4-7「違うの聞いて!!!」



 ──『君が話していたのは、盟主の使いだよ』。

 盟主・エルヴィス・ディン・オリオン本人が付いた嘘は、予想を大きく裏切る方向で、着付師のミリアに届いた。



 ──『顔面蒼白』。

 おそらく(じゃなくても)自分の言ったことを思い出し血の気が引いているであろう彼女に、エリックはたじろぎながら手を上げて、




「…………み、ミリア? いや、」

「あのね聞いてお兄さん、別にわたし、盟主様をけなすつもりはちっとも無く! ちっともないです! マジで信じて、ちがう、違うの!」



 『スマート』も『任務』も光のかなたにすっ飛んで、引きつり『待った』をあらわにするエリックに、ミリアの気迫は変わらない。真っ青な顔で詰め寄る彼女を前に、エリックは更に、手まで上げると



「…………ミリア。……いや、ミリアさん」

「盟主さまにいろいろ言ったけど! 名前も知らなかったけど! は、反乱起こそうとか思ってないし! 移住だって、そういうのじゃないし! そういう目的じゃないし!」


「…………うん」

「『可愛い服が着たかった』! 『ローブが嫌だった』だけなの! だからビスティーだけは助けてくれないっ? ねえ、オーナーは関係ないから! わたしの意見だから!」


「──待って。聞いて。落ち着いて。………………大丈夫だから」



 完全に涙目。ふるふると首を振る彼女に、エリックはゆっくりと首を振り、意図せず真剣に言葉をかけていた。


 もう最後は聞きの一手である。

 暴れまわる馬をひたすらなだめているような気分に襲われつつ、(…………嘘だろ…………っ)と舌を巻くエリック。


 予想外だ。

 ほんの少し意地悪のつもりだったのだが、まさかここまで狼狽えるとは思わなかった。


 確かに『盟主の関係者』というのはパワーワードではあるのだが、彼女は他国の出身。立場のあるものについても堂々と物申しそうだと想像していた。

 しかし、現実はこうだ。


 その想像以上の怖がりように、(…………何を想像したんだ? ”俺”、ものすごく怖い人間だと思われてないか?)と思うと同時に、(…………しまった)と後悔の念が湧き出る。



 この反応にはさすがのエリックの胸も痛む。

 別に怖がらせたかったわけじゃない。

 ほんの少し意地悪をしてみただけなのに。


 しかしミリアの反応はというと『こう』だ。

 今まで彼女は忌憚なく意見をくれていた。それがエリックにとってありがたくも新鮮だったために──懸念が巻き起こる。



(……ここで萎縮されても困るんだ。君には、そのままで居てもらわないと)



 ──カバーせねばなるまい。


 瞳に宿すのは、憂いと優しさ。

 覗き込むのは彼女の瞳。

 意識的に眉を下げ、────とにかく『安心を』。



「…………ミリア、聞いて。君のことを旦那さまに話したりしないし、ここで見聞きしたことを……伝えるつもりもないから」

 ゆっくりゆっくり、なだめるように。



「大丈夫。俺を信じて。──それとも、信じられない?」

 気持ちを込めて、言葉をかける。



「…………そ、そんなことはない、んだけど。……ほ、ほんと? いわない?」

「────ああ。本当。……約束するよ。ネミリアの聖騎士に誓って」

「…………っ! ………………っ!」

「…………俺を、信じてくれる?」


「────おにいいっさあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!」


「”エリック”だ」

 ────がしっ! うるうるうるっ! どぱあああああっ。


 

 作った雰囲気はどこへやら。

 滝のように涙を流し力いっぱい叫んだミリアに固く放った。

 思わず空虚な瞳でどこかをみつめる。

 嗚呼。なんだろうか、この感じ。『全力を込めた何かが、肩透かしで終わってしまった』ような脱力感。『違うこうじゃない』を訴えたくなるこの感じ。



(…………ちょ、調子が狂う…………なんでこうなるんだ)



 エリックは密かに愕然とした。


 さっきまでの気持ちの整理がつけられない。

 安心させるつもりの言葉は尽くしたはずだ。

 それで確かに安心はしたようだが、こうも勢いよく──……名前ではなく”代名詞”で呼ばれるとは。


 このまま真面目モードに持って行きたかったのに、空気は一気にコミカルである。



(────普通、ここは『わかった。ありがとう……!』とか『エリックさん……! 優しいのね……!』とか、そうならないか? なるよな?)と、内心首をひねる。



 今まではそうだった。

 『大丈夫だ』と言えば、皆 瞳を輝かせ頬を染めたというのに。

 その『薄っぺらい嘘やさしさ』にうっとりと心を許したというのに。


 彼の頭の中。

 想定していた『嬉しそうな顔つきのミリア』や『とても感謝している顔つきのミリア』が浮かんでは「はーよかったハッピーハッピー! 社会的に死んだかと思った、ふうううう! 九死に一生を得るとはまさにこのことですね! はあ──っ! よかた!」と、背景に花なんぞを飛ばしながら『キラン☆』と額の汗を拭う、現実の彼女にかき消されていく。




「………………」


 ──ああ、なんだろうかこの感じ(二度目)。

 コミカルな現実に何もかもがかき消されて言葉もでない。ほっといてもホジティブな方に転がっていくのは楽ではあるのだが、転がり方が早すぎるのである。


 百戦錬磨・敏腕スパイ・そして華麗なるオリオン盟主は、しかし。

 そんな『未知なる遭遇』に戸惑いながらも、それでもなんとか頭を働かせようとしていた。


 ここで巻き込まれている場合ではないのだ。

 まずは気を取り直し、体勢を立て直さなければなるまい。

 心に負ったダメージはあるものの、それは些細なものであり、本来の目的はそこじゃない。


 ────しかし。

(────と、いうか? ……このやりとり、3回目だよな? いい加減、名前ぐらい呼んで欲しいんだけど)



 処理しきれない不満が目的の上に来た。

 どうやらミリアの『おにーさん呼び』は、彼のプライドを密かに刺激し続けていたようだ。


 彼の中で瞬時に廻るのは、『名乗りを上げた後の他人の反応』である。

 諜報員ネームの『エリック』も、本名である『エルヴィス』も名乗れば・皆、すぐにその名で呼んできた。驚いたものもいる。しかしミリアが口にするのは、なぜか代名詞・・・



「………………」

 男は、プライドが高かった。



(…………まったく。マジェラの女性はみんなこうなのか? 名前で呼ぶ習慣がないとか?)



 黙って見つめるその奥に、じわっと滲み出る不満。

 心の奥底に広がる意地とプライド。

 ────しかし。


(…………いや、そうじゃない。そこに拘っている場合じゃない)


 

 彼は無理やり首を振り、そして切り替えた。


 彼女のペースに乗せられてどうする。

 自分はスパイだ。

 手綱は握ってこそ価値がある。握られて──いや、振り回されてどうするというのだ。


 真相を調べるために。

 今後起こりうる価格高騰を防ぐために。

 ここで、足踏みをしている場合じゃない。



「────なあ、ミリア」


 

 彼はゆっくりと名前を呼んだ。


 「言う」と決めた言葉がある。

 「取る」と決めた手段がある。

 「やる」と決めた使命がある。



「────取引をしないか?」



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