4-17「フィルターを通して(2)」
──火のないところに煙は立たない。
とある国にはそのような言葉があると言う。
噂が立つには推測が出るのは、少なからずその原因があるというものだ。
「────いやあ。驚きましたねぇ。まさか、『彼女』がそうだったとは」
ウエストエッジ・商工会議所・奥。
今しがた到着した彼に対して、スネークは声も高らかにそう言った。
その『愉快』を描いたような声に、エリックは怪訝に顔を顰めて声を張る。
「…………だったらなんだ。誰を情報源にしようとお前には関係ないはずだ、スネーク」
「えぇ。そうですねぇ」
『これ以上聞くな』と突き放すエリックの物言いをさらりと受け止めて。しかしスネークはニコニコとした笑みのまま、ボスに目を滑らせると、こくりと首をかしげて述べるのだ。
「ただ────、驚いただけです。『流石』と申し上げた方がよろしいですか?
「…………は?」
『流石』を強調する物言いに、エリックは不機嫌に声を張った。
込めるのは『鋭利な棘』と『重い圧』。
”怪訝”を
しかしスネークは口角も滑らかに、鼻をクスリと鳴らして言うのである。
「────私は、『彼女』を知っていましたから。このウエストエッジでは珍しい愛想の持ち主で、人当たりもいい。もし私があなたの立場なら、白羽の矢を立てていたところです」
「…………それで?」
「────いやぁー、彼女があそこに勤め始めたころのことが鮮明に思い出されますねぇ……あの頃はまだ初々しい少女でしたが、今では立派な看板娘です」
「なにが言いたい」
──ふっ……
冷徹な声にぬらりとした、スネークの笑みが返る。
「────いえ? ただ…………『ボスは彼女を、どう思われたのか』……、と思いましてね? 気立てのいい娘でしょう?」
「────別に。彼女はただの
その、伺うような言い回し・雰囲気にエリックははっきりと言い捨てた。
瞳で射貫いていたスネークから目をそらし、彼は革張りの椅子に腰かけると、両肘を
「────利用できるか、できないか。盗れるか、盗れないか。使えるか、使えないか。それだけだ」
「──なら、いつものように?」
「………………ああ」
ひじの先、力なく垂れ下がった指を緩やかに組みながら、端的に。
『”いつものように”ミリアの前から消えるだけ』。
────と、言おうとして、一瞬。
彼女の顔が脳裏に横切るエリックの隣で、スネークは澄ました顔で一つ頷き「…………そうですか」と言葉を落とす。
「…………スネーク。なんだ」
やけにあっさりと引いたスネークと、そこはかとなく漂う失望の色に、エリックが眉根を寄せた時。スネークは『哀れ』と言わんばかりの眉づかいで首を振ると、
「…………冷たいですねぇ。ミリアさんは貴方のことをあんなふうに言っていたのに……」
「………………は?」
(──何を言っている?)
「────何を聞いた」
思わせぶりな言い方にエリックは声を張った。
容赦なく向ける苛立ちの牙。
詮索も嫌いだが勿体つけられるのは──いや、この男に勿体つけられるのは、心底嫌いだ。
そして今の一言で、エリックの中で同時に渦巻くのはミリアへの懸念である。
ミリアが何を言ったか知らない。
が──その内容次第では、作戦の根本からやり直さなければならない。
彼女は口も堅いとみているし、最低限の分別もある筈だ。それに、こちらのことを『契約者』以上には見ていないだろう。
が、『あの後 何を話したのか』、わからない。
(────不快だ)
奈落を閉じ込めたような黒く青い瞳に嫌疑と苛立ちを乗せ、じっ……っと黙りこくりながらも圧をかけるエリックの前──、スネークは、くすりと口元を緩ませ”一歩”。
「いえ。大したことはありませんよ、ただ……ミリアさんは、貴方のことを『とても優しくて良い人だ』『面倒見もいいし、好感が持てる』『カッコ良くていい』──それに何より『面白くて一緒にいて楽しい』と。そう、おっしゃっていましてね?」
「………………」
聞いて、すぐに言葉が出なかった。
『予想外のものを食らった』。
懸念は一気に崩れ去り、驚きと戸惑いが胸に広がる。
「……彼女は大層誉めていましたよ? アナタのことを語るミリアさんは、本当に良〜い笑顔をされていました。アナタのことを『面白い』と表現するひとには、初めてお会いしましたから、私もいささか興味が出たのですが……」
「…………」
「……まあ。そうはいってもボスにとっては『情報源』ですし。いずれ切り捨てる対象だと言うのなら……そうなのでしょうねぇ」
「…………そうは言ってない」
さらさらと言われて、ひとつ。否定の言葉で抗う。
スネークを通して、ミリアの『まあ、優しいほう』が『とてもやさしい』。『顔はいい方』が、『カッコ良い』。『面倒見が良い』に『いい感じ』、『話していて嫌じゃない』が『一緒にいて楽しい』と変換され──エリックに伝わっていく。
「ただ…………彼女は、俺の協力者だ。余計なことはしないでくれないか?」
「余計だなんて
「………………」
聞いて過るのはミリアの顔。
──〈ふふっ、あの人面白い人なんですよ!〉
──〈かっこいいし、優しいんです!〉
──── 一瞬。
見えた
「────それでも。余計なことはするな。…………彼女に迷惑になる」
「────えぇ。承知しました」
抑揚を抑えた声に、スネークの淀みない返事が響いた。
商工会、奥。
昼だというのにほの暗いその部屋で、じわりと生まれた『迷い』のようなものに黙り、考える。「協力者」・「情報源」・「相棒」・『面白い』──という
(…………いや。今は、そこじゃない)
ぐらり。
揺れた何かを無理やりにでも整えるように首を振り、彼は顔を切り替えた。そして再びつけるのは──真面目で、固い、ボスの
「…………それで。お前は、それが言いたくて俺を呼び出したのか? そんなことのために?」
「いいえ?」
いつものように怪訝と威圧を纏わせて。
『隙など無い』と腕を組むエリックに、スネークは『愉快なすまし顔』を消し去り、糸のような細い目で述べた。
「……お耳に入れておかねばならないと思いましてね。死亡事故が起きました。──いいえ、
「…………死亡事件? 場所は? 東の方か?」
「────いいえ。
男は、盟主であり、スパイであった。
スパイの暮らしは、常に予期せぬトラブルで溢れている。
────これは、嘘を重ねる男の話。
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