後悔無く最後を迎えるために考えてみた

まする555号

良い人生とは

 人生は山あり谷ありですが、終わりよければ全て良しだと思っています。

「あぁ・・・良い人生だった」

 脳を騙してでもそれを最後に言えればその人は最高の人生を歩んだんだと思います。だって人生の記憶を残して居るのは全て脳なのです。だから脳さえ騙す事が出来ればその人の人生が周囲から見ても不幸な出来事の連続であったとしても、当人にとっては最高の人生で終わる事が出来るんだと思います。

 僕は宗教家ではありませんし神など信じて居ません。夢想家ではありますがリアリストです。そんな僕が新約聖書の一説を紹介したいと思います。


 ルカの福音書第23章39節~43節

 十字架にかけられていた罪人の一人は、イエスを「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と罵った。すると、もう一人の罪人が「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けて磔になるのだから死ぬのは当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていないじゃないか」とたしなめた。 そしてイエスに言った。「あなたが天国に入られたら、私を思い出してください」 イエスは彼に告げた。「真に、あなたに言いましょう。あなたは今日、私とともに既に天国にいますよ」


 この3人が人生で一番辛い死の直前にどういう気持ちでいたのか考えようと思います。

 1人目の罪人は死ぬのが怖くて泣き叫び命乞いをし後悔をまま死んだと思います。

 2人目の罪人は厳かな気持ちで天国への希望を持ちで死んだんだと思います。

 3人目であるイエスは既に天国に居ると幸福感に包まれたまま死んだのでは無いでしょうか。


 磔にされてこれから死ぬという瞬間でも脳を騙し幸せだと思い込めば人は希望を持てますし天国に居られるのではと思います。

 あぁ・・・ちなみに脳を騙す為に宗教にのめり込み過ぎたり違法薬物に手を出したりする事はお勧めしません、カルト薬ダメ絶対!


 宗教を馬鹿にしている訳ではありません。宗教によって心の平穏を得る事は良い事だと思って居るぐらいです。信じる者は救われるはその通りだと思います。他人に強制したり周囲に迷惑をかけなければカウンセリングや娯楽や社交の場として宗教というのは非常に良い場所だと思っています。

 僕は神様の存在を信じては居ませんが神社の境内を散歩するのは大好きですし初詣にも行きます。お賽銭をあげて礼をするだけで何も祈りませんけどね。快適な散歩道を維持するためにはお金が必要になるものでしょ?


 欲を捨てれば悩みが無くなるという考え方は非常に理解出来ます。だから浄財にするから寄越せという考え方には共感しませんけどね。食べる欲求まで捨て去って生きながらミイラにまでなっちゃうというのはすごいなぁと思いますけど、たしかお釈迦様って苦行を禁じていませんでした?


 生きている間の生活費まで寄付する事には賛同しませんが、人生の最後に遺産の全てを宗教に渡すと遺言を残す行為には賛同します。だって人生の最後に自分のお金を渡す場所としてそれが一番良いと思ったんでしょ?

 長年口も聞かない配偶者や、金の無心の時にしか顔も見せに来ない子供のためにお金を残すぐらいなら、最後に心の平穏をくれた人たちのためにあげたいと思ってもいいでしょ? 多くの人が賞賛する孤児院に匿名でお金を寄付したりするのと何が違うの? 出来ればその行先が怪しい宗教であって欲しくはありませんが、それでも当人がそれに縋るぐらいの環境に居たのなら仕方ないだろと思います。

 それは私の金だ! と思うなら遺留分でも何でも求めてどうぞ訴訟でもなんでしてください、当人は既に亡くなり見る事も聞く事も出来ない存在になっているんですから、自分の残したお金がどうなろうと死ぬ間際の一番苦しい時間を幸せに乗り越えた後なら関係無いでしょうからね。

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