3-8「お願い、黙ってて!(1)」





 ────よくよく考えたら、不思議な話だ。


 以前、彼女から『マジェラ出身だ』と聞かされた時には、その事実に納得してしまい、理由を聞くまでに至らなかった。


 しかし、長き歴史の間。

 商人や物流を動かすものはさておき、国を渡り移住する者など、大陸戦争が終結してから今でもあまりお目にかかったことがないのに。



 ましてや、彼女は女性である。

 人外まものが出ないとも言えない街の外──いや、国の外からと考えると、随分と大それたことをしている。しかも彼女の年齢から逆算すると、越してきたのは19の時だ。


 

「……君。なんでマジェラから来たんだ? 理由があるんだろ? わざわざ、国を超えるなんて」


 『改めて』。

 ……いや。『場を繋ぎ・空気を緩ませるため』の問いかけに、しかしミリアは慌てて手を上げると、



「────ちょ、ちょっと待って!」


 血相を変えたのであった。





 ※※




 シルクメイル地方・オリオン領西の端・ウエストエッジ。

 雨上がりの住宅街。

 

 突如慌てるミリアに『ん?』と目だけで様子を伺うエリックに、ミリアはそのはちみつ色の瞳で素早くあたりを見回すと



「…………し、──しーっ……! それ、外では出さないで……!」

「…………!」



 声を潜め、小刻みに首を振り、必死を醸し出すミリアに釣られて息を呑んだ。

 そのあからさまな困惑と焦りに驚くエリックの視線が注がれる中、ミリアは彼の両腕をガシッと掴むと、



「……おにーさんには言ったけど……! 他の誰も知らないの、言ってないの。まじで。ほんとに誰も知らないやつっ……! 言った後で申し訳ないんだけど、黙っててお願いっ……!」

「…………」



 言われ、すぐに言葉が出なかった。

 こちらを見上げるミリアの表情は、彼女のイメージから離れた『必死』そのもの。



「……どうした? らしくないな。それが問題あるのか?」

「……あるよ……! マジェラ う ち が、昔どんな風に言われてたか知ってるでしょ?」

「────!」



 彼女の言葉に喉が鳴る。

 そして瞬時に理解した。

 ミリアの懸念と、その理由。

 

 『マジェラ』は、大昔。

 『喧嘩を売ってはいけない国』・『人成らざるものの魔境』などと言われ、恐れられてきた。『喧嘩を売ったが最後、黒き魔物が国を焼き払うだろう』という言い伝えもあったとも聞いている。

 

 しかしそれは遠い昔で、もはやおとぎ話に近いものだ。


 国交が開かれてから、魔具商人も多く出入りするようになり、マジェラの民に対するイメージはすでに払拭されているはずで、迫害もなければ偏見もない。



 しかしまさか、彼女がそれを気にしているなんて。 

 出会ってからまだ数回ではあるが、彼から見た『ミリア・リリ・マキシマム』という女性は『基本的にじゃじゃ馬で、向こう見ずで、多少の雨の中なら傘を差さずに走っていきそうな印象』だっただけに、『そんなこと』を気にしているとは 思わなかった。

 

 その戸惑いは、素直に口を突いて出る。



「…………いや、確かに大昔はそうだったかもしれないけど。今はそんなこと思うやつ、居ないよ。安心していい」 


「…………そんなのわかんないじゃん? キミも言ってたとーり、意識が変わるまでには時間かかるじゃん」

「…………、……」



 はっきりと言われて言葉に詰まった。

 《意識改革までにかかる時間》については、彼自身が一番身に染みていることだからである。



 人の意識……いや、民衆の意識など、そう簡単には変わらない。

 どれだけ説こうと、中年以上は女性に対する扱いを改めない。どれだけ説こうと、こびりついた価値観はなかなか変わらない。



 ウエストエッジの一角。

 住宅街の路地、雨上がりの昼過ぎ。


 黙るエリックのその前で、少し緊張した面持ちの彼女は『こつ、こつ、こつ』と、ゆっくり石畳を踏みしめながら、祈るように手を合わせ口元につけると、ちらりと目配せして言うのである。



「…………言わないが吉。……あーっと……、ここの人たちの事、信じてないわけじゃないよ? いい人ばっかりだし、オーナーとか、親以上に感謝してる。うちの職人もすごいし」



 言いにくそうなその顔は、如実に彼女が『そうならないように努めている』のが現れている。



「……でも、言う必要ないものは言わなくていいじゃん。特になんか──、その………………できるわけでもないし」

「………………」




 最後は、申し訳なさそうに眉を下げ、瞳を迷わせながら気まずそうに肩をすくめるミリアに沈黙した。

 


 返す言葉が見つからない。


 エリックは本来、口が達者な方である。

 貴族関係の交流なら相手に敬意を払いながら対応できるし、どんな嫌味を言われてもにこやかに返答してきた。

 依頼関係ならもっと容易い。上下関係だけだからだ。


 『だから』、と言っては少々違うかもしれないが──民族の違いについて、このように意見してくる人間などいなかった。


 まして、当事者の意見を聞けることも、無かった。



(────外の人間だからこそ、か……)

 


 いまだ、所在なさそうに肩を落として歩む彼女に呟いて、エリックは考えを巡らせて──


「────なら、ミリア。……君がナンパに対して力を使わなかったのは、そういうこと?」

「…………!」



 ──魔力のことを伏せながら投げた問いに、『図星』が走り抜けた。

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