Ⅱ 強制労働のお時間でございます、お嬢様③

 公爵令嬢らしからぬ物言いにクォードの口からほうけたような声が上がる。その声を合図にしたかのようにならず者の男はグッと足に力を込めた。

 だがカレンがばした指先をパチンッと鳴らす方が早い。男がカレンへ飛びかかるよりも早くカレンの指先からは小さくらいが飛び、仕込まれていたじんから勢いよくはくえんき上がる。

「っ!?」

「なんだこ……っ、ゲホッ! ゲホゴホッ!!」

 男の目の前に白煙のかべを作り出した魔法円は勢いをとどめることなく部屋中にけむりじゆうまんさせた。その行く末を見届けるよりも早く、カレンは背にした窓に向かって背中からたおれ込むようにして外へ飛び出す。そのままクッションをかかえ込むように背中を丸めて縦に半回転するとスタンッとブーツの底がいしだたみを捉えた。バサリとドレスの後ろすそひるがえる音を聞きながらひざを伸ばせば、自分が飛び降りてきた窓が頭上に見える。

 ──勢いはいいけど成分はただの水蒸気だから、部屋にも人体にもあくえいきようはないはず。

 宿の二階から表通りに飛び降りたカレンは、何事もなかったかのように己が飛び出してきた窓を見上げた。モクモクと煙がたなびく様を見た通行人達が『何だ?』『火事か?』とザワついているが、幸いなことに飛び出してきたカレンに注目している人間はいない。

 ──……いや。

 だがカレンはそんな景色の中から自分に向けられている視線に気付いた。見回しても自分に注視している人間は見当たらないのに、確かに今カレンは誰かに見られている。それも、カレンの感覚が確かならば複数人に、だ。

 ──最初から囲まれてたのか。

 どのみち部屋に仕込んであったはつえんの魔法円は短時間で効果が切れる。このままここにたたずんでいればクォード達からついげきを受けることになるだろう。ひとまずここからげて戦いやすい場所でむかつ方がカレンにとっては都合がいい。わざわざ向こうから姿を現してくれたのだ。これを機会にいちもうじんにさせてもらおう。

 カレンはばやく周囲に視線を走らせると、すぐ目の前にあった細路地にけ込んだ。背後に耳をましてみると、複数の足音がカレンを追ってくる。

 ──四人? いや、五人、かな?

 だんきゆうに引きこもっているカレンだが、魔力特性と実家の仕込みのおかげで体力には自信がある。ヒールのあるブーツをいていても、おにごっこならば絶対に負けない。

 カレンは追っ手を引き離しすぎないように気をつけながらハイディーンの裏道を駆けける。ハイディーン自体は小さな町だが、けいしやのある土地と建物が身を寄せ合う造りは複雑な裏道を作り出していた。ある程度の地図は頭の中に入っているが、あまり適当に走りすぎると迷子になりそうだ。

 しかしそこに思い至るには、少しタイミングがおそかったのかもしれない。

 ──!

 しばらく裏道をじゆうおうじんに駆けたカレンは、不意に開けた視界に足を止めた。ザッとブーツのかかとを鳴らしながら足を止めれば、都よりも澄んだ空の青さがカレンの目を射る。

 カレンが迷い込んだのは、建物の背面に囲まれた広場だった。飛び込んできた通路の反対側に小さな階段があって、どうやらそこからほかの道へ抜けることができるらしい。

 その広場に、まるでカレンを待ち受けていたかのようにガラの悪い男達がたむろしていた。ニヤニヤと厭なみをかべた男達の姿に踵を返そうとすれば、カレンが飛び込んできた通路からもここまでカレンを追い回してきた男達がなだれ込んでくる。

 ──もしかして、初手からゆうどうされてた?

 ゆうで逃げ回っていたことがどうやらあだになったらしい。この町に来てからずっと引きこもっていたカレンのじようについてせつとう団が知る余地はないだろうから、これもクォードの仕込みなのだろう。

 ──つくづく有能なことで。

「お嬢ちゃんが、この町にたいざいしてるっていうアルマリエ皇宮魔法使いか?」

 カレンが内心だけで悪態をついたしゆんかん、たむろっていた男達の中から一人が前へ進み出てきた。その男に視線を合わせたカレンは、スッと姿勢を正す。

くりいろかみのツインテール、ペリドットのひとみ、前裾が短めの独特なドレス、うでには常にクッションを抱えてる。……まぁ、の話通りだな」

 いかにもあらごとに慣れていそうなくつきような男達が並んでいる中、進み出てきた男は集団の中で一番線が細くてがらだった。均整が取れた筋肉はついているし身のこなしに油断はないが、今この場にめた男達がなぐり合ったら真っ先に体格差で負けそうなぜいがある。

 それでもカレンはスッと目をすがめるとさりげなく足の置き方を変えた。

 ──この男が、頭目だ。

 知性のあるけもの。カレンが受けた第一印象はそれだった。

 口元に翻った笑みは、親しげでありながらざんぎやくさがかいえる。よく観察してみればスキンヘッドの側頭部にはひかえめにだがへびの入れずみが入っていた。表情と身にまとふんを装えば難なく人混みにまぎれ込めそうな見た目をしていながら、この男はこの空間の中で一番表の世界から遠い場所を住みにしている。

【わざわざおむかえありがとう】

 カレンはあえて自分から言葉を投げた。これもクォードからの情報なのか、男はカレンが声を発さず腕に抱えたクッションに文字を映してコミュニケーションをはかってきても特におどろくことなく楽しそうにカレンに視線を注いでいる。

【でも私達、出迎えをする、されるような関係だった?】

「いんや、そんな関係じゃあねぇさ」

 頭目はかたをすくめるとニヤリと笑みを深くした。ゾッと背筋にかんが走るような厭らしい笑みだ。

「あんたと俺達は、商品と、それを売る商売人の関係なんだから」

【そんな関係になった覚えもないんだけど】

「今からなるんだよ」

 頭目がパチンッと指を鳴らすと前後をはさんだ男達がザッと動いた。頭目をふくめて九人になったならず者集団がカレンを取り巻くように散開する。

【この町で魔法道具の不調を起こしていたのも、この町をきよてんにして魔法使いをさらっていたのも、あなた達?】

「お。そこまで知ってたのか」

 全員の動きを視覚と気配でとらえながらも、カレンは頭目から視線をらさなかった。そんなカレンの態度を見たからなのか、あるいはカレンの発言を受けたからなのか、頭目は少し意外そうに片眉をね上げる。

 だがそんな驚きの表情は次の瞬間には獣の笑みにかき消された。

「だったら話がはえぇな。事情を説明しなくて済む」

【目的や動機はかいせき不能だから、できればあなたが語ってくれるとうれしいんだけど】

「ハンッ! 語った所で意味なんざねぇだろ」

 頭目はスッとかたうでを伸ばすとカレンを真っぐに指さした。同時に、頭目の顔から表情が消える。

「商品がそれを知った所で何になる?」

 その言葉が合図だったのだろう。ナイフやくさりりかざした男達がいつせいにカレンに飛びかかる。

 だがカレンがどうようすることはなかった。全員の動きを捉えたまま、カレンは腕に抱えたクッションに魔力をめぐらせる。カレンから一定量以上の魔力流入を検知したクッションがパチッと小さく放電しながら本来の姿に立ちもどろうと形をくずす。

 その瞬間、合図からおくれて頭目の差し伸べていた腕がヒュッと振り下ろされた。

 ──っ!?

 一瞬、視界に光が走ったような気がした。同時にカレンの腕の中で形を変えようとしていたクッションからフッと反応が消える。

 カレンの意思に反してちゆうで反応を止めたクッションは、放電も文字もあわむらさきいろりんこうもかき消したままモチモチとカレンの腕の中でちんもくする。

 ──えっ、何でっ!?

 カレンは反射的に体を縮めながら横へぶように転がった。数瞬前まで自分の体があった場所を男達の得物が切りいていく様を見ながら、全身のバネを使ってさらに後ろへねて下がる。

 ──どういうこと!? りよくの流れがいつさい感じられない!

 かい行動を取りながら世界に流れる魔力へ手をばそうとしてみても、普段当たり前のように感じられる流れがどこにも見つけられなかった。それどころか自分といううつわの中にまった魔力を外へ放出することもできない。まるでなめらかでどこにもつめを立てられないかべはばまれて、世界と自分のつながりをち切られてしまったかのようだ。

 ──何でっ!? 今までこんなこと、一度も……!!

「魔法なんて使わせるわけねぇだろ?」

 予想していなかった事態にカレンがしようそうつのらせる中、不意に頭目のしのび笑うような声が聞こえてきた。反射的に頭目の方へ視線が向きかけたが、カレンにおそかる男達はカレンにそんなひまを許しはしない。

 カレンが魔法を使えなくなると男達には分かっていたのか、カレンについげきをかける男達の動きは止まらない。『商品』とめいつならば大きなケガを負わせることはけなければならないはずなのに、男達は一切ようしやすることなく、カレンを殺す勢いでものどんもカレンに向けて振り下ろす。

「ヒューゥ! 案外やるねぇ、おじようちゃん!」

 ──どうなってるのよっ!?

 カレンは動揺をおさえ込みながらひたすら体の動きだけで男達のこうげきけ続ける。幸いなことに男達は荒事には慣れていてものように腕が立つわけではなかった。ヒラリ、ヒラリとかわしながら時々足を引っ掛けて転がしてやれば、多少なりとも時間はかせげる。

 ──それでも、魔法が使えないじようきようでは私に不利なことは変わらない。

 いなし続けることはできても、このままではカレン側から決定打を打つことができない。ここで取りがしたら再確保は難しいだろう。任務は失敗に終わり、あの押しかけエセしつも取り逃がすことになる。

 ──何か手立ては……!

 カレンは攻撃をかわしながら周囲に視線を走らせる。

 ──多分ここに展開されてるのは、魔術だ。

 魔法が使えなくなる直前、頭目が腕を振り下ろしたのと同時に走った光が見えた。あれが魔法であったならば、高位魔法使いであるカレンにはそのくつが理解できたはずだ。理解ができれば強大な魔力総量に物を言わせて展開される魔法をちからわざこわすことができる。

 だが今のカレンは、どれだけ意識をましてみてもこの場で展開されている不可思議な現象の理屈を理解することができなかった。『何かが展開されている』ということは分かっても、そこにれられるすべがない。まるで耳にしたことも目にしたこともない未知の言語を目の前にしているかのようだ。

 ──でも、展開主があの頭目であるということだけは、確かなはず!

 魔法は『魔法円』と呼ばれる図形で表され、魔術は『理論式』と呼ばれる数式に近い物で表されるというちがいがある。だが永続的に続くような機構が盛り込まれていない限り、使えき者が術の行使を止めた瞬間に効力が切れるという部分は同じだ。カレンにそう教えてくれたのは、極東出身で魔術へのぞうけいも深いセダだった。

 ──『腕を振り下ろす』なんていう簡単な合図で発動できるようにしてあった。永続性のある物はその分けも複雑だから、あんなに簡単に起動はしない。だからこれはあるじを失えば止まる類の物であるはず!

 カレンは飛びかかってきた男の顔面にクッションをたたきつけると大きく後ろに下がってきよを取った。ブーツのヒールを高らかに鳴らしながら着地し、ドレスの後ろごしかくしてあったたんけんく。

 今のカレンに振るえる武器は、この短剣一りだけだ。魔力をふうじられてしまっているカレンは、いつものようにドレスに刻まれた転送魔法円から新たな武器をしようかんすることもできない。得物持ちのゴロツキ九人を相手にするにはいかにも分が悪すぎる。

 だけど。

 ──私は、ミッドシェルジェ公のむすめにして、アルマリエじよこうめい

 どんな困難だって、今までたった独りで乗りえてきた。ここで尻尾しつぽを巻いて逃げるなんて、おのれきようが許さない。

 ──独りでだいじようだって、証明してみせる。

 独りなら、裏切られない。独りなら、だれも傷つけない。

 独りでいる方が、この先だってずっとあんたいなのだと、誰にでも分かるように成果を示してみせる。

 ──取り巻きをとつして、頭目を落とす。

 短剣を構えたカレンは細く深く息をく。カレンがまとふんを変えたことに気付いたのか、ならず者達の間にもかすかなきんちようが走った。取り巻き達が、初手から立ち位置を変えていない頭目をかばうようにジリジリとじんけいを変える中、さいおうたたずむ頭目のみだけが消えない。

 ジリッと重心が動き、前へ飛び出すべくひざがわずかにしずむ。

 だが結局、カレンが溜めた力をばくはつさせることはなかった。

「ごげんうるわしゅう、引きこもりのクソお嬢様。ついに捨て身かくですか?」

 それよりも早く、頭上から場にそぐわないいんぎん無礼な声が降ってきたから。

「おやめになった方がよろしいのでは? 魔法使いサマが慣れないことをするものではありません」

「だっ……誰だっ!?」

 カレンと相対していた男達がバッと頭上を振りあおぐ。カレンが振り返って顔をね上げるのはそれよりも一瞬早い。

 視線の先にあったのは、黒いかげだった。

 カレンから見て後ろ、男達から見て正面にある教会のしようろうかねとなりに立ったその影は、ごくゆうな仕草でりよううでを上げると両手ににぎっていた見慣れないじゆうの引き金を躊躇ためらいもなく引いた。

 火薬がはぜる音が連続してひびき、しようえんにおいが空気を染める。

「『共鳴せよイコラ 我は汝に多重アイラ・サイネの解を望む・アムフアイ』」

 深い声が、聞き慣れない言葉をつむぐ。

 そのしゆんかん、広場のへり辿たどるように光が走り、カレンと世界をへだてていた壁がパリンッとはじけて消えた。

 ──え?

「なっ!?」

「さぁ、お嬢様、うたげの始まりでございます」

 誰もがぼうぜんと立ちくす中、広場に展開されていた魔術をいともたやすく打ち破ってみせた影は、躊躇いなく足場をると宙に身をおどらせた。軽く建物三階分はある高さから飛び降りてきた男は、ダンッと重い音を立てながらカレンの背後に降り立つ。

「準備はよろしゅうございますか?」

 影のように黒いえんふく。両手には硝煙が上がるリボルバー。さらにこんな魔王のような真っ黒な笑みをかべる男がそうそういるはずがない。

 だがカレンには、現実を理解することができなかった。

 ──クォー、ド?

 だってカレンの下につかわされた押しかけ執事は、ついさきほどカレンの身を犯人一味に売り飛ばしたはずなのだ。ここで頭目が展開する魔術を打ち破る意味が……カレンを助けるような行動に出る理由が、今のクォードにはないはずなのに。

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押しかけ執事と無言姫 忠誠の始まりは裏切りから 安崎依代/角川ビーンズ文庫 @beans

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