5-5「小さな違和感」




 ──その手紙は、隣国の皇女からのものだった。




『──エルヴィス・ディン・オリオン盟主殿。

    《水曜・聖堂の花園で》

 キャロライン・フォンティーヌ・リクリシア』



「……………………」



 文面を見下ろして黙る。

 これはこれで簡潔すぎる内容である。

 どこぞのリチャード王子が、『ふざけにふざけつつも要件を伝えてくる内容』ならば、こちらは『簡潔すぎて目的すらわからない文面』だ。


 しかしまあ、それでも『あのリチャードよりはまし』である。




(──まあ。リチャードよりましか)

 と、死に絶えた表情の盟主を前にして。

 メイドのアナは、様子を窺いつつ、そろりそろりと目を配らせた。



「…………あの……だんな……さま?」

「…………ああ、いや。なんでもない。いつまでも外にいては冷えるだろう」



 声をかけられ我に返り、エルヴィスは目を向けながら僅かに首を振った。


 皇女の手紙に心が疲弊しようが、領内問題がどうだろうが、スネークという組合長にたまにイラっとしようが、メイドには関係のないこと。



(────それをこぼすまでもない)と口を閉ざして軽く息を吐きだしたエルヴィスはカツンと踵を鳴らし、屋敷の中、その”境界”を────


「…………アナ。もういいから、君も部屋へ引き上、」


 ──────踏む。

 ──────つッ。

 …………ゥ、……んッ…………



「──────……?」



 感覚・体・何かが、とおった・・・・。 

 突如、体に流れた不可思議な感覚に、エルヴィスは、足を、動きを、すべてを止めた。



(────今のは、なんだ? …………”走った”? ……いや、”抜けた”?)



 瞳を迷わせ思考を巡らせる。

 目が捕らえているのは屋敷の床だが、探しているのは『感覚』の答え。

 抜けたような、走ったような──とにかく《妙》なそれに似た物を探し始め────


 

 ざわっ……!

「────っ!」



 背中を走り抜ける悪寒、はじかれる様にエルヴィスは反射的に顔を上げ、あたりを見回した! 感じたことのない”感覚”に、本能が”警戒しろ”と騒ぎ立てる。


 瞳で、神経で見渡すのは、暗い庭。

 作られた浅い池、手入れのされた芝生。

 今しがた通ってきた橋は闇の向こうで、その姿を見ることはできない。


 庭全体を探る瞳も鋭く、しかし体の動きは最小限に、エルヴィスの手が無意識に求めるのは腰のタガー。



(…………誰かいるのか? …………殺気、というやつ……か?)

「…………旦那様?」

「────アナ。他に用があるなら後でいい。今はそのまま下がれ。なるべく、素早く。ゆっくりと」



 声かけに、声を張る。何がいるかわからない。


 彼は武器商人の息子だ。

 小さなころから常々と『命を狙われる危険』は植え付けられてきた。

 それを、実際に体験する機会など近頃は無かったのだが────十分、考えられること。

 

 遠のく足音を聞きながら、彼は、じり、じり、とすり足で。

 一分の隙も見せず、気を張り巡らせ分厚い扉に背を預ける。

 探る気配・張り巡らせる神経は、外へ。


 誰かいるのか。

 いるなら出てこい。

(────武術・体術にはたしなみがある……! ここで食い止める……!)



 ────しかし。彼の鋭い視線の先、広がる庭園は変わることなく、ただ、しんっ……と静まりかえるばかり。



(…………なにもない、か? …………大丈夫……か?)



 ふんわりとした夜の風に当てられて、エルヴィスは、タガーに掛けていた手を下ろした。辺りを見張る瞳はそのまま警戒を続けているが──目に映る庭園は『いつも通り』。規則正しく配置された池も、手入れの行き届いた芝生も、静かにそこに佇んでいる。



 しかし、変わらぬ風景に、まだなお神経を研ぎ澄ませること、しばし。

 ……さぁ……っと軽い音を立て、彼の頬を夜の風が撫で──緊張を解いた。



 ────ふうっ……

(…………なんだったんだ、一体……)



 そこでやっと肩を下ろす。

 彼の中、『一瞬とおった感覚』に名はつけられぬが、それでも。瞬時に警戒した『殺意』については杞憂だったと、エルヴィスは安堵の息をついて扉を閉めた。



 それは、訪れた小さな変化。

 ウエストエッジ郊外。

 広大な敷地に建てられた「オリオンの屋敷」。

 ”がっ、こん” と音を立てて閉まる扉をはるか頭上から見下ろしながら。



 宵闇の中、ひときわ輝く星たちは、存在も確かに銀色の光を放っていた。



※ ※




 聖堂の中庭。

 手入れされた鮮やかな緑を茂らせる生垣と咲き誇る花々・吹き抜けのテラス。


 8月の、燦々としながらも柔らかな日差しを綺麗に避けて、彼らは二人、テーブルに着いて花園を背負う。


 盟主・エルヴィス・ディン・オリオン。

 皇女・キャロライン・フォンティーヌ・リクリシア。



 彼らをもてなすのは二対の気品漂う茶器。

 淹れたての珈琲が香りよく辺りを包み込み、王室御用達のパティシエが作るスイーツが、銀素材のスタンドを華々しく飾る。 


 そう。それは、お茶会。

 誰がどう見ても『優雅でエレガンスなひと時』。


 シルクの様な銀の髪を持つ皇女と、彫刻のような顔だちをしている盟主。

 美と美の合わせ技。

 並んだ二人を絵画に収めたいと申し出る絵師は後を絶たない。


 そんな彼らは向かい合い、今日も言葉を交わすのだ。

 いつもの通り。





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