1-4「エリック・マーティン」





 男は、自分に自信があった。


 身体能力はもちろんのこと、容姿にも絶対的な自信を持っていた。


 彼が微笑みコナをかければ、女はうっとりと彼に身を委ね酔い始める。むしろ、黙っていても寄ってくる。


 容姿端麗、文武両道。

 スタイルだって抜群にいい彼に、うっとりとしない女など今までいなかった。


 ──────しかし。



「……………ぃぁく、だ…………!」

「なにー?」

「なんでも」



 カウンター外。

 窓際に置かれたソファーの上。


 ガラスの向こう側、外の閉まった店舗を背景に、足組みしながら毒づいて、ぶっきらぼうに答えるのは黒髪の青年”エリック”だ。


 カウンターの向こう側で背の高い丸椅子に腰掛け、何食わぬ顔で針を通す服飾工房の女・ミリアの顔も見られない。


 彼女を見るたび思い出す。

 先ほどの──”盛大な勘違い”。



(…………最悪だ。赤っ恥もいいところだ。コルセットを解きながら言うセリフじゃないだろ、……は────っ……!)




 今にも飛び出そうなため息を喉の奥で潰すエリックの中・脳内に蘇るのは、彼女の微笑みと『脱いで』。


 徐々にほどけていくコルセットベルト。

 誘うような視線、物言い。

 耳から本能を刺激する甘い声。

 完全に勘違いをする態度・雰囲気──を醸し出していたくせに『ボタン取れてる』と来たもんだ。


 完全に硬直する自分の前で、ミリアは『だってコルセット苦しいじゃん。仕事の邪魔』と、さも当然の様に言い放ち、ストールでウエストをきっっっちりと締め上げ、ベストを回収していったのである。



 ああ、勘違い。

 そして、すぐには帰れない。

 ベストはまだまだ返らない。

 その居心地の悪さと言ったらない。


 完璧に誤解した自分が恥ずかしい。

 しかしあれは無理もない。

 あんなところでコルセットベルトを外すな。



(〜〜〜〜〜〜〜ーっ…………!)



 恥ずかしさと自己正当と。内部葛藤を繰り返すエリックを気に留める気配もなく、ミリアは──慣れた手つきで、ボタンに針を通している。



(──……ボタンが付いたらすぐに帰る)



 いまだ、沸々と湧き出す羞恥を表情筋で閉じ込めながら、ふうっと息も短く横目でちらり。エリックは頬杖で口元を隠したまま、ぶっきらぼうに声を投げた。



「…………まだなのか」


「ボタンは終わってる〜けど、」

「けど、ナニ」


「裏地が破れそうになってるから、ついでに補強してる~」

「……………………」



 さらっと言われて言葉に詰まる。

 確かにそこは気になっていたところだったからだ。


 彼の中、一刻も早く帰りたい気持ちと、そのまま任せてしまいたい気持ちが混じりあい、一瞬の間のあとで彼の脳が拾い上げたのは、次の言葉だった。



「…………そこ。気になってたんだ。直る?」

「もち!」

 


 問いかけに戻ってきたのは軽快な声。

 彼女はふふんと一つ笑い、緩やかに首をかしげると、

 


「……まあ~「助けてくれたお礼」に? ……ほらー、荷物まで持ってもらっちゃったしねー」



 縫い合わせる指は止めずに、軽い口調で言う。



「…………、いや、別にそれは」

「ああ、別途サービスしたらいい? うぅーん、それは困るなあ~」



 困惑の自分に戻ってきたのは軽~い言葉。言ってもいないことまで言い、自己完結するミリアの手の動きは軽やかだ。


 

「……こちらも商売なのでっ。サービスばっかりしてたら、あっという間に干上がっちゃうもん」

 


 『ふふふん』と冗談交じりの彼女に、エリックはこっそり息をつき──流れるように、さらりと辺りを見回し、呟いた。



(────まあ……こういうところに勤めているぐらいなんだから、これぐらい……、ん?)



 そこまで考えて。ふと。思い浮かんだ疑問は、エリックの意識をすり抜けて、素直に滑り出していた。


 

「…………君は、”縫製師”?」

「ううん、わたしはスタイリスト。着付け師ともいうよね」



 何気ない質問に、テンポよく返ってくる返事。ミリアはベストの裏地に針を刺しながら、言葉をつづける。

 


「ドレスって、一人で着れるわけじゃないからね。家で着せてくれる人がいないお客様もいるわけ。あとは、提案もするよ。この店は『お客様に似合う服』を提案して、作るところなの」

 


 言いながら、腕は止めない。ちらりとこちらに一瞥いちべつだけを向け、すぐさま彼女は手元に目線を戻して息を吸うと、



この街ここって、ファッションの聖地じゃん? バリエーションもあるでしょ? 流行りはあるけど、それでも種類が多いから『似合う洋服がわからない』『どんな色を合わせたらいいのかわからない』『どれを着たらいいかわからない』って人も多くて」



 語るミリアは饒舌だ。顔を上げてにこやかに述べる。



「そんな人たちに好みを聞いて、似合う色や形を提案して、”爪の先から頭の先まで、さいっこうに似合うスタイルを提案する”それが、わたしの仕事。…………さすがにヘアメイクはできないけどっ。あと、メイクもっ」

 

「……てっきり針子かと思ったけど」

「ああ、買い物のこと? 買い物や買い付けにも行ったりするの。さっきは、足りない布とか買ってきた。ここの棚、布や糸で綺麗でしょ? インテリア兼在庫ストック棚にしてるの。後ろで布使っちゃって歯抜けになるとみっともないのよ~」



 困ったように言いながら、ミリアは肩をすくめながら糸を引く。

 滑らかな手元で『スッ』と小さく、糸が通る音がする。



「──で、まあ。お直しとか、小物づくりもやってるわけで。わたし、受付窓口だから。これぐらいはできるようになるよね~職人さんたちは忙しいから」

 


 彼女は手元の糸をすぅ──っと引き上げ、小さなハサミに手を伸ばした。

 その手元、”プツっ”と切れる糸の様子、”ことり”と置かれる小さなハサミ。


 仕上がりを察して立ち上がるエリックを前に、彼女は軽くボタンを指で引っ張ると、続けて布地を返して、もう一度。


 縫い目を撫でて仕上がりを確認し────こくりと頷き、ベストを差し出し、顔を上げた。



「────はい、完成。ボタン、割れてたから新しいの着けといた」


「…………割れてた?」

「うん、もうね~、限界ギリギリって感じでついてたから、交換しちゃった」


「…………悪いな、ありがとう」

「いえいえ、お安い御用ですとも」



 答えてミリアは首を振る。彼女にとっては本当に簡単な事なのだろう。


 カチャカチャと音を立てながら道具をしまう彼女を横目に、エリックはベストの内側に目をやった。破れかけていた箇所は、色を合わせた糸できちんと縫い付けてある。



「…………縫い目、綺麗だな」



 その仕事に、自然と漏れる感嘆の言葉。

 返ってきたのは、陽気な笑い声だった。



「そりゃーねっ、うちの職人には負けるけどっ」

「薄くなっていたのには気づいたんだけど……なかなか、手が回らなくて。……こんなに綺麗に直るとは 思わなかったよ」


「裏だし、薄くなってるところを中に織り込んで縫っただけだよ。本当なら 一本一本、糸を絡めて紡いで差し上げたいところではあるんだけど……時間かかるんだ、あれ」

「……いや、十分だ」


 カウンター越し、肩をすくめる彼女に小さく首を振る。

 『そっか』と小さく笑うミリアの前、エリックは何気なく辺りを伺い、問いかけていた。




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