1-4「おなまえは?」




「…………店はいつもこんな様子なのか? さっきから、人が全然来ないけど」



 いいながら、二人そろって目を向けるのは窓の外。穏やかな初夏の午後、テントの影も色濃く石畳の上に映えている。



 行き交う人もまばらな通りを窓ガラスの向こう側を横目に、エリックが次に見るのは壁掛け時計だ。


 この店と同じように年季の入った掛け時計の針は、彼がここを訪れてから、ゆうに小一時間以上経っていることを示していた。


 顔の表層に微細な心配を浮かべるエリックに対し、しかしミリアはけらけらと笑うと、



「まーねーっ。……モーテル通りにいくつも新しい工房ができたでしょ? 若い人はそっちに流れちゃうよね~。ウチみたいに、旧街道に建つ店なんか大体こんなもんだよ~」


「……大丈夫なのか?」

「それはご心配なく〜。愛され続けて50年。ビスティーは、お客様の満足にお答えします♡」



 答えながら右で作るご機嫌なサイン。

 閑散としている店など全く気にもしていない様子に、エリックが(呑気なもんだな)と、わずかに笑みを浮かべそうになった──その時。



「────と、言うわけで」

「ん?」

「──500メイル。頂戴しまーす♡」

「はっ?」



 声も高らかに。ぺろっと出した手の指を、ちょいちょい動かしながら言われて間の抜けた声を上げた。


 一瞬、彼の中でめぐるのは『お礼』の一言である。それらを瞬時に顔面の表層にのせ、エリックは戸惑いの目を向け、



「…………え。金をとるのか……!?」

「当たり前でしょ、ただでやるわけないじゃん」


「いや……待って。君、さっき「お礼」って言ってなかった?」

「それはボタン代ですねぇ~。糸代と技術代は別料金です」


「…………ちゃっかりしてるな…………」



 勝手にやっておいてこの言い分。

 『当然でしょ』があふれ出るその態度に、こうべを垂れつつ舌を巻いた。


 別に金を払いたくないわけではない。

 『してやられた感』が否めないのだ。


 (ああ、さっきから調子が狂いっぱなしだ)と苦々しく呟く彼の前、ミリアは左の方から大きめの台帳をひっぱりながら口を開け、



「言っておくけど、これでも大特価! あ、お金ないならツケておくよ? お名前は?」

「…………いや、金ぐらいあるよ」



 台帳にガラスのつけペンの先をぐっと押し当てるミリアに、静かに首を振る。


 その表情は今も『やられた』感が否めないが、仮にもサービスを受けている。


 これを踏み倒すほど金に困っちゃいないし、踏み倒すなんてエリックのプライドが許さなかった。


 ────それに。



(この女にこれ以上、つべこべ言うのも面倒だ)



 この女、ああいえばこう言うし、言葉の切り返しだけはとても素早い。下手に言い返して話が長くなるよりも、ちゃっちゃと払って早く引き揚げたかった。

 ……気分は乗らないが。



(────……払えば終わる)

 そう、自身に言い聞かせ、小さく息を吐きながら、財布から紙幣を引き抜き渡す。



 「はぁい、どうも♡」


 ぺらりと渡された紙幣を受け取った彼女はご満悦だが、エリックはいまだに悪徳商法にでも引っかかったような気分に包まれていた。



 ああ、なんとも居心地が悪い。

 街中で声を張り上げた自分もそうだし、勘違いをしたのもそうだし。


(…………くそ、こんなはずじゃなかったのに)



 愚痴をこぼしながらも、エリックがくるりと身を翻そうとした、その時。



「で、お名前は?」

「…………いや、今払っただろ?」



 声かけに思わず振り向き言い返す。

 『ツケ』ではないのなら名前の記入など必要ないはずだ。これ以上彼女に用はないし、名を名乗る義理もない。


 しかし縫製店のミリアは、先ほど開いた台帳を指でトントンと指しながら、ハチミツ色の瞳を向けて言うのである。




「お直しリストに書かなきゃなの。ほら、ここ。書いて?」


「…………ああ。はいはい。……なら、先に言ってくれないか? いきなり言われても混乱するんだけど」

「”お直しリストに記載が必要ですので、お客様のお名前をお書きください”」



 眉をひそめ愚痴りながらペンを手にするエリックに、丁寧な文言を並べるミリア。その言い方にはきちんとトゲが混ざっている。



(……『言いかた』)

「…………………………住所は」

「ツケじゃないから必要ないよ〜」



 今までの記載を目視で確認し、念のための質問を頭で受けながら。

 よそよそしい返しも溜息で流して、台帳にペンを走らせて──



「…………『エリック・マーティン』さん」

「………、なに? そんなにじっと見て」

「…………いや? 別に何も?」



 台帳をじっ……と見つめ呟く彼女に、エリックは眉間にシワを寄せて問いかけた。



(スペルでも間違えたか……?)



 とエリックが不思議そうに目を配らせるが、スペルはあっている。静かに首を振った彼女の意図が掴めず、彼がさらに眉根を寄せた──その時。

 



 ──ぎっ……、ぎいぃぃい……

『?』


 彼の背後。しばらく沈黙していた入り口の扉が、ぎぃっと軋んだ音を立て『彼女』は、よたよたと姿を現した。




「……こんにちわぁ」

「──あぁ! ロべールさん!」


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