1-3 総合服飾工房 Vsty
広がるのは、色鮮やかな糸と布の壁。ごたごたと置かれた道具の数々。
「…………」
総合服飾工房・ビスティーの中。見慣れぬ光景に目を泳がせるエリックを置き去りに、ミリアはスタスタとカウンターを回りこみ、何食わぬ顔で言う。
「…………お兄さん、ここにおいていただけると有り難いです〜」
間延びした、やんわりとした口調で言われ、エリックは我に返った。
彼女がぽんぽんと叩くのは、カウンター横に併設された、広めの台だ。さも当然のように、『ここ』と言わんばかりに待っている。
言われて『ああ、』と短く答えながら、そこに着くまで2、3歩。エリックは、素早く瞳を走らせた。
────店の構造を 把握するために。
見える範囲で扉は四つ。
入り口がひとつ、左手に扉が二つ、右の奥にも扉が一つ。
店内は決して広くない。
奥に靴や帽子の並んだショーケース。
カウンターは高め。大人の胸ぐらいの高さ。
飛び越えようと思えば飛び越えられる。
カウンターの右奥の扉にある扉は奥につながっているようだが──
(────左の二つの扉は?)
店内を縦に仕切る壁に、2つ。カウンター内と客側で、こしらえの違う扉が、こちらを向いて静かに佇んでいる。
(……店のつくりから、あれが勝手口ってことはないと思うけど)
などと呟きながら、彼女に言われるがまま、カウンター右奥の「大きな台」に荷物を置いた。
彼が荷物を置いた台には、大きく刻まれた十字の線。見慣れぬ台に、エリックは思わず口を開いていた。
「…………これは?」
「これ? ああ、カット台。布を切ったりするのに使う台だよ」
「…………へぇ……」
問いかけに返ってきたごく普通のトーンに、小さく答える。
大きなカット台は、布を広げても十分な広さの中心に、まずはおおきく十字にひとつ。そして升目状に細かく、薄くラインが掘られている。
そんな、年季の入った台とカウンターの境目は、少々ごたついていた。
隅に積まれた鉄製の重りのようなもの・作業動線を無視してカウンターにドンと置かれた『布をかぶった何か』。背景にはドレスや衣装が並んでる。
初めて入った『未知の空間』に、おのずと、エリックの口から言葉は漏れ出していた。
「…………ここ、君の店なのか?」
「まさか! わたしはここの従業員。オーナーは……奥にいるんじゃないかな?」
問いかけに、ミリアは簡単に肩をすくめて答えると、カウンターの最奥。右奥のドアの前あたりに腹を乗せて、身を乗り出し手を伸ばす。
指先がドアノブを弾いて、ふんわりと開く扉の隙間に『オーーナーー? 帰ったよー!』と、大きな声を流し込んだ。
『はぁーい』
彼女の声かけをうけて、扉の向こうから戻ってきたのは穏やかな女性の遠い声。印象からして、おそらく初老の女性だろう。
オーナーの声を聞いて『よし』と小さく頷き、指先でドアを閉める彼女の前、エリックはもう一度。様子を伺うように、問いかける。
「………………他に従業員は?」
「バックヤードに何人か。針子さんがいるよ。みんな職人さんでしゃべるの苦手だから、窓口はわたし」
言いながら、ミリアは深い茶色の髪を後ろでひとつに縛り上げ、台に置かれた荷物を広げてひょいひょいと拾いはじめた。
彼女の手の先。
慣れた手つきで回収された糸が、カウンター背後にそびえ立つ『糸が並ぶ棚』に並べられ、背景と化す。折り畳まれた布は一度広げられ、くるくると巻かれ、あっという間に 立ち並ぶ
そんな様子をカウンター上から見下ろすのは、仕立てなおしのメニューと料金が刻まれた『お品書き』だ。素材の木目もきれいに、堂々と店を飾っている。
「………………」
「────ねえ、どうしたの? さっきから口数少ないね?」
「…………あ。…………そうだな」
手元をカラにした彼女に、振り向き様に聞かれ、エリックは少し視線を惑わせ── 一瞬・考え・そして・答える。
「……こういう店には、来たことがなくて。ちょっと圧倒された……かな」
「ふーん?」
『圧倒された自分をごまかすように』、うなじを掻くエリックに対し、ミリアは軽く相槌をひとつ。どことなく居心地の悪そうな彼に、ミリアはカウンターに前のめりで頬杖をつくと、
「……来たことないんだ?」
「…………ああ、まあね」
「…………ふ────ん……」
追い討ちで投げた質問への反応に、ゆっくりと頷きながら相槌を打った。
口元はあくまでも『にこやかな笑顔』。
漂わせる雰囲気は『そうなんだ〜』。
しかし、頷く動きに合わせてゆっくりと。
ミリアは、彼の頭の先からつま先までを流し見て────…………
一秒。
あるところだけを静止・凝視すると、サッと目を逸らし、スッと背筋を伸ばして指を組み、グーっと思いっきり伸びあがりながら『言う』。
「──ま、男の人にはあんまり馴染みがないかもね〜。男性モノの紳士服やコートなんかはテーラーでの取り扱いになるし、そもそも男性向けの
言いながら、肩をすくめて店内を一望。彼女は軽めの空気のまま、言葉をつづけた。
「……うち一応、男性モノも揃えてて、タイピンやネクタイ、お兄さんが着てるようなベストや襟シャツの扱いもあるんだけど……、さっぱり出ないしね〜」
言いながら、「んんーっ」と、気持ちよさそうにうなり首をぐるっと回した彼女は、カウンター下の引き出しから商品を抜き出すと、すっと彼の元へと滑らせ頬杖をつき、にこりと微笑むのだ。
「ねね、おにいさん♡ うちのタイピン、いかがですか? お安くしておきますよ〜?」
「……結構だ。間に合ってるよ」
「……それは残念っ」
静かな返答に、わざとらしく肩をすくめるミリア。
もちろん、これっぽっちも『残念』とは思っていない。『軽いジャブ』というやつである。
彼の返答に『だよね〜』という雰囲気そのまま、冗談っぽく微笑んで、タイピンをしまい込こみ、くるんと、流れるように作業台に置かれた巻き糸をいくつか抱えると、エリックに背を向けて────
(……お金持ってなさそうだもんなー……あれはきっと
ぼっそりと、勝手に。貧乏認定したのであった。
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