亀裂

 どれくらい沈黙だったかわからない。数秒かもしれないし、数分だったかもしれない。


 時間間隔がわからなくなるぐらい、俺は困惑していた。


「誰が、好きって……」


 ようやく言葉を出せた言葉は、途中で詰まってしまう。


「私、前から気づいちゃっていた。空太君が、私以外の女性のことをよく見ていること」


 全身に冷や汗が流れるのを感じた。


 由衣は、名前を伏せているが、その女性が京子のことだって言うのに、すぐ気づいた。


「俺は、由衣のことが……」


「好き? 私も、空太君が好きだと思っていることを信じたいよ」


 俺は、返す言葉が見つからなかった。


 由衣は、今まで見たことないぐらい泣いていた。あんなに、元気を振りまいていた由衣が涙を流している。


 心が締め付けられる思いになった。


「最初はね、ただの勘違いだと思っていた。綺麗な人だし、男性は目移りする性別だって、調べたら書いてあった。だから、そうだと思い込もうとしていたの」


 由衣は、俺の服に掴んでいた手に力を入れた。


「だけど、今日の勉強会でわかっちゃった。空太君は、その子がいると私より、その子のことを意識している」


 由衣は、今まで俺のことを信じて来ていたんだ。


 俺は、由衣の気持ちを踏みにじったことに気づかされる。


 由衣の明るく振舞っていた笑顔の裏には、不安を隠していた。


「ねぇ」


 由衣が、俺の目を真っ直ぐ見て話しかける。


「空太君は、誰が好きなの?」


「……」


 俺は、由衣の問いに答えられなかった。




 自宅に帰り、すぐシャワーを浴びた。


「空太? ご飯は?」


 シャワーから上がり、自分の部屋に行こうとしたら、母さんに話しかけられた。


「食欲ないから、後で食べるよ」


「具合でも悪いの?」


「疲れたんだと思う」


「そう、薬が必要だったら行ってね」


 母親との会話が終わると、俺は自分の部屋に入った。


 着替えて、自分のベッドに腰をかける。


「何も言えなかった……」


 俺と由衣は、その後無言で電車に乗り、挨拶もしないで無言で降りた。


 俺は、由衣のことが好きなのに、それを言うことができなかった。


 心のどこかで、京子のことを気にしている自分がいたのを、知っているからだ。


「俺は、何を引きずっているんだ?」


 ラブレターを送り間違えたことか?


 由衣と付き合ってから、京子と合う機会が増えたからか?


「由衣の優しさに甘えていた」


 由衣は、ずっと不安を隠してきた。


 俺も、由衣の立場だったらそうするかもしれない。もし、仮に『好きじゃない』と告げられたら、深く傷つくからだ。


「由衣に連絡を送ってみるか……」


 俺は、携帯を開いて、由衣の連絡先を見る。


 由衣にメッセージを打とうと考えたが、手は動かなかった。


「この状況でのメッセージは、辞めておいた方がいい。相手の表情がわからない。大事な話は直接会って話した方がいいか」


 俺は、メッセージを送るのを思いとどまり、携帯を閉じた。


「休み明けの学校の時に話そう」


 俺は心の中で、そう決心した。




 学校の登校日がやってくる。


「由衣と話す日だ」


 カバンを持っている手に力が入る。


 教室に入る前、一回深呼吸をしてから中に入ろう。


「よし」


 教室の扉に手をかけて中に入った。


 俺の席の隣にある、由衣の席を見る。


 由衣は座っていなかった。荷物も置いていない。


「由衣は、来ていないのか」


 俺は、自分の席に座る。


 落ち着かない。とりあえず、荷物を机の中に入れておこう。


「大丈夫だ俺。落ち着いて話しかけるだけだ。何も怖くない」


 緊張している自分を奮い立たせようと、自分で言い聞かせる。


 しばらく時間が経つと、由衣が教室の中に入って来た。


「……」


 由衣は、無言で俺の隣に座った。


 自分の心拍数が高まるのを感じる。


 由衣に、話しかけるだけだ。落ち着くんだ俺。


「由衣―。ちょっと来てー!」


「あ、うん! 今行くー!」


 由衣は、同じクラスメイトである夕菜の元に行ってしまった。


 いつもなら、普通に話しかけることができていたのに、話しかけることもできなかった。


「なさけなすぎるだろ俺」


 俺は、自分の弱さを責めた。


 俺と由衣は、放課後になっても、一度も会話をしなかった。


「話しかけることができなかった」


 放課後になり、俺は荷物をまとめながら、後悔をしていた。


 由衣が座っている席の方を見てみるが、由衣の姿はない。


「そうだった。由衣は、放課後になって、すぐ荷物をまとめて帰ったんだった」


 一人なのは、何週間ぶりな気がする。


 由衣と付き合う前は、一人での放課後はいつもだった。そんな一人での、放課後なんて慣れていたはず。


 なんで、こんなに寂しいんだろう。


「俺はどうするべきだろう」


 今の状況を一人で、どうにかできるのだろうか。


 誰かに助言をもらう?


 誰に?


「図書室に行こう」


 俺が、今の状況で頼れるのは京子しかいなかった。




「扉の前まで、来てしまった」


 本当に、この判断は正しかったのだろうか。


 俺には、女心がわからない。そう考えると、女心がわかる人に頼るのが、一番な考えのような気がする。


 それで、訪れた場所は京子がいる図書室だった。


「空太なにしているの?」


 聞き覚えがある声で、話しかけられた。


 横を向いてみると、そこには京子が立っている。


「京子」


「あれ、由衣はいないのね。てっきり、自習しに来たかと、思ったのだけど」


「それは……」


 俺は、その先の言葉が言えなかった。


「……あなたと由衣の間に、何かあったのね」


 京子は、何かを察したようだった。


 察するぐらい、俺の言葉と表情が暗かったのだろう。


「あぁ、そうなんだ。巻き込むような形になって、申し訳ないが、相談に乗ってくれるか?」


「私は、あなた達に助けられたのよ。私が、空太と由衣の力になれるんだったら、力を貸すに決まっているじゃない。まずは場所を変えましょう、ついて来て」


 京子は、図書室と逆の方向に歩き出す。


「どこに行くんだ?」


「いいから、ついて来て」


 俺は、京子の後について行った。




「ここは?」


 京子が立ち止まった場所は、白紙のネームプレートがある教室だった。


「ここは、今年で廃部になった文芸部の部室よ」


 京子は、そう言うとスカートのポケットから、鍵を取り出した。


「なんで、京子がこの部室の鍵を持っているんだ?」


「今日、文芸部の元顧問である先生が、図書室に落として行ったのよ。もえ先生から渡すように頼まれて、教務室に行ったのだけどいなかったわ。仕方なく図書室に引き返そうとしたら、あなたが図書室の前で立っていた」


「勝手に、文芸部の鍵を使っていいのか?」


「文芸部が廃部になってから、使われていないみたいだし大丈夫よ。それに、大事な話ができる場所が、ここ以外に思いつかなかったわ」


 京子は、そう言うと廃部となった文芸部の部室を開けた。


「先生から見つかる前に、入って来て」


「わ、わかった」


 京子が文芸部の部室に入ると、俺も続いて中に入った。


 部室の中に入ると、少し埃っぽさを感じた。


 どうやら、文芸部が廃部になってから部室が使われなくなったのは、本当のようだ。


「さすがに埃っぽいわね。換気のために、少し窓を開けるわ」


 京子は、そう言うと部室の窓を開く。


「助けてくれるのは、嬉しい。だけど、京子は、ポスター作り大丈夫なのか?」


「今日は、木葉さん参加してないわ。用事があるらしくて、授業が終わったら帰ったわよ」


「そうなのか」


「空太は、人の心配をしている余裕なんてないでしょ?」


 京子は、真剣な表情で俺を見つめた。


「あぁ、そうだったな。悪い、現実から目を背けようしていた」


「わかればいいわ。あなたは体育祭で、やらかしても、そんな落ち込んでいなかった。なのに、今はとても落ち込んでいるように見える。何があったか教えてくれる?」


「由衣に、『誰が好きなの?』って言われて、泣かれた」


「あなた、浮気しているの?」


「そんな訳ない! 浮気なんかしてない。由衣がいるのに、他の女性と付き合うテクニックなんて、持ち合わせてない。それに、持ち合わせようなんて思わない」


「そうよね。今の言葉は、私が悪かったわ。ごめんなさい」


「いや、気にしないでくれ」


「そうじゃないとすると、由衣がなんで、そんなことを言ったのか気になるわ」


 具体的に話そうとすると、京子が絡んでくる。どういうふうに話せば、京子にも伝わる話しになるんだろうか。何て言えばいいんだ。


 脳内で、必死に思考を回転させる。


「俺が、由衣じゃなくて、他の女性を見ているって言われた」


 京子は、その言葉を聞いて、頭を抱えた。


「空太も男なのね」


 ため息交じりに京子は言った。


「言い返す言葉もない」


「まずは、由衣にしっかり謝ることね」


「あぁ、そのつもりだ」


「謝るなら早めの方が良いわよ。時間が経つと、悲しみは怒りに変わり、怒りから無関心になるわ。無関心になってしまったら、もう取り返しつかないことになるわよ」


 京子は、淡々と話す。


「やけに詳しいな」


 京子に、ここまで具体的なアドバイスを貰えるとは思わなかった。そういう話をしてこなかったから、京子には、この手の相談に乗ってくれるか、不安な気持ちがあったのだ。


「私の経験じゃないわ。姉さんの経験よ。姉さんが酔っぱらうと、よく恋愛の話を聞かされていたわ。その時に聞かされた知識を話したまでよ」


 海外に留学している京子の姉さんか。京子の姉さんに会ったことないが、心の中でお礼を言う。


「京子も、その立場だったら同じ気持ちの経過になるのか?」


「どうかしら。私は、恋人ができたことがないから、わからないわ」


 京子は、窓の外にある景色を眺めながら言った。


「そっか」


「空太は、彼女がいる時と、いない時で変わったことはある?」


「新しい世界が広がった。由衣がいなければ、気づけなかったことが、たくさんあったと思うよ」


「そうなのね」


「相談して、良かった。明日、謝る事にするよ」


「私の助言は、もういいかしら?」


「大丈夫だ。京子と話したから、心の中で決心がついた」


 俺は、由衣のことが好きだ。


 もう迷わない。


「由衣と仲直りしなさいよ」


「わかった。絶対に仲直りをしてくる」


「また、三人と遊びたいわ」


 京子は、頬を赤らめて言った。


「俺も三人とまた遊びたい」


 俺は、そう言って扉に手をかける。


「なぁ、京子」


 このまま由衣に謝る前に、一つ聞きたいことを思い出した。


「空太どうしたの?」


「京子は、俺に何を言おうとしていたんだ?」


 前から京子が俺に何かを言おうとしていたのが、気になった。


「あぁ、それね」


 京子は、しばらく黙り込む。


「あなた。由衣と話すとき、鼻の下が伸びているわよ」


 俺は、自分の鼻の下をさわる。


「まじか?」


「本当よ。お猿さんみたいになっていたわよ」


 それは、京子が言いづらいのも納得したような気がする。


「ありがとう。気を付ける事にする」


「気を付けなさい」


 俺は、京子の返事を聞くと、扉を開けて、外に出た。


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