1-5「騙し・騙され、虚像に塗れて生きている」






「──あぁ! ロべールさん! ようこそお越しくださいました〜!」



 シワがれた、細く穏やかな声と共に、杖をつきながら現れた『ロベール』と呼ばれた初老の女性を目にして、縫製店のミリアは勢いよく立ち上がった。

 

 完全に声のトーンを変え、隣を抜ける彼女を視線で追いかけるエリックをよそに、ミリアは店舗入り口まで躍り出ると、ロベールに目線を合わせてにっこりと笑う。



「今日はどうされました?」

「…………こちらのお方は、おきゃくさん?」

「ええ、はい。はじめてお越しくださいましたので、当店のご説明をさせていただいたところです」

(…………まるで別人だな)




 完全に「営業スマイル」「接客応対・上品モード」の彼女に、胸の中で呟くエリック。流れるように思い出すのは先ほどまでの彼女だ。



 自分に向けた、『500メイル頂戴しまーす♡』というちゃっかりした笑顔とか。

 『それはボタン代ですねぇ~』という『甘い甘い』と言わんばかりの顔とか。

 『最後まで助けろ!』と叫んだあの顔だとか。



(……………一体、どこに消えたんだよ)

 と、ぼっそりこぼす。 


 今日、この僅かな時間で、どれだけ彼女の『声色』を聞いたことだろう。その代わり映えに感服さえするエリックだが、次に彼の胸に湧き出たのは、虚しさと冷めた気持ちだった。



 瞳を反らして、ささやかに湧き出る虚しさと共に吐き出し、憂う。



(…………まあ、特別なことでもない)

 ”──人なんて、誰しもこんなものだろう。素顔を隠し・自身も偽り。騙し・騙され、虚像に塗れて生きている。”



「…………」



 そう、黙って目を伏せるエリックを目にして、初老のロベールは重そうな瞼をうっすら開けると、ミリアに向かって問いかけるのだ。



「……あらぁ。おじゃまだったかしら?」

「いえいえ! ちょうど、良い頃合いでしたよ♪」



 上質なケープに身を包んだロベールに、にっこりと上品に微笑むミリアは、そのまま。エリックに向き直り背筋を正して腰を落とすと




「………………それでは。『エリック様、本日は有難うございました。またのご用命をお待ちしております』」

 

 スカートの前を少しつまみ上げ、ゆったりと送る『見送りの挨拶』。『また』という名の『さようなら』を送り、彼女は身を翻した。


 ──それは、夏も近づく晴れたある日の午後。



「……で、ロベール奥様? 今日はどのようなご用件でしょうか?」

「今日はねぇ、ミリアちゃんにいいものを持ってきたのよ~」

 

 

 ロベールと彼女──ミリアと呼ばれた女性の会話を聞きながら、エリックは、店を後にした。



 ぎっ。と軋む扉の音を後ろに、燦々さんさんと降り注ぐ光に暖められた石畳を踏みしめ、歩く彼はまだ、知らない。



 この出会いが、彼自身を、光の下へ導くことを。






= エルミリ =






 吹き抜ける風も心地よく。

 天高く広がる空はどこまでも青く、鮮やかだったのは、その日の午前まで。

どんよりと重めの雲が頭上を覆う中、ここ。



 ウエストエッジの商工会議所・受付では──『糸目の男』が、その責務を全うしている最中さなかであった。



「……いけませんねえ〜、先月も未払いですよ?」

「………スネークさん、なんとかなりませんか?」


「……なりません。商工会会費は、必ず納めてもらわないと。こちらも、規則ですから」



 困り顔でへこへこと頭を下げる『小売店の店主』に、糸目の男・スネークと呼ばれたその人は首を振った。



 ────シルクメイル地方・オリオン領の西の端・ウエストエッジ・商工会議所。今日は『会費未払い』の最終受付の日だ。


 本来の期日までに支払いを済ませられなかった組合員──つまり、店の店主やその関係者が、受付にずらりと列をなしている。




「スネークさぁん、それは! それはわかるんですけど……! この季節はうちも売り上げが減る時期で……!」

「えぇ、えぇー。 それはわかっていますよ? ですから先月は”つけ”にさせていただきましたが……今月もそうとなると、ねえ?」


「……そこ! なんとかなりませんか!? 毎年、来月にはまとめてお返しできてるじゃないですか! 組合長の力で、なにとぞ!」

「………………ハァ…………」


 

 目の前、『ぱぁん!』と音を立てながら頼み込まれ、スネークは鼻の下、組んだ両手の中でこぼれた息を包みこんだ。


 スネークは、この組織のトップであった。

 商工会ギルドというのは、平たく言えば労働組合である。

 農協・漁協・縫製・飲食・住宅──街で暮らしを営む彼らを束ねる機関・それが『商工会ギルド』。


 そのおさを務めてから早8年。

 ────このポストも楽なようで楽ではないと、スネークはひっそりとした愚痴を、ため息に混ぜこぼしていた。


 下の方でせかせか働くよりは大分楽ではあるが、この役職は役職で、大変なものがある。


 会費の未払い、経費のちょろまかし。露天商の営業許可、取り扱い物品の精査まで。直接関係はないが、組合員の人間関係まで降りかかってくることがある。


 それを、不快に思われぬよう・かつ、舐められぬよう。言葉で、表情で組合ギルド全体のバランスをとる。


 ──それが、彼『スネーク・ケラー』の役割であった。


 正直面倒な役回りではあるのだが、彼もまた雇われの身。

 そして、このような「未払いトラブル」も、8年も勤めればもう”通例行事”のようなもの。


 決して なあなあにしない雰囲気を醸し出すスネークの前、小売店の店主は顔を上げ、す──っ……とネークに距離を詰め、こそこそーっと。



「…………スネークさんの”お気に入り”、今年も用意しますんで……!」

「……そういうことはここで言うものじゃありませんよ」



 耳打ちされ、僅かに瞳を光らせ苦言を呈した。


 いわゆる『裏取引』である。そんなものを受けるわけにはいかない。『形式上は』。


 そう。彼はそれを表向き窘めはするものの、心の中では喜んでいた。


 特別厳しく禁止されていることでもないし、それらも任されて・・・・のこの役職である。スネークはむしろ、これを言わせるために渋ったといっても過言ではなかった。


 しかし、糸目を変えぬスネークにたしめられたと感じ、店主はぐっと表情を固める。そんな彼に営業スマイルをそのまま、左手でつけペンをとり、紙に押し当てると



「────来月ですよ? それ以降は待ちませんからね」

「────はいっ! 来月必ず!」

 

 

 さらりと翻して見せた。

 一気に輝いた店主の表情を横目に、スネークはさらさらと、手元の台帳に「未払い・来月」と記入して、



「…………次の方、どうぞ?」

「………………………………」



 店主と入れ替わり。

 視界の隅、こつんと現れた小さな革靴。


 カカト部分にあしらわれた小さな花の模様にスネークの手が止まり、その目をあげるのとほぼ同時。

 目の前に現れた少年は、とても小さな声で、こう告げたのである。



「──……『”ウエストエッジはいい街ですね……”』」

(──────ほう?)



 緊張した面持ち。居心地の悪そうな表情。

 しかし、スネークは胸の内で関心の声を漏らした。


 ”それ”は、扉の向こうを指す言葉。

 スネークは返した。通常通りの口調で、一言。



「────『”ええ、本当に”』」







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