第32話 陰と陽①

「それは僕がね――君を大嫌いだからだよ」



 …………。


 しばしの沈黙が流れる。

 まるで時間が止まってしまったかのような静寂。 


 いったいなんと答えるべきか。

 悩んだ末に、時杉ときすぎはゆっくりと口を開いた。


「……そうか」

「あれ? もう少しビックリするかと思ったけど、案外そうでもなかった?」

「! いや、そんなことは……」

「ああ、ごめんごめん。驚きすぎて声が出なかったんだね。まあ仕方ないよね」


 わかるよ、と空閑が頷く。


「それじゃあ、順を追って話してあげるよ」

「……頼む」

「まず最初に言っておくとね、僕と妃菜ひなちゃんは恋人同士というわけじゃないんだ」


 あくまでいつもの爽やかな笑顔のままの空閑くが

 けれど、時杉にはそれが逆に不気味でしかなかった。


「どうかな? これはさすがに意外だったかい?」

「それはまあ、傍から見たらどう考えても……」

「だよね。実は僕自身も不思議で仕方ないんだ」

「え……」


 二人の関係は時杉の耳にも届くくらい有名だ。

 いっしょにいたという目撃情報も多数あったし、今日だって二人そろってどこかへ出かけていた。


 これで実際は付き合っていなかったと知ったら、きっと学校の連中は「え、そうだったの!?」と皆一様みないちように驚くに違いない。


 ただ、それはあくまで事情を知らない他人の話。

 本人には当てはまらないはずだが……。


「僕ってさ、今まで自分から告白したことがないんだ。いつも一緒にいるだけで相手の方が先に僕を好きになってね。声を掛けてデートに誘って、だいたい一週間……いや三日かな。それくらいもすれば勝手に向こうから告白してくるんだよ」

「はぁ……」

「……でも、

「!」


 そこで初めて、空閑は少しだけ目を細めた。


「高校に入って彼女と出会ってもう一年。いっしょにお昼を食べたり、放課後に遊びに出かけたり……でも、誘うのはいつも僕さ。しかも彼女は決まって一度は断ろうとしてくる。最終的に受け入れるのは、いつも周りにはやし立てられて仕方なく。この間だってせっかく実力テストのチームに誘ってあげたのに、返事はまだ保留中さ」


 おかしいだろ、と空閑が肩をすくめる。


「そこでなんとなく解ったんだ。彼女の心の中にはがいる――とね」

「別の……?」

「それが君だよ、時杉君」

「!」


 まさか、という表情の時杉。

 けれど空閑は首を横に振った。


「聞いたところによると、君と妃菜ちゃんはすごく仲が良かったらしいね。でも、あることをきっかけに疎遠になった。理由はわかるよね?」

「俺が……ノースキルだから」


 空閑が「そう」と頷く。


「けど、それと今の話に何の関係が……」

「あるさ。だって、彼女にとって君はトラウマみたいなものだからね」

「トラウマ……?」

「ああ。君は知らないだろうけど、スキルがなくて孤立する君を彼女は密かにずっと気にかけていたんだ。というのも、前に一度だけ彼女は君のことを話してくれてね。そのときにこう言っていたんだよ」

「?」


『昔はあれだけいっしょにいたのに、今は一人ぼっちにさせちゃってごめん』


 それは紛うことなき同情の台詞セリフ

 かつての友だちがノースキルであることに苦しんでいる中、自分だけ青春を謳歌おうかすることへの負い目そのもの。


 だからこその……トラウマ。


「わかったかい、時杉君? 彼女にとって君は重荷でしかないんだ。自分がそばにいてあげたらもっとなにかできたんじゃ……きみを見るたびに彼女はそんなことを考え続ける」

「……それで、だから俺にチームを組めと? 俺がお前と組めば、妃菜もチームに入るから」

「察しがいいね。その通りだよ」


 空閑が嬉しそうに頷く。


「あとは彼女の前で僕が実力を披露すればおしまい。テストが終わる頃には、彼女の気持ちは僕へと向いているはずさ」

「…………」


 空閑の言いたいことは理解した。


 妃菜と三人でチームを組み、空閑と時杉の攻略者としての差をまざまざと見せつける。

 それにより、妃菜の興味を自分へと向けさせようという考え。


「でも、そう都合よく……」

「いくさ。人間なんて案外単純なものだよ。その証拠に、おかしいと思わなかったかい?」

「おかしい……?」

「君は先日、仮にもあの豪山ごうやま君に勝利した。その前にはコース記録レコードも出した。それは本来ならもっと騒がれてもいいはずのことだ。なのに、実際の君の日常にはさほど変化がない。違うかい?」

「!」


 当たっていた。

 それはまさに時杉がずっと疑問に感じていたことだ。


「実はね、君の出したタイムはその日のうちに僕が塗り替えたんだ。《熟練者エキスパート》設定でのクリアもやったよ。どちらも放課後、大勢おおぜいの生徒を集めてね。その結果が今の君の状況さ」

「っ……!?」

「わかったろう? 所詮はそんなものなんだよ。より鮮烈な印象さえ残せれば、人の記憶や興味なんて簡単に上書きできる」


 空閑は断言した。

 まるで今までずっとそうしてきたかのように。


 そしてその一方で、時杉はこう言われているようにも感じた。


 お前のやれることなんて僕にもできる――と。


「でもね、今回はそれだけじゃ少し弱いとも思っているんだ。だからこそ、テストの最中に時杉君には一芝居ひとしばいうってもらいたいと考えている」

「芝居……?」


 いったいどんな……?


「なに、簡単なことさ。テストの途中、君にはわざとミスして妃菜ちゃんを危険な目に遭わせてほしいんだ」

「なっ……!?」

「内容はトラップでもモンスターでもなんでもいい。とにかく君が足を引っ張って彼女を誘導する。そして危なくなったところを僕が間一髪救う。よくある演出だろう?」


 あくまで笑顔を絶やさず、空閑はそう言った。


「お前……自分が何を言っているのかわかってるのか?」

「もちろんさ。僕はやると決めたら徹底的にやるタイプだからね。なんなら彼女を落とすためなら多少の怪我すらいとわないつもりさ」


(こいつ……!)


 思わず椅子から立ち上がろうとする時杉。

 しかし……。


「ちなみに時杉君に拒否権はないよ。もし断った場合、先日の勝負はやはり君に不正があったと暴露する」

「!? それは……」

「やってない? 知ってるさ。映像を見た限り、君に不正らしき動きはなかった」

「だったら――」

「でもそんなことは関係ないんだよ。君もよく知っているだろう? 僕が言えば黒が白にも、白を黒にすることだってできる」

「……っ!」


 その通りだった。


 先日の豪山との勝負、不正を働いたと主張する豪山に時杉は追いつめられた。

 それを乗り切れたのは、まさに空閑の弁舌べんぜつあってこそ。


 であれば逆に、空閑が訂正するだけで事実はひっくり返る。

 それが真実かどうかは関係なしに。


「というわけで、改めて聞くけど時杉君」

「!」

「僕とチーム……組んでくれるよね?」


 その誘いは、まさしく悪魔の誘いだった。


 多少改善したとはいえ、時杉の立場はあくまで底辺ぼっち。

 しかも、今まではただノースキル無能というだけで無害だからまだよかった。


 そこにもし卑怯者のレッテルが貼られたらどうなるか、想像にかたくない。

 ゆえに待っているのは地獄のような学校生活。


 であれば断れるはずなどない……というのが空閑の見立て。計画。



 ――しかし。



「…………」


 時杉は答えなかった。


「どうしたの? そんなに悩むようなことじゃないだろう? 君には他に選択肢なんてないんだ」

「…………」


 尚も答えない。じっと黙って口を結び続ける。

 すると痺れを切らせた空閑が、これまでと打って変わって冷たい声で呟いた。


「……まいったな。手荒なマネをする気はなかったんだけど」

「!?」


 途端、空閑の手のひらに生まれたのは“風”のうずだった。

 それはさながら小さな竜巻で、ただの自然現象でないことは明らかだった。


「それは……!」

「別に驚くことじゃないさ。言ったろう? この施設は模擬ダンジョンの技術を応用している。ならば当然、を使うことだってできる」

「ッ!?」


 立ち上がった空閑が、風の渦を時杉へと向ける。


 空閑のスキルは、“風”を操る能力。

 その使い方は様々で、例えば風を真空の刃かまいたちとして放つこともできる。


「ああ、心配しなくていいよ。ここがダンジョンと同じ構造ってことは、ただ《強制退場リタイア》するだけだから。もっとも、外に出たからって逃がさないけどね。すぐに君を捕まえて同じことを繰り返す。君がYESと言うまで――何度でも」


 裏を返せば、拒み続ける限り決して逃げられない。

 どこまでも続く、無限の苦痛。


(……くそ、ここまでか)


 己の全身が何度も切り刻まれる姿を想像し、時杉は背筋を凍らせた。


「バイバイ、時杉君。そしてまたすぐに会おう。【烈風のシーザー――」




 ――と、そのときだった。




「やめてっ!!」

「!?」


 バンッと勢いよく開いた部屋の扉。

 それと同時、室内に響いた叫び声。


 まさかの乱入者に、空閑の目が大きく見開かれる。

 そこに立っていたのは……。



「……妃菜ちゃん?」

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