5-2「揺れる・水面下・思惑」
時は会議中。
調査機関ラジアルのアジトだというのに、エリックの頭の中で叫ぶのはあの時のミリアだ。
『…………困るっ!』
『ねえ、どうしてこうなったのっ!』
『────どうしよう……!』
「…………────」
つい先ほど目の当たりにした彼女に、黙る。
いつものお気楽さはどこにもなかった。真剣に困っている様子だった。ハニーブラウンの瞳に移った焦りの色。ぐんと瞳を貫く余裕の無さ。それらに圧倒されて、喉元まで出かかった言葉が──蘇る。
──『…………だから、』(『なんとかする』)
(…………思い出しても呆れるな。「なんとかする」なんて……一番あやふやで不確かなことを言ってどうするつもりだったんだ)
『あの時の自分』を自嘲気味に吐き捨てる。
このあいだからそうだが、どうにも『自分らしくない』。
今までの自分は、スパイ行為を行う際、情に訴えかける言葉などいくらでも吐いてきた。『助けてあげたい』『特別になりたい』『困ってるなら助けてあげたい』の
『情に訴えかけることはあっても・情に訴えかけられて、言葉が突いて出そうになった》のは──あってはならないことだからだ。ホイホイと軽々しく情に流されたり、衝動的に動かぬよう訓練を受けてきた。
────なのに。
あの時出そうになったのは『衝動的』で『短絡的』な言葉だ。
────言ってどうするつもりだったのか。
彼女を安心させたかったのか。
それとも気迫に押され口が滑りそうになっただけか。
それらのどれも、今は答えとしてあげられるものではないが────
────『困る!』。
思い出すたびに、心が────焦る。
(…………焦っても仕方ないことはわかってる、けど。……なんとかしないと)
ひとしれず表情を険しさで染め、ぐっと指に力を込め、瞬時に小さく首を振る。
(…………いや、別に彼女の為じゃない。素材自体の値が上がって、産業が倒れたら困るんだ)
そうだ。
ミリアのためではない。この街のためだ。
情報源の訴えが起因じゃない。もともとそのつもりだったのだ。
見えないものをそのまま、闇の奥底に隠し蓋をするような感覚で。
エリックの限りなく黒に近い青の瞳で、紙の上の違和感を探し出し────
「?」
目に飛び込んできたそれに、彼は”ぐっ”と眉間を寄せた。
「………………? ”ニモ No,8"……とか、”ルメ65の90”……とか。価格が上がっているのはわかるが……なんのことだかさっぱりわからないな……」
「────『にも』? ですか?」
捕らえたのは『意味の分からない単語』。
隣から『にょき』っと資料を覗き込むスネークにわかるよう、エリックはトントンと指で刺し言葉をつづける。
「ほら、ここ。書いてあるだろう。『ニモ No,8』・『ルメ65-90”』。せめて、これが
「おや……なんでしょうねえ?」
「……品名もない。これだけでは見当すらつけられない」
「……”ニモ”に”ルメ”ですか……」
眉を寄せるエリックの隣で、スネークも同じように眉を寄せた。
書かれているのは価格のみ。
縫製などしたこともない男二人、報告書の前で固まり首を捻る。
────『ニモ・ルメ』。
「なんでしょう?」
「…………型番か?」
「……そのよう、ですね?」
「…………なんの?」
「……さあ。私に訊かれましても。縫製や服飾は専門外ですから」
「…………」
「…………はて……、なんでしょう?」
目配せやアイコンタクトなどはすることもなく、紙を見つめて首を捻る。
エリックもこの前、ミリアからざっと話を受けたのだが、『ニモとルメ』については聞いた覚えがない。
エリックがひとり、(……なんだ、これ……『ニモ』……、『ルメ』……、シャルメ……は違うよな……? ニモ……、)と脳内データを探る中、ふと。
スネークは、気が付いたように息を吸い込むと、手袋越しの指を紙に押し当てて、
「…………ああ〜、これも、わかりませんね。『ボーン・S』と。これだけです」
「…………”ボーン・S”?」
わかるようでわからない単語に、さすがに繰り返していた。
”ボーン”と聞いてシンプルに出るのは『骨』だが、確証はない。
見下ろす目の先、スネークの指の先。
確かに、あるのは『ボーン・S』と表記だけ。
「…………なんでしょう? 骨、ですか?」
「…………骨、だろうけど」
「洋服作りに『骨』、ですか。傘や、そういったものならわかるんですが」
「……芯として入れ込んでいる、とか……?」
「ですかね……?」
「……なにに……?」
「…………さあ。私にはさっっ……ぱり……」
「…………」
「………………」
商工会奥。
魔具ラタンの光を浴びながら、書類に疑惑の視線を向けるエリック。
そんな、至極真面目なボスに────スネークは、伺うような目を投げ口を開くと、
「……ボス。
「────『例の彼女』って?」
スネークが『わざわざ』『名前を伏せて』『思わせぶりに』投げたからかいに、またもいら立つ。『またか』『余計なことをいうな』『今関係ないだろ』を叩き込んでいるというのに、『この男はまた』。
エリックの太く低い声が場を畏縮させる中、スネークはもろともせず、むしろ愉快に「フフッ」と鼻を鳴らすと、
「またまた。わかっていらっしゃるのでしょう? あなたのお気に入り……、おっと。あなた
「────ス ネ ー ク」
「彼女なら…………教えてくれるのでは?あなたに。それはもう、献身的に」
「────だろうな? 30分ほど時間を割いて、彼女の知りうる限りを教えてくれるだろう」
(────ほう? 肯定するんですね)
鋭い睨みでこちらを射抜いたかと思ったら、ふっと視線を反らしあっさりと挑発を受け止めたボスに、スネークは僅かに眉を上げた。
これは面白い変化である。
ターゲット──を含む女性関係の話題を、全てばっさりと遮断してきたボスの、明らかな変化に驚くスネークの前で。
堅物の盟主エリックは、『ぐっ……!』と資料を握る親指に力を入れ、『トントン』と紙を叩くと、黒く青い瞳でぎろりと彼を射抜き────発した。
「──────けど。それと『縫製ギルドが提出してきた資料が”資料の役割を果たせていない”』のは別問題だろう。資料は、誰が見てもわかるように作られていないと意味がない。今までのことを悪く言う訳じゃないが、これでは管理が杜撰すぎる。
俺が直接言うことではないだろうが、これを機に抜本的な見直しをした方が賢明だ。工業魔具もどんどん普及していき、これから様々な物の大量生産が見込まれる中、今後のギルド管理のことも考えたら、新しく記入様式を作り体制を整え」
(─────あ。ヤブヘビでした)
エリックの口から出た、山のような文言を黙って聴きながら。
スネークはこっそり思う。
(────独身の私が、ボスにこのようなことを思うのは失礼に値しますが。
……ボスとご結婚される方はさぞ苦労するでしょうねぇ……)と。
(──…お気に入りであることは、否定しないんですねぇ)とも。
堅物のボスから
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