4-16「フィルターを通して(1)」




(…………はあ────っ………………なんだったの、一体……)



 総合服飾工房オール・ドレッサービスティでの一幕。

 厄介な空気を出す人間 エリック が店を後にして、すぐ。

 心底疲れた声を胸の中に、指先でにぎる封筒に向かって息を吐き切るのは、着付け師のミリアだ。



 いつもの職場。

 自分のホーム。


 そこでいきなり始まったスネークとエリックの『縄張りバトル』に挟まれたミリアの気苦労は、想像に容易いだろう。


 体感、二ヶ月は老け込んだ気分である。

 頬も口元も下がるし、笑顔なんて出ないし、密かに指は震えるし。とんだとばっちりを受けた気分である。


(今の自分、やばいブサイクだな………………自信あるわ……)と、息を吐き背中を丸めるミリアだが、次の瞬間には『一拍』。

 来客スネークに向かって「ぐっ」と背を伸ばし、会費の封筒を持ったまま、カウンター越しに語り掛ける。



「…………スネークさぁん、……ほんとに知り合いじゃないんですか?」

「ええ、存じ上げませんねえ。少なくとも私の方は記憶にありません。知らない人間です」



 『ほんとにぃ?』と眉をしかめながら聞いてみたミリア。

 知り合いじゃないのなら『どうしていきなり戦闘モードだったんですか』と込めたつもりであったが、スネークの崩れない姿勢・・・・・・に──彼女のほうが眉を下げた。


 「……あぁ……、」とひとつ項垂れる。

 彼女は勘繰るのが得意ではなかった。

 それなりにものを考えるタイプなのだが、言われた以上のことを勝手に広めるのは好きではないし、目上の『スネーク商工会長』が違うというのだから、それ以上に勘ぐるのは失礼に値すると判断したのだ。


 そんな対応を受け、次にミリアが口にしたのは──『仲間の無礼』に対する謝罪だった。



「……ちょー態度悪くてすいません………………いつもはあんな────」



 言いかけて。

 脳裏によぎる、エリックの態度。


 『へえ、それは知らなかったよ、お嬢さん?』

 『普通はああするんだ、靴を投げたりしない』

 『またやって欲しいんだけど?『頑張ろうね、スフィー♡』って』



「────感じでもない、……わけでもない……んですけど」

「ほう? そうなのですか?」



 咄嗟にフォローをしようとして、逆に、変にぼかした言い方になってしまったミリアの言葉は、スネークの『興味』を刺激した。


 なにしろ、スネークの前でエリックは一切笑わない。

 怪訝な表情になることはあれど、にこりともクスリともしない。

 

 8年、笑顔など見せたこともないボスに対して『そんなことない』というミリアの証言に、奥底で興味が躍る。


(──……これは、聞くしかありませんね?)と内心呟くスネークの思惑などつゆ知らず、ミリアは(よかったごまかせた!)と、明るく笑って口を開くのだ。



「ええ! 割と気のいいお兄さんですよ。なんだかんだ付き合ってくれるし。『ちょっと』と思うこともあるけど、それはまあ『個性』というか」


「ほう。では、貴女の前では『気のいい青年』なのですか?」

「んん〜〜、まあ……」


「……私には警戒と嫌悪だけでしたが」

「……だから『知り合いかなー』って思ったんですけど……?」

「知りませんねぇ」



 『じー』っとした問いかけをすまし顔のままさらりと回避。

 やっぱり少し気になって突いてみたミリアだが、相手はスネークだ。その糸目の表情を読み取ることなど出来ず、ミリアはあっさりそれを飲み込み細やかに頷いて、



「そうですか、すみません〜。うーん……なんであんな態度とったんだろう?」

「…………どうやら、嫌われたようです」


「『いきなり嫌い』とか、あります~? だいぶ失礼じゃありません? もうっ」



 正直に物申し、今は居ぬ仲間にジト目でぶーたれる。

 ミリアの感性からすれば、『いきなり嫌い』はありえない。

 ────しかし。

 スネークの澄ましきった声は、平坦にビスティーの中に響いた。




「女性同士でもあるとは思いますが、男同士になると多いようですよ。……オスの本能、とでも言うのでしょうか」

「……はあ……、ホンノウ……」


「オスは本来、縄張り意識が強いですから。瞬間的に嫌悪を抱くことも多々あるそうです」

「でもあれじゃあ話す気にもなりませんよね〜? お友達いるのかしら」

「さあ」


「……まあ~~わたしはべつに、彼と話すの嫌じゃないんですけどねー」

「…………」



 困ったように、右手で頬を包み眉を下げる彼女。

 スネークは、ひとつ。

 ことばを投げた。



「…………ヤキモチ、じゃないですか?」

「はいっ?」


「──貴方という人間と、好意的に話す私が気に食わなかったのでは?」

「──…………」

 


 ぽとん、と投げられたことば

 いきなり飛んできた、根拠も何もないところからの”推測”に。

 ミリアはハニーブラウンの瞳をまるくして────…………


 ────ぶ! 



「あはははははは! そっ、それは絶対ないと思いますよっ、スネークさんっ!」



 二、三秒の沈黙のあと。

 思いっきり吹き出し腹を抱えた笑い声が、大きく響き渡った。

 彼女は大きく手と首を振りながらその右手で目尻を押さえつつ、



「ぷっ、ぶっ! な、何を言うかと思えば……! もー! スネークさん面白いなぁ!」


「──おや。違いましたか?」

「ちがうちがう! そぉんなわけないじゃないですかっ! だってそんなに仲良しじゃないですもん!」



 ばったんばったん手を振りながら否定するミリア。


 スネークには言えないが、エリックは『契約者』である。

 それ以前に出会ってからおおよそ2週間、3度しか会っていないのにヤキモチも何もない。


 しれっとすまし顔でそこにいるスネークに、ミリアは『はーっ』っと息を吐きながら手をぺしぺし動かして、



「っていうか、こわいこわい! それで好意向けられるとか怖すぎますって! ないない無理無理、絶対ない! あの人、顔はいいんですからっ、こんなところでわたし相手に、ぶっ! やきもっ……あはははは!」

「……そんなに笑いますか?」

 

「は──っ……、もーやだ、苦しいっ……! エリックさんは『ただのお客さま』ですっ。」

「あれほど仲睦まじく腕相撲をしていたのに?」



 ────ぷはっ! ん゛、んん゛、コホンこほん!


 追撃に笑いと咳がでた。

 彼女の中で、どうしてスネーク組合長がそんなことを言うのかさっぱりわからないが、とにかく『ミリ単位ともあり得ない』事柄に、笑いがこみあげてくる。


 ぷるぷるぷるぷる、笑いで震える唇と、出てくる涙をぬぐいつつ、ミリアは大きく息を吸い込むと、



「……あ〜……あれは、わたしが無理やりやらせたよーなもんですっ。全然いないんですよね〜、ああいうのに付き合ってくれる男の人って」



 言いながら、彼女が思い出すのは『失礼じゃない』エリックの方。


 なんだかんだで荷物を持ってくれたり、腕相撲に付き合ってくれたり、最終的には、ナンパから助けてくれた彼が蘇り────徐々に落ち着いた顔から、こぼれる笑み。



「……ん。まあ、その〜〜〜、優しいほうなんじゃないかなーって思ってますよ〜わたしは嫌いじゃないですね〜なかなか面白いお兄さんです〜」

「………………ほう。なるほど。そうですか」


「はい~、そうなんです~……ふふふ、それにしても、ふ! ヤキモチって……!」



 静かに納得した様子のスネークにそういって、ミリアはまたクスクスと笑い出した。


 ありえない。

 ありえないのに────面白いことを言う商工会長である。

 


(──はあ、おかし~、どこをどうみたらそうなるのか。っていうかスネークさんって結構愉快な人だったんだ?)──と、肩を揺らすミリアの、その隣から。



「────ミリアさん」

「はい?」


「会費、頂いてもよろしいですか?」

「うわっと! すみません忘れてましたっ」


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