第43話 ダンジョンクライシス

 ダンジョンクライシス――別名、迷宮めいきゅう事変じへん


 それは言わば、ダンジョンの再構築とも呼ばれる現象。

 ダンジョン内に出現するモンスター、配置されたトラップ、果ては環境的な基本性質に至るまでが全てリセットされ、新たに生まれ変わる。


 生まれ変わる……別の存在になるということ。


 すなわち――。


「……》ってことさ」

「マジかよ……」


 衝撃の事実を告げた空閑くがに、豪山ごうやまが呆然と呟く。


 《未攻略ダンジョン》で《強制退場リタイア》した場合、その人間はダンジョンへの挑戦権を永久に喪失する。

 それは社会的な死と同義であり、通常の人生からも《強制退場リタイア》すると言ってもいい。


「ねぇ、どうする……? このままじゃ……」

「どうするもこうするも……。ここがもう《未攻略》ってんなら、なんとか《攻略成功クリア》するしかねぇだろ?」

「私たちだけで……?」

「…………」


 全く情報のないダンジョン。加えて、一度でも失敗したら終わりというリスクの高さ。

 妃菜ひなも豪山も無言になる。


 すると空閑が言った。


「いや、ここは一度引き返すべきだろう。上に戻れば他の生徒みんなとも合流できるし、攻略するにも頭数は多い方がいい。闇雲に突き進むよりは、作戦を練ってからの方がいい」


 今はテストの真っ最中。

 となれば、同じように巻き込まれた生徒たちが他の階層にいるはず。


「それに外には先生たちもいる。きっとこの状況を外部に連絡しているはずだ。だとすればこういう重大事案の場合、政府による特殊攻略部隊が派遣される決まりだったはず。それを待つという手もある」

「……なるほどな」

「たしかに、その方がよさそうね」


 空閑の説明に、豪山と妃菜も納得する。

 もちろん時杉ときすぎも頷く。


「よし、決まりだな。そうとなったら早速移動すっぞ」


 そう言うと、豪山はおもむろに空閑へと近づき肩を担いだ。

 次いで時杉も反対側へと回る。


「え、なにを……!」


 予期せぬ行動に空閑が驚く。


「あ? なにをって、オメェはまだ麻痺して動けねぇままだろうが」

「いや、そうじゃなくて……! 僕は君たちを妨害しようとしていたのに……」


 ――そんな自分をどうして助けようとするのか?


 理解が及ばず、空閑が慌てたように視線を巡らせる。


「つってもなあ」

「そうね。こんなとこに放っておけないでしょ」

「でも……」


 当たり前とでも言いたげに顔を見合わせる豪山と妃菜。

 けれどなおも納得のいかない空閑は、戸惑いと不安の混じった視線で時杉を見つめた。


 これまでの空閑の妨害において、最も被害を受けたのが時杉だ。

 時杉ならば反対するのではないかと考えたのだ。


 しかし――。


「……お前には一回助けられたしな。あのときどんな考えがあったにせよ、その事実は変わらないし」

「時杉君……」


 あのとき――というのは豪山との勝負のこと。


 もっとも、これは時杉にとって照れ隠しのようなもの。

 どのみち妃菜の言う通り、この状況で動けない人間を放置などしない。


「ま、オレの場合は勝者の余裕ってやつだけどな。たしかオメェの理論だと、つえぇ奴はよえぇ奴を好きにしていいんだろ?」

「豪山君……」


 豪山がガハハと笑い声を上げる。

 無事に勝利したことで、空閑への恨みはすっかり消えたらしい。


「そうね。まあまだ何か言いたいことがあるなら、それは無事外に出られた後にしましょ」

「妃菜ちゃん……」


 最後に妃菜がそう告げると、空閑はフッと力の抜けた笑みを漏らした。


「……まったく、君たちには負けたよ」


 それはまさしく、彼らの争いが終わった瞬間だった。

 誰も口には出さなかったが、お互いの間にこれまでずっと存在していた険悪な空気が溶けて消えていくのを全員が感じた。


「よっしゃ、そんじゃ気を取り直してとっとと行くぞ」


 豪山の号令を受け、一行いっこうは移動を開始した。

 ダンジョンクライシスの影響により巨大な大部屋へと再構成されたフロアを、上層へとつながる階段を探しながらひた歩く。


 階段があるとすれば壁の中。

 四人はまず壁際まで移動し、そのまま壁伝いを瓦礫がれきが散乱する道に悪戦苦闘しながら進んだ。


「そういえば、空閑くんのチームメンバーの子たちは大丈夫なの?」

「彼女たちならたぶん大丈夫だと思う。念のため第8階層上のフロアで待機してもらって、後で迎えに行く予定だったから」

「そう、ならよかった」


 道中、気になって尋ねた妃菜がホッとする。


「それにしても、どうして急に《ダンジョンクライシス》なんて……」

「わからない。もともと予兆なんてないとされているからね。でも、たしかに極めて稀にしか起きないとされているのに、まさかこのタイミングとはね」

「私たち、相当運が悪かった……ってこと?」

「どうだろう? 今のところ天変地異扱いで、解明されていないことばかりの現象だから」


 妃菜の問いに、空閑が困ったように眉をひそめる。


(運が悪い……か。いったい誰のせいなんだか……)


 二人の会話を聞きながら、時杉は脳内でやれやれと呆れた。

 おかげでテストどころではなくなってしまった。このまま行けば学年トップの成績は確実だったことを考えると残念極まりない。

 もっとも、今はそれどころではないが。


 そうしてどれくらい経ったか。

 しばらく歩き続けたところでついに……。


「お、あったぞ!」


 豪山が前方を指さしながら声を上げた。

 少し離れたところに壁をくり抜いてできた階段が見えた。


「はぁ、よかった。見つからなかったらどうしようかと思った……」


 妃菜がホッとしたように溜め息を吐く。

 全員にとりあえずの安堵の空気が生まれる。


「とりあえず、上層に上がったら他の奴らと合流だな。でもってなんとか外にいるミホノちゃんと連絡を取らねぇと――」




 ――と、豪山がなんとはなしに言ったそのときだった。




「「「GYAAAAAAAAッッッ……!!!!!」」」

「ッ!!?」


 突如としてフロアに響いた咆哮ほうこうに、全員の肩がビクンと震える。


「なんだありゃあっ!?」


 真っ先に振り返った豪山が大きく目を見開いて叫んだ。


 時杉たちがいる壁からはちょうど対角線上。

 廃墟のような構造物の森の向こう側に、巨大な影がそびえ立っていた。


 三つもある爬虫類のような頭部。鋭い爪に、全身を覆う漆黒の鱗。

 そして背中には大きな翼。


 それは誰もが知る空想上の生物の筆頭――。


「ドラゴン……!?」


 叫んだのは妃菜だった。


「おいおい、やべぇだろ……!」

「ここのモンスター……? でも、あんなのって……!」


 対面の竜が発する明らかに通常のモンスターとは格の違う迫力に、豪山と妃菜が圧倒される。

 すると、いち早く正体に気づいた空閑が呟いた。


「あれは……だ」

「ボス……!?」


 他の三人が即座に空閑へと振り返る。


「ああ、間違いない。あれが普通のモンスターのわけがない……!」

「でも待って空閑くん。だとしたら色が変よ。それに首の数も……」


 本来の《八王子市第4ダンジョン》のボスは、『岳峰の火炎竜クリムゾンギータ』と呼ばれる竜。

 けれどその体表は赤く、首も一つしかないはず。


「クライシスの影響だ。ここはすでに違うダンジョン。ならばボスですら別物になる。ダンジョンの構造が変化したことで、もしかしたら今いるここが最下層になったのかもしれない」

「理屈なんざ関係ねぇ! とにかく階段に逃げんぞっ!」


 切迫せっぱくした声で豪山が叫ぶ。


 ダンジョンのモンスターは階層を跨いで移動できない。

 だから、ひとまず上層への階段まで行けば急場はしのげる。


 階段へと雪崩れ込むように走る四人。

 しかし、ボスはその行為を見逃さなかった。


「「「GYAAA!!!」」」


 雄叫びとともに三つの首から放たれる灼熱の火球。

 そのうちの一つが、壁の上部へと着弾する。


「!?」


 崩れ落ちた壁の破片が、四人の頭上へと降り注ぐ。


 潰される――!


 全員が悟った。


(くそっ……!)


 瞬間、時杉は自分以外の三人を階段の奥へと思い切り突き飛ばした。


「時杉!?」


 倒れ込みながら後ろを振り返った妃菜が叫ぶ。

 その直後、妃菜の眼前には瓦礫が降り注ぎ、時杉の姿が視界から消える。


「時杉っ! 時杉っ!」


 瓦礫でできた壁を妃菜が必死に叩く。


「豪山君!」

「わかってらぁ! ――【カット】!」


 振り返った空閑に豪山が応じる。

 スキルによって壁を除去し、時杉の救出を試みる。


 ――しかし。


「ぐっ……!」

「豪山君っ!?」

「ちくしょう、出力が足りねぇ……!」


 これまでの攻略で消費した体力、加えて想像以上に分厚く積み上がった瓦礫。

 豪山のスキルは壁の一部を切り取るも、貫通には至らず。


(マジかよ……)


 壁の内側で時杉も絶句する。

 身体は咄嗟とっさに動いた。そこからどうするなんて考えていなかった。


 ただ、そこで時杉はハッとする。


(そうだ、俺の【一時保存スキル】なら……!)


 直前のセーブポイントは空閑との戦闘中。戻れる時間としては短い。

 だが空閑と決着をつけてすぐさま引き返せば、《ダンジョンクライシス》が発生する前に上層へ戻れる。

 そうすれば無事に四人で逃げられる。


 時杉はすぐさま唱えた。


「……【ロード】」


 …………。


(反応しない……? どうして……!?)


「【ロード】! 【ロード】!!」


 続けて呟く。

 けれどやはり何も起きない。


(まさか……これも《ダンジョンクライシス》の影響? ダンジョンそのものが変質したから、セーブポイントごと吹き飛んだ……?)


 真偽しんぎは不明だが、そう結論づけしかなかった。

 なにより問題は理屈ではない。


 重要なのは、もはやダンジョンクライシスが起こる前には戻れないという事実。


(うそ……だろ……)


 頼みのつなを失い、時杉は呆然とする。


 ただ、現状は一刻を争う。

 ふと顔を上げると、ボスが二発目の火球を撃たんと大口を開けているのが見えた。


(どうする……? どうすればいい……!)


 現状はただ一人第9層に閉じ込められた状態。

 ボスは上層へ抜けられないとはいえ、階段付近に留まっていては妃菜たちも火球の巻き添えを食うかもしれない。


 ――時杉は決断した。


「……三人ともすぐ逃げてくれ。またさっきのがくる」


 壁の向こうへと告げる。


「待って! 今なんとかするから!」

「……大丈夫。俺は逃げて時間を稼ぐ。だからその間に救助を」

「うそ! 時間なんて、あのボス相手にそんなのできるわけ――」


 言い終わる前に、妃菜の肩を豪山が掴んだ。


「……わかった。すぐ戻るからゼッテー諦めんなよ」

「豪山くん!? 何言ってるの……!?」

「……頼んだ」


 短いやり取りだった。

 それだけ言葉を交わすと、背後の壁の向こうから気配が消えた。


 妃菜は最後まで何かを叫んでいたが、豪山が無理やり連れて行く。


(……話が早くて助かる)


 意図を察してくれた豪山に感謝する。


 そのまま時杉は視線を前方へと戻した。


 改めてみると、ボスの存在感は凄まじかった。

 見た目の印象で言えば、明らかに《北区第13ダンジョン》で対峙した白い虎のボスより格上と感じた。


(どうする……いっそ今からでも限界までセーブして粘ってみるか? 100回くらいがんばれば突破口でも見えるかも……)


 恐怖をやわらげようと自虐気味に呟く。

 が、所詮はムダな足掻あがき。


 パッと見ただけでも理解できる。

 目の前のボスは、たとえ何百何千とやり直しループしたところで勝てる相手ではない。


「GRRRRRR……!」


 唸り声を上げながら近づいてくる黒い竜。

 獲物が逃げないことを悟ったからなのか、一歩一歩踏みしめながら、ズシンズシンと地面を揺らして迫ってくる。


「はは……」


 思わず渇いた笑いが口からこぼれる。


 ……正直なところ、どこかでたかくくっていたのかもしれない。


 失敗しても何度でもやり直せる【一時保存セーブ】スキル。

 そんな能力を持つ自分がこうなるなんて、時杉はついさっきまで想像もしていなかった。


 ゆえに迫りくる終焉への心の準備が追い付かない。


(あぁ……どうせもうダンジョンに潜れなくなるなら、最後にもう一回だけあの人と……)


 しかし、現実は容赦なく押し寄せてくる。


「GYAAA……!!!」


 希望を打ち砕くように、ボスが再び威嚇の雄叫びを上げる。

 三つの首がそれぞれ時杉を捉え、開かれた喉の奥に灼熱の炎が収束していく。


「…………」


 時杉は目を閉じた。






 そして――。






「――【蒼天そうてん神楽かぐら】!」


 煌めく剣閃けんせん


 丸太のごとき竜の首の一本を斬り飛ばしながら、その少女はどこからともなく時杉の前へと舞い降りた。


 眩い金髪に、白い制服。

 手には青い刀。


「おまたせ!」


 振り返ったデルタは、そう言ってニコッと笑った。




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 あと2話(+エピローグ)!

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