2-3「あなたを、許します……!(1)」





 男は、とっさに言葉が出なかった。



 彼はスパイだ。密偵だ。諜報員だ。

 調査機関ラジアルのトップを務め上流階級アッパークラスやギルド内の問題を解決してきた、エリートだ。


 金に困るなんてことはもちろん、無い。

 自信がないなんてこともない。


 しかし今し方、露店の並ぶ二番手通り、安飯屋のスモークを浴びながら、総合服飾工房オール・ドレッサービスティーの店員・ミリアに言われた『ご飯食べてる?』に即座に反応できなかった。



 寝耳に水とは、まさにこのこと。

 彼の中────様々な懸念が沸き起こる。


 なぜ、今そう言われた?

 今は別に『金のない花売りの青年』を装っている訳でもなんでもない。

 金に困ったふりもしていない。

 何かそれらしいことを言った記憶もない。


 ただの町娘から出たその言葉の意味理由が解らず、エリックは怪訝に眉をひそめ、



「………………いや、なんで?」

「?」



 聞く声に、返ってきたのはきょとん顔。

 言われて彼女は小首を傾げると、もぐもぐと動かしていた口を止めて、



「いや、なんとなーく? 苦労してるんじゃないかなーとか。思った」

「苦労はして…………いや、まあ。ないこともないけど。君に心配されるようなことは無いから」


「ふんふん。まあ、それならいーんだ」



 聞いておいて細やかに頷きながら、串に刺さった最後を噛み抜くミリアに、エリックは胸の中で疑念の目を向ける。



(────まるでわからない。……この女、何を考えている?)




 木造りでぼこぼこしたテーブルの上、右手の串の感触もなじむほど。

 ぎゅっと握りしめつつ、考えを巡らせる彼。



 ────心配されるような事柄は見せなかったはずだ。


 情報を抜くような問いかけもしていない。

 彼女の目に、なにがどうして『苦労していそう』に映ったのか、わからない。



(……食事を摂れないほど困窮しているように見えるのか? …………ハッ、まさか。そんな身なりはしていない。そんなはずがない)



 そう笑い捨てるが、しかし。

 事実はその通りなのである。


 ミリアは『こんな安飯屋の串焼きに”どこの鳥だろう”なんて発言が出るなんて、どれだけ貧相な食生活をしてるんだろう』と思ったのだが、組織のボスであるエリックには『その発想』は出なかった。



 なぜ・どうして・なにかしたか?

 原因は? 


 そんな疑問は──聴こうと思っていた言葉となって、エリックの口からこぼれ出た。

 


「………………君、名前は?」

「わたし? ミリアー」



 問いかけに、素直に緩~く返ってくる声。

 もちろん、エリックは『ミリア』だけではなくフルネームを知っているのだが、聞いていないのに名前を呼ぶのは変だろう。


 エリックが『へえ、ミリアっていうのか。君によく似合ってる』とか『えーと、フルネームは?』とか言おうと、口を開けた、その時。



「────『ミリアっぽくない』って思ったでしょ? ふふふ、わかる、大丈夫。 わたしもそう思うから」



 同時に飛んできた、彼女の悪戯っぽい顔と自虐の言葉。思わず0.3秒ほど言葉に詰まり、彼が『……いや、俺は』と言いかけるが、



「『ミリア』っていうとさー、こう」



 それより先に、彼女は『すわっ!』と弓なりに背を逸らし、串焼きの串を両手で握りしめ、



「『……あなたを、許します……!』」

「…………」



 どこか明後日の方向をキラキラと見つめながら、祈るように安飯屋のスモークを浴びる。



「…………」



 突如始まった寸劇に、言葉も出せないエリックの前、彼女は、一変。背後に背負った御光ごこうと、やけに芝居がかった表情をスンっと戻し、



「────って感じあると思うんけど、わたしそんな心広くないもんね。優しさとか慈悲とか母性から遠くかけ離れている」



 やややさぐれた口調で、今握りしめていた串焼きの串を『ぽーい』と皿に放った。



 それについて行けないのはエリックだ。

 あまりにも慣れないテンポに、戸惑いに包まれ反応が遅れ、ただ黙った。 


 ちょっと、このノリは慣れない。今まで出会ったことのないテンポだ。


 どう扱っていいかわからず、困惑する調査機関のボスの前。ミリアは短く息をつきコップの水を飲み干すと、愚痴っぽくこぼすのである。



「親の希望とか、まあ、願いとかもわかるんだけど。我ながら『ミリア』は似合わないと思うんだよね〜、だって『ミリア』だよ?」


「──────そう、かな? ……いや、素敵な名前だと思うよ。女神『ネム・ミリア』と同じだ」

「名前は・ね。名前は。名前は、いいよ。でも、中身はともなっていない〜。」



 やや混乱気味ではあるが、相槌を取り戻したエリックの前、ミリアは至ってマイペースだ。


 警戒することもせず、まるで今まで交流のあった知人相手のように、ため息混じりに串を摘まみ上げて目を向けると。



「……よくさあ。“名は体を表す”っていうけど、あれ、幻想に近いと思うんだよね〜。親が願ったように子が育つのであれば、苦労はない」


「…………そうかな? 俺は、君によく似合ってると思うよ」

「そうかなー? わたし、別に人を許したいとか思わないよ? 恨み持ったら一生許さないし、害を加えてきたやつとか一生苦しみながら死に絶えて欲しいと思っている~」


「…………はは、恐ろしいな」

「綺麗に生きたいとか思わないもん。綺麗事じゃないのよ〜、世の中」



 言いながら、彼女は指で挟んだ揚げパスタをふりふり。しかし瞬時に切り替えて、『まあでも、ありがとねー!』と軽く上機嫌になるミリアの前でエリックは──わざと・・・



「────フッ! ずいぶん正直なんだな? 気に入った」

「あらま。それはどーも♡ ありがとうざんす〜♪」



 くれてやった『笑い』に、明らかに変わった彼女の『調子』。少しやさぐれた雰囲気から、少しばかりご機嫌な方へ。



 その反応に、エリックの中。

 湧き始めたのは”高揚感”。



 ────そう。


 こうして相手の気持ちをあげていくのだ。

 言葉巧みに『興味がある』を醸し出しながら。取り入り、気に入られ、情報を盗む。

 あるいは流す。


 ────それが、彼のシゴト。



 エリックは距離をとりながらも、彼女に少し間合いを詰めて『にこやか』を醸し出しつつ小首をかしげると



「…………なあ、ミリア」

「おっと。いきなり呼び捨てですか。なんでしょう? おにーさん」



 ──彼女の返しは、愛想がいいようでさらりと素っ気ない、が。



「…………実は、さっきビスティに顔を出したんだ」

「ビスティに? なんで?」

 確実に、つかむ。相手の興味。


「…………君と、話したくて」

「わたし?」

「────そう。君と」



 揚げパスタを”ぽりっ”とかじる口を止めて、不思議そうに見つめるミリアに、彼は────



 指を緩やかに組み、柔らかめの一撃。




「…………君に惹かれたんだ。この前十分惹かれていたんだけど、今、さらにそう思った」

「…………」



 甘みを帯びた声に返ってくるのは──丸まった視線と沈黙。



 そうだ。

 ────こうして、微笑み・誘い・はめる。

 自分の容姿を、声を、雰囲気を武器にして。

 言葉巧みに、入り込む。



「……もっと、君の話を聞きたい。なあ、どうだろう? 一緒に食事でも行かないか?」


「…………しょくじ。」

「──……そう。君と、二人で。ゆっくりと」



「……いまたべてる……」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………」



 ポリッ……こっくん。ざわざわざわ……



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