、『面白い』……か)



 『スネークフィルター』を通して伝えられた、もはや出まかせのような褒め言葉を繰り返す。



 彼の人生、今まで『格好良い』という言葉は多く受けてきた。

 しかし、『面白い』は、今まであっただろうか?

 『楽しい』は、どうだろうか?



 今もキャロラインに『怖い』と言われたばかりだが、彼女ミリアは自分を『楽しい人だ』と言う────。



 エルヴィスの頭の中、自分の前では決してその素振りを見せないミリアが、スネークの前で『あのおにーさんと一緒にいるの楽しいです!』『面白いんですよ~!』と、にこやかに言う顔が頭をよぎり、



 ────”一瞬”。



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