1-3「そうよわたしは 着付け師の女」



 例えば『少しの問答』でも、その生活や人となりが掴めることがる。


 総合服飾工房オール・ドレッサービスティーの中。ミリアは先ほど出会った癖毛の青年『エリック』に背を向けて、心の中でポッソリと呟いた。




(……お金持ってなさそうだもんなーあれはきっと労働ニュート階級だな~……)



 目の前にそそり立つ『糸の壁』に向かって息をこぼす彼女。『金にならない』と判断をつけた瞬間、商売人はとてもシビアだ。



 しかし、それを本人に言うわけじゃない。

 流石に言えない。

 親から『口から生まれた』と言われ続けたミリアだったが、そこまで馬鹿じゃなかった。


 出会ってすぐの人物に対して『金持ってなさそうだね!』などと、相手が相手なら殺されてもおかしくない。


 しかしながら、ミリアがそう思うのには理由がある。



 彼女は、着付け師だ。

 客の体格や雰囲気、好みなどを聞き出し、総合的に提案するファッションプランナー。毎日毎日、布状態のものからアクセサリー小物まで取り扱っている、いわば『服飾のプロ』である。


 毎日見ているのだから、行き交う人々の服や道具などから、大体の身分位の見当ぐらいつけられる。むしろ、付けられなければ話にならない。


 まあ、一口に身分と言っても様々ではあるのだが、金から浮き彫りになるその「格差」は、身だしなみにこそ如実に出る世の中だ。


 そんなご時世・着付け師のミリアから見て、彼は、間違っても金を持っているような恰好はしていなかった。

 


 シンプルな襟シャツに、ありふれたベスト。

 履いている黒のパンツも、その辺りで買える。


 いわば『浮かないスタイル』。『高貴な人々』が身につけるものは一切ない。


 腰に巻き付けた革のベルトと、そこにぶら下がる短剣を納めた鞘は…………まあそれなりのつくりだが、これはどれも同じようなものである。


 どこにも『金持ち』──ロイヤル階級クラスやアッパー階級クラスの要素は見つからなかった。


 ────しかし、靴だけ。

 靴だけが引っかかった。

 どう見ても本革。手入れもされている。おそらく仕立ては一級品だろう。


 外目から見ても仕立ての違いが明らかにわかる上、何よりその紐穴に『アイレット』という補強金属とフックまでついている。この、アイレットとフックが『また』。高級品の証なのだ。


 ミリアの目測、それは『普通に買っても十数万メイルはくだらない』。なので密かに『金持ちの息子か何かかな』と思いもした、のだが。



(──金持ちの息子が『こういうところに来たことない』ってことはないわなあ……)



 首を捻って却下する。目の前にそびえたつ、巻き糸の壁に新しい糸を加えながら、唇を平たく潰してそう思う。



(この国で? 貴族の息子が? 工房に来たことない? ないないない、そんなのありえない)



 心の中で、好き放題首を振る。

 それもそのはず。彼らが暮らす『シルクメイル地方・ノースブルク諸侯同盟国』はファッションの国だ。


 中でも『ここ』。オリオン盟主が治める『ウエストエッジ』は、聖地の隣にあり『女神のクローゼット』と呼ばれている。


 稀代のモデル『ココ・ジュリア』。

 国交と文明の発達の中誕生した、ファッションの広告塔と共に成長を果たした街だ。


 モデル・ジュリアの功績はとても華々しく、戦後落ち込みがちであった服飾業界に花を添え、流行をもたらし、国中にドレスや服の花を咲かせた。


 要するに、『選りすぐりのファッションのメッカ』なのである。よほどの貧乏人でない限り、民は皆 それなりの装いをして歩いているのが普通だ。



 近年の流行りは、男性服は『紳士かつ動きやすく』、女性服に至っては『エレガントかつ可愛らしく』。


 女性はふんわりとしたワンピースドレスやスカートを身にまとい、男は襟シャツにパンツという──まさにエリックが身に着ている恰好をしている男性が多い。

 


 それでも質は様々で、安物はそれなりだし、高いものは見ればわかる。


 特に金持ちは装飾や刺しゅう・裏地などにこだわり、上質なものを身に着け、金をかけるのだ。


 ──そのため、見る人間が見れば、一発でわかるのである。


 『こいつ金持ってるな』と。


 そんなファッションの聖地なのだから、縫製工房やスタイルショップと民は、わりと密接な関係にあるのだが──……



(……確かに〜うちみたいな総合服飾工房オール・ドレッサーは来たこと無いだろうけど。……「紳士服工房テーラーはあるだろ紳士服工房テーラーは」って思うんだけどな~)



 パンパンの布棚を整理しながら、ミリアの疑問は止まらない。


 彼の様子からして、こういう工房に入ったことがないのはおそらく本当だろう。でなければあんな風に、圧倒されたような顔つきはできない。


 だからこそ不思議だった。

 それなりの家庭なら、成人した時に服を仕立てるはずなのに。

 そしてその辺の小金持ちなら、男性も女性も、店に来ては普段着をセミオーダーで仕立てていくのに。


 彼は言った。

 『工房に入ったことがない』──と。

 そんなことは──ミリアの認識の中では『考えられない』。『ちょっとありえない』。


 紳士服のテーラーと、ドレスショップでは多少の違いはあれど、どこも似たようなものなのに。



(………普通、小さなころに連れてこられるとか、親の用事でタイやリボンを取りに行くとかあったりするじゃん? ボタンの付け替えを頼みに来るとか、リサイズだとか、来る機会ならいろいろあると思うんだけどなあ……?)

「…………うーん……」



 “普通に暮らしていて”、“このような店を利用することがない”というと────?



(……アッパークラスの貴族か、ロイヤルクラスの王族か……それともどうしようもない貧乏人か。……そのどっちかしかない、と思うんだけど)



 呟きながら、彼の様子をちらり。

 気づかれないように伺った顔は、今は棚に飾られたコサージュに向けられていて、こちらの視線には気づいていない。



(────貴族アッパー……? 王族ロイヤルぅ……? ……ってことはないでしょ。天下のお上様がこぉんなところ歩いてるわけがないし、ああいう人にはお付きがいるし)



 横顔を盗み見て、さっと視線を棚に戻し、抱えた布で綺麗なグラデーションを作っていく。 



(……仮にアパロヤだったとして……、いやいや、こんな失礼なアッパーロイヤルいる? ソッコー付き合いに亀裂入りそうじゃない? うーん、まあ、居ないってこともないかあ)



 頭の中。よぎる『今まで対応した貴族をはじめとするアッパークラスの皆様』。



(……いや~でもなあ。アッパーって感じがしないんだよな〜、あの人。アッパー特有の『ボンボン感』が感じられないんだもの。)



 振り向き様、ちらりと盗み見る彼の顔。

 トルソーのワンピースを眺める青年の表情は、今はとても綺麗なのだが……それより先ほどのイライラ顔の方が印象に深かった。



(そもそも、アパロヤ様は商店街で喧嘩の制裁なんかしないよね? 『喧嘩を止める』って発想がなさそうだよね? 仮にお付きの方がいなくても、見て見ぬふりをするとか『野蛮なクズめ』『嫌だわぁ……』って立ち去るじゃん。……か〜と言って、貧乏人にも見えないんだよね〜服はともかく、靴はどう見てもイイヤツだし)



 ぶつぶつ。ぽそぽそ。手を動かしつつ回る頭。



(ん~…………じゃあ、あれか? 『頑張って働いて、靴だけ良いやつ買いました』系かな?)



 ピンと閃いてほおが緩む。ミリアの気分が上がっていく。



(あー! それなら納得〜! カッコつけっぽいしー! まだ全然若そうだもんね、22歳ぐらい? あるある、そういう時期あるあるぅ。 きっとお給料貯めて買った系だ、あのブ〜ツ〜!)



 愉快に勝手に想像し、勝手に自己完結。

 他人様に迷惑をかけない範囲でのそれは、ミリアの得意技だった。



(……あとはそうだなあ〜。もしかしたら、どこかのお家に仕える使用人なのかもしれないな? 容姿はいいみたいだし、お屋敷のあるじさんが気に入りそうな感じだもんね。あ、あれだ わーかった!『あまりにみすぼらしい格好はさせられない』って、家主さんが服を支給してくれてるーとか! あぁー! それありかもー!

 きっとそれー! わたしあったま)

「…………なあ」

「────はいっ!」




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