4-3「うちのボスが困ってるんだ」

 



 困る彼女に思わず『大丈夫だ』とか『そうだよな』とか『なんとかする』とか口走りそうになった。



 ────しかし、彼は貴族だ。金もあるし地位もある。

 たとえ綿やシルクの値が上がっても、しばらく生活に困ることはない。


 それに、庶民や小売店の細かいやりくりについてなどわかるはずもない。わからないことに安易に同意など出来はしない。どこで墓穴を掘るかわからないし、そのフォローが後々首を絞める可能性もある。

 

 しかし彼は、それを見通したうえで『その場限りの嘘』を吐いて捨てるほど口にしてきた。なぜなら彼はスパイでもあるからだ。


 情報を得るために、薄っぺらい嘘を吐き標的を安心させ盗むのは──彼の得意とする手段である。しかし、それが今──吐けない・・・・



(…………そんなこと、わかっているはずなのに……わかったうえで、今まで使ってきたのに)



 理由はわからない。

 彼の中生まれた戸惑いを置き去りに、脳が見せるのは『この先』。


 困窮する彼女たちの姿だ。

 先に待ち受ける混乱だ。

 見える。かなりリアルに、鮮明に。


(…………も困るんだろ。そういうことだよな……)


 綿・シルク・毛皮。

 不自然な価格の高騰と、困り悩むミリアを目の当たりにして、だんまりを決め込み悩むエリックのその前で。


 『ああああ!』と叫びながら頭を抱えて騒ぐ彼女は、そのままダァン! と立ち上がり、ビスティーの天井に向かって声を張る!



「────っめいしゅさまーっ! 盟主さまあああああ! きこえますか! 民は! 民は困っておりマァァァス!!」



 力いっぱい、目いっぱい。

 神に訴えかけるように、叫ぶ、彼女を前に、



「──────……。」



 彼は──……まぶたを落として、肚を据え、静かに、顔をあげた。

 


「……なあ、ミリア。……それなんだけど」

「……?」



 ゆっくりと、落ち着いたその声は、ミリアの動きをぴたりと止める。

 ハニーブラウンの視線が注がれる中、エリックは静かに問いかける。



「…………この前、毛皮の話をしたのを覚えてる?」

「けがわっ? えーとえーとちょっと待ってね、……思い出す〜」



 言われて瞳を惑わせるミリアは、まだ少し混乱を引きずっているようだ。


 ブラウンダークの髪の上。

 前髪のつむじ辺りに手を置くと、ぽん・ぽん・ぽん……。一拍・二拍・三拍。


 リズムに合わせて彼女のまぶたの中。

 はちみつ色の瞳が迷い、カタンと椅子に腰かけたと同時。

 エリックは静かに息を吸い込んだ。



「……この前。『毛皮が人気になったりするのか』って聞いただろ? 君は、俺に『そんなことはない』と教えてくれたんだ」

「──あ! 思い出した。うん、そんなこと言ってたね?」



 頷くミリアから徐々に消えゆく混乱の色。

 出来上がっていく『聞く』姿勢。

 様子を見ながらエリックは、ゆっくりと頷き彼女と目を合わせる。

 送る眼差しに『感謝の色』をのせて。



「…………ああ。とても的確に教えてくれたから、助かったよ。あそこまで教えてくれる人は、君ぐらいのものだったから」

「……そ、そう? いや、あははっ、ちょっと照れるじゃんっ」



 混乱は落ち着きへ。

 落ち着きは はにかみへ。

 流動的に動き、変化していくその感情さま

 照れるミリアを前にして、彼はゆっくりとカウンターに両腕を置き──距離を取る。


 遠からず、近からずそれでいて『信頼』が伝わる距離。



「……?」



 彼が作り出した『その』にミリアが不思議そうに首を傾げた時。

 エリックは”じっ……”と黒く青い瞳でミリアを射抜き──放った。



「…………君に話したいことがあるんだけど。……聞いてくれる?」

「…………なに?」


「……これは、君だから話せることなんだけど。……実は…………ウチのボスが困ってるんだ」

「…………ボス?」


「────ああ。この領地の最高責任者。盟主・エルヴィス・ディン・オリオン様だよ」




「──────はっ?」


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