5-1「ボス《エリック・マーティン》」
ノースブルク諸侯同盟・オリオン領・西の端。ウエストエッジ・商工会事務所奥。
潰れたバーを改装した部屋で受けた報告に、エリックはまともに眉をひそめた。
「死亡事故? 事件かもしれないとは、どういうことだ、スネーク」
「────それが、まだ断定できないのですよ」
怪訝な声色に、スネークは静かに首を振った。そして流れるように、脇からぺらりと引き抜いた報告書を差し出すと、
「本当に先ほど情報が入りましてね。わかっているのは、『亡くなったのは女性である』ことぐらいです。いずれも若い女性でして……捜査部隊が今、調査に当たっています」
「”いずれも”ということは、……
「ええ。二人」
エリックが報告書を引き抜くと同時、重々しく頷いたスネークは続きを述べる。
「────亡くなったのは二名。マデリン・ブラウン24歳。ジョルジャ・シャッシ26歳。二人とも一人暮らしで、自身の住むアパートメントの前で死亡していました。今の調べから、自室から転落したものと思われます」
「…………”転落”…………、……自ら命を絶ったのか……?」
「わかりません。なにしろ、目撃者がいませんから」
資料を睨み考え込むボスに一言。
首を振り、カツンとかかとを鳴らしたスネークは、テーブルの上に地図を広げて指で差し、
「ジョルジャ・シャッシは、スピネル通り103の『ピネル・コロニ303号室』。マデリン・ブラウンは、ヘンルーダ街道7703『コロニ・イトルタ405号』住まい。いずれも、3階建て以上のアパートメントで、自室の窓が開いていたとのこと。調査に入ったものから、”部屋で争った形跡はなかった”と報告を受けています」
「…………報告をよこしたのは……、────ベルマンか」
「ええ。優秀な諜報員ですね」
ちらりと名前を確認したエリックに、スネークはさらりと頷いた。
ベルマン・フラッグ。
彼らラジアルの組合員で、警察組織に潜りこんでいるエージェントである。
優秀だが字が汚く、エリックは彼の文字を読み解くのは少し苦手だった。
安紙にベルマンの字で書かれた情報の中から「欲しい事柄」を探すエリックの口から、──
「────”時間”は……」
「ジョルジャに関しては14時30分前。マデリンがそのあと14時47分。いずれにしても、30分以内に二人、亡くなっていることになります」
「…………昼……」
(…………俺がミリアと外を歩いている頃か)
スネークの淀みない報告の途中。
思い返すは『自分の行動』。
事件が起こった頃・人が死んだ時。
自分は──”何をしていた”のか。
シゴトとはいえ、女性と二人。
呑気に歩いている自分をよそに、こんなことが起こっていた事実に、ジワリと心が淀む。
自分の過失ではない。
過失ではないが、エリックの中、濁るような感覚が湧きだすのを抑えることはできなかった。
(────人の死にざまは、想像でさえ気分のいいものじゃない……)
その場で起こったであろう悲劇と、彼女らの周りの人間。
それらをぐるりと想像し、落ちゆく心に──『喝』。エリックは無理やり瞳を上げ切り替えると、やるせなさを怪訝に隠して口を上げた。
「────今日は朝からずっと雨が降っていたからな……外を出歩く者も少なかったんだろう」
「えぇ。マデリンの落下時刻が確かなのは、同じアパートメントの一階の住人が証言しているからです。『外で大きな音がしたと思って見に行ったら倒れていた』と。彼は遅めの昼を摂っていた途中だそうで、戻ってきたころにはパスタは冷えきっていました」
「…………パスタの情報はいい。同時に二人も、か…………頭が痛いな」
「この街で死亡事件なんて、何年ぶりでしょうねぇ……戦後10年はありましたが、盟主さまが変わられてから久しくなかったというのに」
「…………」
────そう。先代オリバーの死後、彼が引き継いでからいままで。
こんなことは起きなかった。
多少の事件事故はあっても、このような死亡案件は見られなかった。
(──のに、一気に二人か……)
状況にしわが寄る。
胃の奥の方がぐっと縮む。
しかしそれを嘆いている場合でも、口にするわけにもいかないのだ。
エリックは続きを促す様に、言葉を発した。
「…………”二人同時”と言うところを見れば、限りなく事件である可能性が高いとは思うが……────そのあたりの調べは?」
「……流石に、まだですね」
その問いに、スネークが静かに首を振る。
当たり前の受け答えにエリックも小さく息を付き、そして彼は街の地図を凝視し始めた。
(…………スピネル通りとヘンルーダ街道は、徒歩で30分以上離れた場所にある……馬でも使わない限り、この二人を同時にひとりで殺すのは不可能だ。まずは馬主をあたるか? いや、複数犯だと決まったわけじゃない。マデリンとジョルジャの接点もわからない)
────早くめぐる思考に・落ち着けと息を吐き、エリックはやや疲れた表情を醸し出すと、スネークに瞳を投げて問いかける。
「──……いずれにしても。今はまだ、事件か事故かわからないんだよな?」
「ええ。組織も事件と事故、ふたつの観点から調べを進めるそうです」
「ああ。ベルマンに『引き続き頼む』と伝えてくれ。……それと、『深追いはするな』と」
「────はい。手引きさせていただきます」
素直に頷くスネークに、エリックはひとつ、陶器の仮面の下から息を吐いた。
スネーク・ケラーという男とは基本的に仲も悪いし相いれないが、
互いに同じ方向を向いている時のみに発揮されるコンビネーションだが、こちらの意図をくみ取り先回りする、《この有能さ》は──他のなにを差し引いても余るものであった。
(……いつもこうならいいんだけどな)
と、それでも悪態をつくエリックの傍らで。
糸目のスネークといえば、脇に書類の束を携え、こほんとひとつ咳払いをすると、
「…………それと、もう一つ」
「……まだなにかあるのか」
その、やや辟易を纏った声に、スネークは音もなく頷いた。
どちらかといえばこちらの方が本題である。
”べろり”と書類の束を差し出し、トーンもそのまま彼は言った。
「上がりたての価格調査報告書です。毛皮だけではなく、綿と絹も高騰しています」
「………………ああ」
「落ち着いていますね、ご存じでしたか?」
「彼女から聞いた。現場にいれば、情報は『一瞬』だからな」
答えながら、手渡された資料に目を落とすエリック。
魔具ラタンが照らす室内で、エリックの蒼く黒い瞳が捕らえる情報の数々。
記載されている綿とシルクの売価。
その他の変動。
彼女と訪れた問屋の言う通り、仕入れた情報と差異はない。
────と、同時に浮かぶ、
『……困る!』
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