2-8「数年後のあなたへ(1)」




「…………オリオン領は今、改革の真っ最中なんだ」



 空気は重かった。

 きっかけはひょんなところから。

 ミリアが『話題変更に』と口にした、盟主の話からだ。


 昼のビスティ、窓際で。その重さを察知したミリアに『……座ってよ』と促され、布張りのソファーに腰を下ろすエリックは、悩まし気に頬杖をつく。


 そのさまは、窓ガラスを額縁に描かれた絵画のようだが……本人は当然、ミリアも今はそんなことを思う余裕などありはしなかった。



「…………そうだな、順を追って話すか。エルヴィスの先代、オリバーの時代、ここは……女性軽視がすごかった」



 語り始めるのは、この街の事情。

 神妙な面持ちで、彼は言葉を紡ぐ。


 

「ナガルガルド継承戦争において戦争支援をしていたこともあって、男を支えて当たり前──、むしろ、非力で人質になってしまう女性は、妻としてめとってはいてもその多くが召使いほどの扱いでね。男に奉仕する事が『当たり前』だと教え込まれて、美徳とされていた時代があったんだ」

「…………うん」



 語るエリックは真剣で、ミリアも思わず聞きの姿勢に徹する。


 客用通路にあった背の低い丸椅子に腰掛けて、目線をあわせ頷く。


 客のいない工房でふたり。

 窓の外から伝わる熱から逃げるように姿勢を正すと、彼は続きを語った。



「…………しかし、時代は流れて、我らはシルクメイル三国は『ネム国際平和連盟』を立ち上げ、不戦の誓いをした。戦争はせず、民の尊厳を第一に考えを置いた際・男女共に、その命にも、尊厳にも差は存在しないという考えに至ったんだ」



 「うん」とひとつ頷くミリア。

 それが合図だったように、エリックは、かけたソファーの上で緩やかに指を組む。



「……それが約20年ほど前のことになる。先代のオリバーは、表向き連盟に同意を表していたが、実はそうでもなくてね。連盟の中でもこの国ここの政策はなかなか進まなかった」



 ……ふう……と息。

 やや疲れた様子のエリックだったが、そこで大きめに息を吸い込み言葉を続けた。



「しかし、彼の死後。連盟の考えに同意し、改革を進めているのが、現在の盟主……エルヴィス・ディン・オリオン閣下だ」

「……へえ……」



 彼の言葉に、素直に相槌を打っていた。

 素直に知らない事柄を聞いたとき、人の反応はとても素直だ。


 そんな反応にエリックはくすりと笑いをもらすと、



「……君が、名前も覚えていなかったエルヴィス様だよ。もう覚えたよな?」

「…………えるびす……さま」



 からかうように言われて、ミリアはとりあえず繰り返してみた。


 ぶっちゃけ、ミリアとしてはこの街の盟主情報に興味など微塵もない。知りたい情報というわけでもないし、知らなくても生活は困らない。


 しかし、ここまできちんと教えてくれたら無下にはできない。


 今しがた聞いたその名前を、脳内で確かめるように繰り返しつつ。ミリアは、膝の上で緩やかに指を組み、左上を見つめながら口を開けると、



「えーと……『若き盟主・若年の革命児』……? だっけ?」

「────まあ、そうだな? とても『やり手』だよ。今までの政策が古めかしい分、それを抜本的に改革するには、新しい感性と力が必要だから」


「……なんか、凄くパワーありそー……」

「まあね。他国に倣って教育を取り入れ、国民全体の教養向上をはじめとし、これまでの『性差蔑視』を取り払う。……その為に、色々試してみてはいるんだけど。……なかなか……難しいみたいだな」

「ふうーん……」



 難しい顔つきで語るエリックに、ミリアはゆっくりと相槌を一つ。

 自分の前で話すエリックという男性は悩まし気で、思わず空気に釣られて思い出していた。


 ここで聞いたこと。

 他の人が漏らしていった『盟主』の話。

 ミリアは、イエローブラウンの瞳でぐるーっと天井を見回すと、



「……噂は聞くよ、メイシュさんの、」

「エルヴィス閣下」

「えるびす閣下さんの。」


 言い直した。



(……細かいなー……)と、一瞬思うが、スルーして言葉を続ける。



「……そのー、『やり手』だとか『かっこいい』とか『怖い』とか『凛々しい』とか『貴公子』とか『笑わない』とか、いろいろ。……でも、会ったことあるわけじゃないし、わたしみたいなイチ庶民には『へえ〜』しか出てこないな?」


「………………そういうものなのかな。俺からしてみれば、国の政策・上の方針や領主の考え・人柄に関心を持つのは当然の事だと思うけど」


「──わたしの関心は、『上の方針』よりも、『縫い針の刺し心地』だったりします」


「…………大喜利のつもりなのか?」

「いや、別にそんなんじゃないけどっ」



 ふふんと鼻を鳴らしていった言葉に、返ってきたのは呆れた視線。

 瞬時に肩をすくめて誤魔化すミリア。


 彼女には、こういう癖がある。

 時と場合によっては、本気で怒られるか切り捨てられるような冗談を言う癖だ。


 それを魅力に感じるかどうかは人によりけりだが、彼・エリックは『怒る』タイプではないらしい。



 ミリアは、なんとなくそれを感じ取っていた。このエリックという青年は、呆れながらも付き合ってくれているという感じで、おそらく怒ってもいないし腹を立ててもいない。

 

 黙り込んだ時の迫力は凄いし、偉そうだと感じるのだが、彼と話していて『嫌』だとは思わなかった。


 木造りの丸い椅子の上、ミリアは、彼と目線同じに言葉を紡ぐ。



「……ほら。実際暮らしてて『じゃあ何が必要なの?』っていったら、わたしの生活にはあんまり必要じゃないって言うか。まあ、知っておいた方がいいのはわかってるけど、知らなくても困らないじゃん? それよりも糸と布と飾りの値段と、納品日の方が重要だしー……」

「…………まあ。…………そうなんだろうな」



 『……ふうっ』と短く、こぼれるエリックの息。ミリアはとっさに、フォローに回る。



「わたし、この国の歴史とかさっぱり知らなかったけど。その、改革も、何してるのか知らないけど。そういう、何十年? 何百年? にも渡って染みついた価値観って、覆すの大変だと思う。……盟主さまと、国の理想については『いいなあ』って思うけどさ」

「………………」



 言って肩をすくめるミリアに、エリックはひとつ。喉の奥でうなると、足と腕を組み、考えながら口を開いた。



「…………『改革』は……、そうだな。まずは女性の社会進出を促した。先の大戦で 物資・人材を支援していた分、慢性的な人手不足ということもあったんだけど。性別が女だからと言って、まったく能力がないわけじゃないだろ? 家事育児はできているんだからさ。そんな彼女たちに、『家庭の一部』ではなく『個人として』生きられるようにと、門戸もんどを開いたんだ」

「…………うん」


「──……これは、大成功と言っても過言じゃなかった。領内の生産性はあがったし、おかげさまで、ウエストエッジは服飾で急速な発展を遂げることができた」


「……おにーさん、若いのによく知ってるね?」

「…………だから、言ってるだろ?『これぐらい、常識だから』」


「…………………………………………」

(────まあ……この国の人にとってはそうなんだろうな。そういうことですよねわかります)



 もう、慣れてしまった『当たり前理論』に、こっそり胸の内でつぶやき毒づく。


 彼女の脳内、彼の学生時代がありありと目に浮かび──……唇は自然と一文字の形に変化していった。



(…………優等生だったんだろうなあ、この人)



 勝手に、自分とはまるで違う学生時代を思い浮かべるミリアの前。エリックは黒く青き瞳を足元に落としながら、言葉をつづける。


 

「……と、同時に、男性側の意識改革もおこなったよ。……女性の社会進出よりも、こちらの方が厄介だった」



 語る彼には苦労が見える。



「……君の言うように、長年にわたり染みついた感性や価値観はなかなか覆らない。いくら『召使じゃない』と説いても、成人──、特に、中年以上の層はまるで聞く耳を持たないんだ。……それらに着手して、4年目ぐらいになる」


「…………なるほど、それでかあー……」




 そこまで聞いて、ミリアはしげしげと腕を組んだ。


 今までの疑問が解消した気分だった。

 うっすら感じていた『男女間のよそよそしさ』には、それが根本にあったのだと。



 今まで抑圧されていた分、女性は跳ね返って言うことを聞かなくなる。そんな女性たちの扱いに、多くの男性はさらにエゴで押さえつけようとする。


 もちろん皆が皆、そういうわけではないのだろうが、納得できた。


 だから『あの雰囲気なのだ』と。



「あぁ~、納得したぁ~。つまり今、揺り返しが起こってるんだ?」

「────まあ、そういうこと」


「なるほど『改革期』ってやつねぇ~……! 女性に対する態度の強引な感じも、そういう根っこがあるからなんだ! はぁ~、なるほどぉ~……!」

「………………なあ。」



 面白いぐらいうんうん頷く彼女を前に、エリックは一言。


 彼女の瞳を”ぐっ”と覗き込むと、



「…………君、本当に知らなかったのか? 5年も暮らしているんだよな?」

「…………マア レキハ ゴネン デスケド」



 ねじりこむ様な問いに、カタコトで返す彼女。間髪入れずに戻ってくるのは、彼の鋭い目つきと質問だ。


 

「オーナーは何をしていたんだよ?」

「店の回し方とお直しとかはバッチリ教えてもらった」

「………………」



 瞬間、エリックの中には山のような文言が浮かび上がるが──エリックはそれを脳の隅に追いやり、息を吐いた。そして響くのは『ミリアから出た言葉』だ。



 『偉そう』『強引』。

(…………そう、本当に多いんだ)



 外から来た人間にズバッと言われ、その通りだと繰り返す。


 街でいくら潰しても湧いて出る。

 一部の上流層を除いて、あぶれた男たちは強引な方法をとる。


 なまじ、ひと昔前まで女性に拒否権がなかった分、今も『力でやりこめられる・女は格下』だと思い込んでいる男は多く、その弊害が浮き彫りになり始めている。



「………………」



 考え黙り込む彼の前で、ミリアは気を紛らすのように手をひらき、細やかに動かしながら述べた。



「まあまあ、おかげさまでよくわかったよ~。男の人もやり方わかんないんだね? たぶんそういうことでしょ?」

「…………まあな。やり方を説いてはいるよ」

「そうなの? ……断ったら暴言吐いて逃げてく人しか見たことないんだけど、難しいんだね~」


「…………」

「……でもね、女として言わせてもらう。ああいうの良くないと思う。ほんとよくない。その辺まるっと、『なんとかしてくれ! 盟主さま!』」


「…………………………」

「まあ、盟主さま一人でどうにかできることでもないと思うんだけどさ~」



 肩をすくめるミリアに、口を閉ざして、数秒。エリックは、その限りなく黒く青い瞳で彼女を見据え、言った。



「────じゃあ、君は」


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